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沈んだときの出会い

このところ、なんとなく元気が出ない。
雨が多いせいでじめっとしているせいなのか何なのか、気持ちがすっきりとしない。

そんなわけで、ふらっと本屋へ足を運んでもどこか心ここにあらずという感じになってしまう。
でもやっぱり本屋へ行く。
本屋へ行くとなんとなく、エネルギーをチャージできるような気がするせいかもしれない。
こういうときに手に取る本は、たまに大当たりがある。

以前買った『悲しみの秘義』(若松英輔、文春文庫、文藝春秋)が、まさにそうだった。
手に取ったときの状態は今と同じような感じだった。

『悲しみの秘義』と出会った当時、私は、なんとなくうまくいかない気持ちになっていた。何がどうというのでもないが、もやもやしていた。その理由がまるでわからないものだから袋小路に陥り、沈み込んでいた。

大泣きすれば多少すっきりもするだろうが、漠然とした気持ちの落ち込みのせいで、それもできない。
かといって、悲しい映画を見たり曲を聴いたりして感傷にひたる元気もなかった。当然、明るい映画を見る気にもなれず、本を読む気力などもちっとも湧いてこなかった。

『悲しみの秘義』を手に取った理由はただひとつ、装丁が他と違っていたからだ。
文春文庫についているカバーは基本的に、光沢があるつるつるとした手触りとなっている。
だが『悲しみの秘義』はちょっと違う。光沢は控えめで、手触りも他とは異なりさらさらとしていて、紙っぽさが強い。実は最初、手に取ったときに、新潮文庫の本が紛れ込んでいるかのと思った。(新潮文庫の中にもたまに、カバーの紙が凝ったものがある。)

開いてみると、本文のページも他のホントは少し違っていた。文章の上下左右の余白は、他の本に比べてゆったりと広めに取ってあった。
フォーマットは詩集のようだがちょっと違う。ジャンルとしては、エッセイになるのだろうか。著者の言葉が綴られていた。

『悲しみの秘義』というタイトルから、悲しさに浸る系(悲しいエピソードが主体になっている系)かなと想像し、「今のタイミングで読みたい本ではないなあ」と思っていた。そういう本は普段もあまり読まない。

だが試し読みしてみると少し違った。ページをめくりながら、「この本といたい、離れるのは嫌だ」と思った。思い返せば不思議な感覚だった。

何というか、頼もしいのだ。寄り添ってくれているような気がした。落ち込んで内向きになりすぎている視点をふっと、引き上げてくれる。多くを語らず、背中に手を添えてくれるような本だと思った。
しかしそれは押しつけがましくなく、淡々としているように感じた。もちろん、いい意味でだ。

読む人に委ねたいので、これ以上は深くは書かない。
一度開いてみて欲しい。読む人それぞれに感じる何かがあるはずだ。
私は普段、手の届くところ近くに置いている。ぱらぱらとめくって章をまるっと読んだり目に留まった一文をゆっくりと味わったりしながら、呼吸を整える。
心を落ち着かせてくれる、あたたかい本だ。でも落ち込んでいるときでなければ、手に取らなかったかもしれない。沈んだ気持ちの中で読んでいなければ、その温もりに気づけなかったかもしれない。

『悲しみの秘義』が恋しくなって今回は家に帰った。
本は出会いだとしみじみ思う。

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