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『ハートに火をつけて』 ザ・ドアーズ

 僕が中学時代に経験したパンク・ミュージックは、ロンドン系の尖がったバンドが主であった。その流れは日本のアーティストへも波及し、ライヴ会場が戦場と化したこともあった。豚の血をまきちらしたり、全裸になったり、暴力事件を起こしたり・・・。怖いもの見たさで参加したライヴハウスだったが、リストカッターを初めて目の前で見た時などは、体験したことの無い緊張感が走った。
 ミュージシャンも今思うと半端なかった。スターリン、アナーキー、初期のルースターズなんてとにかく暴れていた。“親でも死んだか”と訊ねたくなるくらい尋常な行動であった。

 “本能”と“パフォーマンス”は対峙した言葉である。人前で歌を歌ったり演じたりすることは、通常後者の言葉を使用するが、前者が当てはまるアーティストもいる。ドアーズのジム・モリソンの歌を聴くとパンクスのパフォーマンスも演じられたもののように思えてくる。あくまでも思えてくるのであって、断定はしないが、ジムのパフォーマンスはパフォーマンスというより彼の日常性なのかもしれない。同じカリフォルニアを拠点としていたジョニ・ミッチェルやリンダ・ロンシュタット、CSNのメンバーなどはみんな口を揃えてジム・モリソンは「変人」とコメントしているので、常軌を逸した生活だったのだろう。

 ジム・モリソンは詩人だ。UCLAで結成したザ・ドアーズを率いて1960年代後半、ほんの数年だけ輝いた。1971年にパリの自宅の風呂場で死ぬまで謎めいた行動と作品を排出した。

 ザ・ドアーズには申し訳ないが、僕は音楽というよりモリソンのポエトリー・リーディングとして聴いたほうが入り込める。音楽的に劣っていると感じたことはないし、逆に単純なロックンロールがあったからこそモリソンの言葉も活きていたのだと思う。しかし、どんな印象的なフレーズをレイ・マンザレクが弾いても、ロビー・クリーガーがギブソンSGの“か細い”音を奏でても、ジョン・デンスモアが思いっきりスネアを引っ叩いても、モリソンが両手を広げてマイクの前で「ライト・マイ・ファイアー」と叫べばそれで事が足りてしまう。そんなバンドという印象。

 モリソンの詩はランボーやアメリカインディアンの言葉、ギリシア神話に材をとったものが多く、これを正しく理解するためには相当な勉強が必要になる。訳詞を見ても難解で、わからないこともあるが、とにかく本能の叫びであることは間違いないだろう。

 『The Doors』(1967)「邦題:ハートに火をつけて」でデビュー。ドラッグに触発された文学的かつ過激な歌詞が並ぶ。モリソンの演劇的(UCLAでは演技を勉強しており、フランシス・コッポラとは同級生だったとか)、呪術的なステージで、ザ・ドアーズは一気にオーバーグランドに浮上した。
 ステージでのモリソンは、映像を見る限りにおいて言うならば、はっきり言って何かにとりつかれた狂気の男である。ステージに立った瞬間にスイッチが入ってしまうのか、とにかく常軌を逸した行動や言動が目立つ。
アメリカの有名娯楽番組「エド・サリバン・ショー」での規制された歌詞を無視して歌い続けたことなどは可愛い方で、ステージ上で性器を露出したり、ラリってライヴを行い、ステージ上で大の字にぶっ倒れるなどは、日常茶飯事だ。あるときはライヴ警備の警官に侮辱的な言動を行い、その場で逮捕された、なんてこともあった。そして、そんな事件を重ねながらモリソンはカリスマ化していく。ロックスターのあるべき姿として、常にスキャンダラスなスタイル、言動、生活、作品を残していった。

 コッポラの映画《地獄の黙示録》でモリソンの歌声が効果的に使用されていた。「The End」が流れる中、ナパーム弾が花火のようにきれいに飛び散る。僕は、死をも恐れず意志の赴くままに生き抜こうとしていたモリソンの生き方にダブらせていた。

2006年3月23日
花形

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