記者まっしぐらⅢ


実践・記者道入門Ⅲ部

 

不文律があった

新聞各社には「報道しない」という基準がある。その一つが「男女関係」と「下半身」のこと。「下半身に人格無し」とか言って、不倫など男女の不適切な交際はどんな有名な芸能人でも取り上げない「不文律」がいまでも厳然としてある。だからこの手の類(たぐい)の話題は週刊誌の独壇場となってきた。政治家でも芸能人と同じように下半身についてはフリーの状態。

唯一、女性問題で辞任した政治家がいた。1989(平成元)年に第75代首相になった宇野宗佑氏。毎日新聞社発行の週刊誌「サンデー毎日」が首相のエピソードを取り上げる中で、芸者に「自分の女になれと3本指を示した。女性はてっきり300万円かと思ったら30万円だった」などというスキャンダル話。「しみったれ。首相の器か」などと下ネタで世間が盛り上がった。

しかし、新聞、テレビは無視。週刊誌発行元の毎日新聞社でさえ、取り上げなかった。海外報道機関が取り上げて、初めて逆輸入の形で改めてこの問題が報道された。宇野首相はたった69日で総理を辞任した。この年、参院選挙があり、リクルート問題や農産物輸入自由化問題、消費税導入問題(いわゆる三点セット)で自民党は敗北。宇野氏は同年8月、「3本指問題」ではなく、参院選大敗の責任を取る形で辞任した。

また、女性問題とか性絡みの醜聞が明らかにされ、大騒ぎになった事件もあった。1つは1971(昭和46)年の日米沖縄返還協定で、毎日新聞政治部記者で外務省担当だった西山太吉氏が、基地地権者に対する米側の土地原状回復費400万ドルを日本政府が肩代わりして支払うという密約をスクープ。さらに日本社会党議員にこの情報を漏洩した。

実際は密約交渉は大蔵大臣の福田赳夫氏と米国財務長官デヴィッド・ケネディーとの会談で行われた。日本が終戦直後の対日経済援助の謝意、米国の施設引き渡し費用、土地(基地)の現状回復費を含めて3000万ドルを負担することだった。

西山氏のスクープは土地現状回復費400万ドルだけだった。しかし、「何だ、返還は無償ではなかったのか」「米国に頭が上がらず、やはりカネで沖縄を買ったのか」という日本の屈辱的な交渉が問題となった。日本がいまだに第二次世界大戦の敗戦国扱いされ、米国の属国扱いされる現状の中で、「カネで領土を買った」衝撃は大きかった。

東京地検は西山氏が情報目当てに外務省職員の既婚女性に酒を飲ませて泥酔させ性交渉に及んで極秘機密電文の情報を盗ませたとして、女性を国家公務員法違反(機密漏洩)で、西山氏も同法違反(教唆)で逮捕した。権力が得意とする絡め手、禁じ手の報道けん制策だ。毎日新聞は報道の自由で論陣を張った。

しかし、性交渉を結んで情報を盗ませたことが別の新聞にスクープされ、こちらの「性交渉」というスキャンダラスな情報の入手方法の方が世間の注目を浴び、機密情報の方は影を薄めてしまった。毎日新聞は論陣を張り切れずに下ネタのスキャンダル報道に屈服した。個人的には、西山氏の報道は国家とは何か、日本はもっと堂々と返還を勝ち取れなかったのかという問題や日米関係の提起となり、これほど意義のある報道はなかったと思った。西山氏が無理やり性交渉に及んだ基本的人権を犯したかどうかの真偽の確認、どうして女性問題が浮上し、東京地検の捜査が始まったのか、なぜ特定の報道機関に女性問題の情報が流れたのか等々について、毎日新聞はあくまでも西山氏をカバーする姿勢で論陣を張るべきだったと思った。

もう一つは2017(平成29)年11月から2020(令和2)年6月まで続いた第4次安部政権下で、安倍晋三首相の妻絡みから森友学園への国有地払い下げ問題と、安倍首相本人と懇意な人が運営する学校法人加計学園・岡山理科大の獣医学部新設に絡む便宜供与が浮かんだ。いわゆる「モリカケ問題」だ。
この問題で2016(平成28)年6月から約半年、文部科学省事務方トップの事務次官を務めた前川喜平氏が安倍首相の官邸政治を批判した。2017(平成29)年5月、大手新聞紙が前川氏の在職中の出会い系バーへの出入り、援助交際や買春について報道。官邸政治の批判は向きが変わり前川氏のスキャンダル批判に集まった。

