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先入観入ってしまいますよね 古事記解釈

トップ写真 壱岐島 岳の辻展望台から大陸へ沈む夕陽 右手対馬


扁桃腺手術、後悔してます

扁桃腺のレーザー手術から5日目の昨日。
水も喉を通らない痛みは継続中。
炎症のせいか。
なにをするのも力が入らず。
そんな訳で昨日は終日。
横になって過ごしていました。

人にもよると思いますが、
10日から2週間。
この痛みが続くとなると、
食事どころか、水分も取りずらいので、
おススメの治療ではありませんね。

あと何日で痛みがなくなるのか。
待ち遠しい日々です。

さて、そんな体調なので、
気力を振り絞ってnote書いてます。(笑)


先入観はなにからできる?

今日はなにを書こうか。
考えている時に浮かんで来たのが先入観。

人は皆、
これまで生きて来た中で、
見聞きしたもの。
経験したことなどから、
物事を考えるのではないでしょうか。

例えば私の場合。
古代史で言うと、

天孫族系の神様は九州の山深い所に居た。
大国主命は島根県を開拓した。
神武天皇が九州を出発し、
途中、敵対勢力と戦い、
最後は奈良で天皇として即位された。

出雲大社 神楽殿

正直、私はこの情報の根源を知らない。
知っているのは、教科書で習った知識。
九州や島根に行けば、
ここが、○○が△△した地である。
そう主張する神社が存在する。

宮崎 高千穂の空

実際はどうか分からんけど、
偉い人たちが調べて、そう決めたんだから、
まあ、そうなんやろ。
いつしか、それが真実として根付いて来た。

神道のルーツ探しの旅

もっと遡って、
私は神道のルーツはなにか?
と、いう問題が気になって仕方ない。
そんな時期があった。

これも先入観なのですが、
優れた文化や宗教等。
大陸から日本に入って来た。
そう考えていたので、

大陸から一番近い島へ行ってみよう。
そこへ行けば、神道になる前の古神道。
その形跡が残っているかもしれない。
そんな考えから長崎県対馬を訪問。
伊丹空港から福岡空港。
福岡空港から対馬空港。
空路で対馬へ。
意外と近いのです。

対馬空港 プロペラ機なので歩いてターミナルへ

対馬→壱岐→福岡で見えたもの

対馬で3泊4日滞在。

その後、船で壱岐島へ渡りました。
壱岐島でも3泊4日。
遊ぶ間なく、神社を巡りました。
と、言っても神社巡りは仕事ではないので、
やはり遊びかな~。

対馬でお世話になった宿 名前はお洒落です
対馬 ばんごはんでお世話になったお多幸さん
90歳のおかみさんに隣へ座れと命じられ(笑)戦争のお話聞かせてくれました

壱岐島からの帰りは船で福岡へ上陸。
福岡エリアの大きな神社へ参拝。

そんなルートを辿ってみて、

対馬には、
亀卜や鹿の骨を使った古代の祭祀形態。
まだ色濃く継承されており、
社伝を持たず、
自然の山などをご神体として拝むスタイル。
私の仮説は正しかった。
そんな錯覚を覚え、大満足の対馬でした。

多久頭魂神社鳥居 近代まで絶対聖域の禁足地であったため、古代からの原生林が残る杜
国幣中社海神神社前の海岸に積まれた石
天神多久頭多麻神社 社殿はありません こちらも石積み


和多都美神社 豊玉姫の墓がある
個人的にお気に入りの胡禄神社 山越えで歩いて行きます 
イザナギの禊で生まれた海神三神が祀神

次に渡った壱岐島。
なんとなくですが、神社も垢ぬけた印象。
対馬から壱岐に渡ると、
大陸固有の物から日本風へ。
進化するのだろうか。
この時は、そんな見解。

壱岐といえば月読神社
壱岐 男嶽神社からの眺望 狛猿です 猿田彦大神を祀る
男嶽神社 御神体 いろいろ騒がれてましたが宮司さん良い人でした
隣山にある女嶽神社 祭神は鈿女の命 夫神とは少し離れた距離に祀られてます 
良い距離感です(笑)
東洋のモンサンミッシェル 壱岐 小島神社

