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『the best of MUDDY WATERS』 MUDDY WATERS

 赤いテレキャスターというと誰を想像しますか。
ベンチャーズのノーキー・エドワーズ、元ナンバーガールの向井秀徳、シンガーソングライターのYUI、吉田拓郎のファンなら1979年のオールナイトコンサート「篠島」での勇姿を思い出すかもしれません。エリック・クラプトンも赤いテレキャスターをヤードバーズ時代に使用していましたが、当事の映像がモノクロだったのであまり印象がありませんね・・・。
 で、そのクラプトンなのですが、初めてギターを手にしたのはKAYというメーカーのギブソンのコピーモデルのセミアコでした。そして2台目に手にしたエレキギターは赤いフェンダーのテレキャスターです。このギターは指板がローズウッドですから、メイプル指板を好むクラプトンとしては非常に珍しいモデルを手にしているのです。では何故、この赤いテレキャスターだったのでしょうか。
それは、彼の憧れのミュージシャンが赤いテレキャスターを弾いていたからなのであります。それは、マディ・ウォーターズです。
シカゴブルースの父。
 1915年ミシシッピ州生まれ。本名はマッキンリー・モーガンフィールド。
子供の頃、泥だらけで遊んでばかりいたからマディ・ウォーターズ(泥水)というニックネームで呼ばれるようになりました。
 ブルースマンはニックネームで呼ばれることが多く、BBキングは「ブルース・ボーイ」だし、ハウリン・ウルフは「狼の遠吠え」なんて言いますね。ライトニン・ホプキンスも「稲妻」なんてワードを入れてますね。
 ブルースは、アメリカ南部のデルタブルースがつらい畑仕事でのつぶやきから派生し、それが労働歌となり、簡単な楽器で演奏されていたことに対し、シカゴブルースはそこにエレキギターを導入し、現代的なバンドサウンドの礎となったものであります。
つまり、デルタブルースのメッセージ性に現代音楽的な施しをした音楽なのです。
南部の黒人が奴隷のような重労働に耐えかね、北部に仕事を求めるために大移動を行ないました。1914年から1950年までの間に約100万人のアフリカ系アメリカ人が大移動をされたといいます。これがシカゴブルースの起点であります。
 さて、その中での中心人物がマディ・ウォーターズです。
アメリカのポピュラー音楽は、そもそも白人の好むクラッシックからの流れを汲むポップスや黒人の好むブルースからの流れを汲むジャズやカントリーミュージックという風に大別されていましたが、ヨーロッパ音楽の流れであるクラッシックにアメリカ音楽特有のブルースがミックスされたという方が正しいかもしれません。現に、ミンストレル・ショーといった顔を黒く塗った白人が黒人に扮し侮蔑的なショーを行なっていたということは、それだけブルースを意識していたということに他なりません。そんなアメリカ音楽でブルースがいかに生活に根付いたものであったか。そしてブルースが無ければ、ロックンロールも生まれていないのであります。
 それは、ブルースバンドで活躍する若き日のマディ。そのバンドにギターを弾かせてくれと頼み込んだ少年が、かのチャック・ベリーでありますからこのことからもマディはロックンロールのお父さんということが言えるでしょう。
 ザ・ローリング・ストーンズのバンド名もマディ・ウォーターズの「ローリングストーン」から取られていることは有名ですし、ポール・ロジャースはマディ・ウォーターズをトリビュートするアルバムをブライアン・メイ、ジェフ・ベック、ニール・ショーン、デイブ・ギルモア、リッチー・サンボラ、ゲイリー・ムーアなどと制作しております。
ある意味、ブルースロックギタリストの父と言っても良いでしょう。
 マディが一番輝いた年は1954年あたりでしょうか。数多くのミュージシャンが後年マディの曲をカバーしますが、ちょうどその頃に発表されたものです。
「I’m Your Hoochie Coochie Man」「Just Make LoveMe」「I’m Ready」「Mannish Boy」
「You Shook Me」「You Need Love」
ここに挙げた曲だけでもエリック・クラプトンやジェフ・ベック、スモール・フェイセズやレッド・ツェッペリンなどがカバーしており、彼に対するシンパシーを感じます。
 この頃の作品はアルバムではなくシングルによる発表ですから、のちにまとめられたベスト盤を聴くことをお勧めします。

 『the best of MUDDY WATERS』(1955)。CDであれば、2001年にボーナストラック8曲を含む同タイトルが発表されています。
赤いテレキャスターを若きクラプトンは手にした時、きっとマディの魂が乗り移ったに違いありません。
 好きなミュージシャンのモデルを使うということは、そのミュージシャンを真似るのではなく、そのミュージシャンに敬意を表するという意味だと思うのです。
 クラプトンが持っていた赤いテレキャスターは今どこにあるかわかりませんが、彼が大切に保管していたらほっこりしますね。

2019/7/2
花形

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