批判の筋がスキャンダルの方向に向かったのは、西山氏の件と似て、同じく絡め手のやり方だ。報道機関が不文律の「下半身」問題に触れ、事件の本質を隠すかのような取り上げ方をするのは極めて珍しい。スキャンダルを報じたのは西山氏の件と同じ新聞社。官邸サイドからの情報リークをうかがわせた。ことの本質をはぐらかし、権力のソウグ、使いっ走りに成り下がったようなやり方で、堂々とした正義感がなく、実にいやらしく感じる報道だと思った。

「下半身問題は書かない」という不文律を破り、国民大衆が大騒ぎするようなスキャンダルに焦点を当て問題点をはぐらかすやり方は卑怯としか言いようがないと思っている。政治家、政権の危機をスキャンダル報道で国民大衆の目線をスキャンダルに向かわせ、危機にある政治家に助け船を出した。

いろいろな意見があると思うし、世の中、意見や考え方はおおよそ半々という点を考慮して、あえて個人的な意見を言うなら、そういう政治家を持った国民がかわいそう、そういう報道機関を持った国民が不幸だと思った。この真逆の考え方もあると当然あると思う。

 

何を追及するか

作家、司馬遼太郎さんは「『明治』という国家」というタイトルの本で、「国家とは、権力とは行政組織」と看破した。国政を含めた行政施策が国民の血税で賄われている以上、政治家を含めて行政に携わる人たちについて施策の落ち度や不手際、不祥事の責任を追及されても致し方ない立場にある。納税者の市民から行政の不祥事や落ち度、施策の失敗あるいは横暴について批判があったら、これを取り上げずして報道の価値はないと思ってやってきた。

不手際や落ち度など程度の差はあるが、ささいな問題でもよほど許容の理由がない限り記事にして表面に出すようにしてきた。すごく懇意な付き合いだった役所幹部が会社員を装って自ら仕える首長に政治資金を会社員名義でカンパしていた問題のタレコミがあった。懇意な幹部との付き合いよりもタレコミをしてくれた人との信義を大事にして、記事にしたことがある。幹部はさらにエラクなると思われていたが、局長止まりだった。

書かれた方はこれまでの懇意な付き合いを裏切られたという思い、信義も何もないひどい記者だという恨みつらみの思いが当然あったと思う。しかし、タレコミを優先する方が重要と考えたことで致し方ないことだった。「信義がない。付き合うのは危ない」とも言われた。こちらとしては得したものはなく、失ったものの方が大きかった。

損得を計算するようなら記者稼業は辞めた方がいいと思ってきた。政治家や官僚幹部の不正追及を途中で放棄して、追及する代わりに国重要施策の方向転換を求めたこともある。損得を考えるなら、やはり記事にするようにすべきことだった。たかが新聞記者、そんなことまでしていいのか、と批判にさらされる心配もあるし、職務強要などの行為をしたことで捜査機関のターゲットにされる恐れもあるので、具体的には明らかにできない。

不正追及のネタがなく、アレヨアレヨという間に行政にやられたことがある。旧農林水産省構造改善局が推進していた有明海・諫早湾を干拓して農地化する湾締め切りの堤防・ギロチンを実施した件だ。諫早湾のギロチン堤防によって海域に大きな影響が考えられた。1つは貝柱がすしネタとなるタイラギ(タイラガイ)の一大産地が消失する心配があった。2つ目はノリ養殖の影響。

昭和天皇が「貴重な魚貝類が住む有明海を大事にして後世に残してください」という趣旨の和歌を詠んでいるのに、人体にたとえるなら生死にかかわる循環器機能を持つ諫早湾を平気な顔で埋め立てようとする旧農水省の役人は、明治時代から1945(昭和20)年8月までの第二次世界大戦終戦以前なら君側の逆臣、君側の奸(かん)であり、「国賊」扱いされても仕方ない存在だ。何としても高級官僚の不祥事をつかんで、ギロチンを止めさせようとしたが、ネタをつかめなかった。これも、たかが記者、こんなことをして許されるのかと批判にさらされるのを覚悟で述懐した。

取材元の明示 

「――〇〇の調べで分かった」。こういう表記、表現は、〇〇を「捜査機関」とした場合、事件事故のサツネタの記事によく見られる。タレコミを含めて調査報道の場合、「タレコミで分かった」とは絶対に書かない。ただ単に「分かった」だけの表記か、せいぜい報道機関の会社名を出して「○○新聞の調べで分かった」という表記をするのが従来の通例だった。