そして福岡へ。
まずは宗像大社。
そして筥崎宮と住吉神社へ参拝。

福岡 宗像大社 第二宮 第三宮 社殿は伊勢から譲り受けた
福岡 筥崎宮 別格 武神ですね 敵国降伏と掲げてます
福岡 住吉神社

福岡の中でも、
大きな神社へお参りしたせいもあり、
対馬、壱岐の神社と比べると、
同じ神社というくくりとは思えない。
正に豪華絢爛という表現がぴったり。

儒教的なものが対馬に入り神道化。
その神道が壱岐を経て福岡へ入ると、
原石のダイヤが磨き上げられたかのような輝き。

やはり大陸から対馬→壱岐→北九州エリア。
この順番だろう。
この時の私は、そう思っていました。

次なる興味は忌部氏の動き

ひとまず、神道の流れについては一段落。
その後は、
古代祭祀族である忌部氏に興味を抱き、
忌部氏ゆかりの神社を巡る方向へシフト。

東京や北関東、房総半島等。
忌部氏の痕跡は色濃く残っています。

鷲子山神社 天日鷲命を祀る 忌部の祖 アジサイの季節が美しいです
千葉 安房神社 天太玉命を祀る 忌部の祖

そして忌部氏ゆかりの神社の由緒書き。
その多くに、この神様は阿波からやって来た。
そう記されており、
なんで阿波なんやろ?

疑問が浮かんで、阿波へ飛ばされた。
そして、阿波を知れば知るほどに、
私の抱いていた先入観。
ぶち壊されて行くのです。

対馬→壱岐島→北九州→畿内→全国。
このような流れで神道は進化。
したはず・・・・。

でしたが、
実は、
阿波→北九州→壱岐→対馬→ちょっと大陸も。
また、
阿波→畿内はじめ全国へ。

神道のルーツとなった信仰は広まった。
主に忌部氏と海部氏の手によって。

徳島 忌部神社 忌部の本拠地
徳島海部郡に残る式内社 和奈佐意富曽神社 この地から全国に布教活動を行ったのか
海洋民海部氏の拠点

阿波で打ち砕かれた私の先入観

延喜式神名帳に記された式内社。
重要な神様でありながら、
阿波にしか記録がない神社。
たくさんあります。

歴史学者の多くが主張。
古代、北九州勢力と畿内勢力は敵対。
大陸から鉄を調達できた北九州勢力が強く、
阿波もしくは畿内勢力が、
自由に壱岐や対馬。
ましてや、
大陸を行き来できるはずがなかった。

そんな説を信じ込んでいた。

しかし、もしも、
対馬はじめ壱岐、北九州エリア。
阿波勢力と協力関係であったなら、

強力な海洋民である海部氏。
阿波を拠点に大陸はおろか日本全国。
動き回ることができたはず。

対馬、壱岐には神功皇后の三韓征伐の功績。
残すためか、神功皇后ゆかりの神社と、
海の神である、
三ツツノオを祀る住吉神社が多い。

壱岐島 住吉神社 壱岐で一番立派です
神功皇后を祀る聖母宮 三韓征伐の帰りに立ち寄り 敵の遺体を人柱としたと伝承
石積みに目が行ってしまうマニア(笑)
対馬の住吉神社 景色ロケーション抜群です

一方で、タカミムスビ他、
古事記でお馴染みの神様を祀る神社も存在。

対馬 多久頭魂神社内に合祀されている 高御魂神社 前のドラム缶どけて!

住吉系の神社の元社。
通説では、大阪の住吉大社と言われているが、
実は阿波の住吉神社という説もあります。

神功皇后の三韓征伐に関しては、
徳島県南部の海沿いで伝承が残っています。

阿波へ辿り着き、
時間をかけて阿波広範囲を巡ってみて、
私が考えていた神道の流れの仮説。
見事に打ち砕かれたのです。

道は阿波から始まった

古事記や神話。神社に詳しい方。
お持ちの素晴らしい知識がおありでしょう。

私は、
浅い知識しか持ち合わせていませんでしたが、
実際に阿波を巡って、
いろいろ本も読んで、地元の伝承をお聞きし、
こんなにつじつまが合う場所はない。

徳島海部町 海神スサノオの本拠地 宍喰八坂神社

本のタイトルではないが、
正に道は阿波から始まった。

まあ、でも、考え方は人それぞれです。
しかし、お持ちの先入観。
少し、疑ってみるのも悪くない。
新しい発見があるかもしれませんよ。

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本日も最後までお読みいただきありがとうございます。


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