従来のスタイルなら「○○新聞の調査」「○○テレビ独自の調査」という報道機関独自の調査を示すやり方だった。しかし、このスタイルはほぼ消えて、公的機関の調査と信用性、信頼性を一段高めるような報道のやり方をするようになった。

公的機関はウソはつかない、公的機関は信用できるということを前提にした表現だと思う。公的機関は平気でウソをつくし、信用していいのかというのが個人的な思いだ。報道機関が一定程度ニュースソースを明らかにすることで、批判された方から抗議があった場合、逃げ口上にするだけの方便ではないかと思った。

それが「捜査機関の調べで分かった」という書き方だ。捜査機関、公的機関がどれだけの信用性があるのかという問題にもなるが、実際に「〇〇」を100%信頼するニュースソースとして捜査機関とか公的機関という表記で扱うようになった。報道機関、記者の堕落でしかない。

90年代初めごろから、情報公開制度の普及もあってか、情報源をある程度明らかにするような書き方になった。ニュースソース、情報源など出所を明示する「捜査機関の調べで」とかの書き方をするようになった。事件取材や調査報道の場合、取材元や情報源を秘匿するのがごく当たり前で一般的だが、新聞、テレビ度の報道機関も取材源、ネタ元をある程度ボカシながらも明示するようになってしまった。

取材源を特定しないようにボカス場合も多くある。例えば、検察の独自捜査でいえば東京地検特捜部が追及する事件。2022年夏から東京五輪のスポンサー契約を巡る贈収賄事件に本格的に着手した。

着手までに相当期間の内定捜査機関があったはずで、いつ着手するかが焦点だった。安部晋三首相が凶弾に倒れ、第4次安部政権をそっくり受け継いだ次の菅内閣が短命に終わった。なんでこの時期に、という疑問はあるが、疑問はそっちに置いて疑惑解明に向けて動き出したことは評価されるべきだと思う。

その特捜事件の記事で、たびたび「〇〇の模様」という表現を目にすることがある。ある事実が分かったとして、「東京地検の調べで分かった」と書くと特捜部から情報が漏れたのか、情報を漏らしたのは誰かなどと永田町(国会とその周辺)と霞が関(法務省)界隈がうるさくなるので、あえて取材元をぼかして、「地検もこうした事実を把握している」ことの裏付けを表現する。まわりくどいやり方だが、東京地検特捜部が手掛けたロッキード事件取材のころから使われてきた表現だ。

とにかく、報道機関はネタ元、取材源を秘匿することが信頼性を獲得する第一歩だった。それが、取材元をある程度明らかにするようになったのは一歩前進なのか、大きな後退なのかはよく分からない。しかし、個人的には「調査で分かった」だけの従来のままの表記で十分ではないかと思っている。「○○機関の調査」と半ばそれとなく分かる表記をすること自体、しかも公的機関の信頼性を逃げ口上にするようなやり方、取材元の秘匿を第一とする報道機関の大きな後退ではないかと思ってきた。

行政批判にしても、行政に100%の非が無ければ批判してはいけないという風潮が漂ってしまった。批判された行政サイドから事実無根と訴えられた裁判で報道機関側が敗訴するケースが増えたことも一因としてある。こういう風潮が強くなって、行政を含めて批判的な報道がかなり少なくなった。「行政の100%の落ち度がない限り。行政批判記事は控える」という風潮が生じた。

 

報道の堕落

独自の調査を調査報道の真骨頂と思ってやってきたので、情報源、ネタ元を明かにするやり方は大きな違和感を覚えた。報道機関の独自調査の信用性を捨てて、「捜査機関の調査」を最も信頼できるニュースソースとする手法は、報道機関の堕落ではないかと思っている。「○○機関」を信用絶大な至上の公的機関とするなら、「〇〇機関」の言うなり、思うがままに掌(てのひら)で踊らされるだけの報道機関に成り下がらないかという問題もある。これでは第二次世界大戦中、軍部の圧力に屈して大本営発表をそのまま垂れ流し報道をしてきた二の舞になりかねないと危惧している。

新聞大手各紙とも第二次世界大戦中、軍部・大本営の発表をそのまま書いてきた暗い過去がある。信ぴょう性に疑問があったとしても発表通りのことを書いてきた苦い経験がある。紙が不足して新聞紙も配給制度下に置かれた。大本営の発表通りにしないと新聞紙の配給量が制限される心配があった。軍部に反撃して独自の取材ルートで新聞作りをした大手紙は皆無だった。こうし権力に屈服した時代の過去があるだけに、公的機関の調べ、調査結果を鵜呑(うの)みにした書き方には大きな疑問があると思っている。

 

メディアの変質

メディアが大きく変わった。1980年代後半からパーソナル・コンピューター(パソコン、PC)の急速な普及でネットが拡大し始め、新聞各社はニューメディア部門を設けた。ニュースはドコモ、ヤフー、ビッグローブなどの電子媒体も扱ってネットで流し、テレビ・ラジオの速報よりも早くなった。新聞やTV、ラジオが追いつけなくなった。
まず、パソコンの普及で記者側の会見の様子が変わった。記者がパソコン画面を見ながらほぼブラインドタッチで会見の話をキーボードをたたく。かつて会見者の顔を見ないで記者がキーボードをたたくことは厳しくとがめられた。会見者の顔つき、くちごもりなど様子をきちんと観察することで話していることの真偽、本気度も分かるのに記者がそれを放棄しているという批判だった。
その通り、記者はパソコンに向かっている間、会見者の顔はほとんど見ない。やはり、会見者の話をメモしながら顔のこわばり、緩みなどを観察しないと話がどれほどの意味をもつのか判断できない場合もある。TVで記者会見の模様を放映したらよくをTV画面を見てほしい。記者のほとんどがパソコンに向かってキーボードをたたいている。会見者をきちっと観察している記者の姿はほとんどない。記者会見が大きく様変わりした1つの場面だ。

新聞社はたいがい東日本地域なら夕刊の版建てが2版(北関東、甲静)、3版(首都圏3県)、4版(東京都内)。朝刊が11版(東北、信越など夕刊が届かない県の統合版)、12版(北関東、甲静)、13版(首都圏)、14版(都内)という具合に版建てを組み立てて地域差、時間差をつけて発行してきた。

例えば朝刊なら、編集局は版建てに合わせて編集局次長主宰の降版会議(各取材部門の当番デスクが集まる。編集局次長を単にコウバン・降板という言い方もここからきている)を早版用の午後6時ぐらいと、遅版13版、最終14版用の会議を午後9時ぐらいに開催。各取材部門の当番デスクがその日の出稿メニューを提示して、紙面づくりを協議する習慣となっている。

早版用の会議は夕刊掲載記事をほぼそのまま掲載する「返し」もあるので、無理に新しい記事を押し込むようなことは避けた。しかし遅版用となると、各部とも独自ネタ、特ダネを出し合い、紙面を奪い合うのが常だった。特に1面トップの記事では政治部と社会部、外信部などの奪い合いだった。しかし、ニューメディアの進出で、こうした降版会議は形骸化した。ニュース速報としてデジタルのニューメディアの方が断然早く、新聞は後手に回った。

今でも内外で大きな出来事があると号外を発行する新聞社があるが、多くの新聞社が号外発行を止めだした。号外の中身が事前に作られた予定原稿が主で、当日の速報ニュースが概要程度しかないということもあった。速報としてはニューメディアにかなわないからだった。新聞社側もメディアに力を入れ速報体制を整え出した。だが、次はスマホの急速な拡大でさらなる速報体制を構築せざるを得なくなった。新聞社の取り組みはこの間、速報重視の方向に変わったが常に後手に回った。テレビ各社も安閑としていられなくなった。

ソーシャル・メディアの拡大で、記事を出稿する記者の取り組みも変わった。大きな事件事故の場合、かつては夕刊、朝刊の版建てに合わせて、各版建てに見合うような記事を出稿して「コロガシ」ていれば済んだ。国会図書館に納める新聞1カ月間をまとめたダイジェスト版は夕刊4版、朝刊14版のいずれも最終版だった。だから独自ネタのニュースはできるだけ遅版以降に入れた。ところが、デジタル化の進展で新聞情報が遅れをとらないように、早い版から最新の情報や独自の情報を入れるようになった。新聞の版建てがあまり意味を持たなくなってしまった。

記者は従来なら記事の出稿と同時に写真1点を縦横で撮ればよかった。ところがスマホの普及で、ニューメディア向けニュースで動画を付けるようになった。むしろ動画がニュースの主流となった。記者はカメラとスマホで動画を撮る仕事が増えた。動画撮影はメモを取ることができない。動画を撮ったらパソコンで本社に送る作業にかかる。現場があれば必ず動画。記者会見でも動画ニュースとなった。社によっては動画中心のニュースに傾いたところもある。

 

スマホの普及がカギ

スマホの急速な普及でブログ、SNS、Twitter、Facebook、Instagramなどのほかユーチューブ、ニコニコ動画などの動画サイトを含めたソーシャル・メディアもすそ野を広げた。スマホを持っている人なら、その時そのつど、最新のニュースを無料で閲覧できるほか、いくらでも情報を発信できるようになった。メディアはネットやデジタル化、ITの進展で大きく様変わりしてきた。ネットへの接続もPCよりもスマホの方が断然多くなり、スマホの急速な拡大がカギとなった。

日刊発行部数100万部以上もあると自称する大手新聞紙、地方紙をかかえこんだ大手通信社、ローカル放送局のネットワークを持つ大手放送局、発行部数の多い週刊誌、月刊誌を出す出版社などを総じてマスメディアと呼んできた。ネット、スマホの拡大などの影響から大手新聞社の発行部数が激減する一方で、ソーシャル・メディアはどんどん拡大し、マスメディアも変質した。

新聞各紙は速報と動画重視のメディア版と新聞本紙をセットで売り込むやり方をするようになった。どこも考えることは同じだ。やり方は似通っていても収益を上げている社もあれば低迷している社もある。メディアの変質はいわれている以上に早く報道の現場に大きな変化をもたらし、社会変革をもたらした。

ソーシャル・メディアはあくまでも個人や企業など団体が写真や動画を含めた情報を一方的に流し、情報の受け手を特定的に想定した発信ではない。情報の受け手を想定してターゲットを絞った情報発信もあるが、Twitterなどと連携して不特定多数に情報を拡散させるやり方も一般的となった。
いわば人畜無害な情報、政治的な偏りがない不偏不党な情報というより政治的色合いが皆無な情報が歓迎され出した。だが、無色な情報とはいえ、まとまって発信された情報がどの年代層や職業層に浸透し、どの程度の影響力を与えるかは判断の基準、測定の目安はなかったが、情報の拡散で影響力がかなり大きくなった。

政治的に無色だからと無視はできない。情報の信頼性によって確かに一定程度の影響を与えている。ソーシャル・メディアが大きな影響力を持っていれば、むしろメディアとしては従来のマスメディア以上にとって代わる「マス」になるのではないかと思っている。「捜査機関の調べで分かった」などと情報源をある程度ボカシしてまでも入れるようになったのは、取材源が不明なことがあるソーシャル・メディアの情報と識別して、情報の信頼性を差別化する意味合いがあったのかもしれない。

 

新聞優先の終焉

かつて1960年代の終わりごろまで、事件現場でTV記者やカメラクルーが新聞記者や新聞社のカメラマンより前列に位置することはなかったし、記者会見の場でも新聞記者より前にTV記者が質問することはなかった。新聞部数の減少を背景に新聞各社の衰退が目立ち始め、各TVがワイドショー的な昼帯番組でニュース的な素材を取り上げるようになった。

これでTV局の取材網、取材陣がしっかりしてテレビ局の力量が増大くると、TV記者が優位になった。TVカメラが最前列に並び、その隙間から新聞社の記者、カメラマンが取材したり、写真を撮るようになった。取材の現場も大きく変わった。

今や事件事故の現場でも新聞、TVの取材記者だけが立ち入る特権の場ではなく、一般の通行人や近所の人がスマホで動画を撮影し、あちこちに拡散させているのが実態だ。警察などが現場に出動する前の事件事故の発生当初なら、通行人や近所の人が撮った写真、動画の方がリアルな場合が多い。

報道機関も写真など「絵になるもの」がリアルな方が訴える力があるので、写真や動画の提供者を求める。事件事故なら核心部分の動画なら、ニュース価値ありと動画を買い取るTV局もあるという。もう、だれが記者だか分からない時代、だれもが情報を発信できる時代になった。ソーシャル・メディアの拡大が情報の変質をもたらした。

 

部数減

新聞そのものの衰退は、だれもが情報を発信できるというこうした時代背景がある。1980年代ぐらいから、ネットの普及で40歳代以下では単身、世帯持ちにかかわらず、新聞を定期購読する人はほとんどいなくなった。新聞、TVのニュースで取り上げられるものはネットが先取りしているし、情報だけならネットの方が早いというのが購読しない主な理由だ。「新聞は偏向報道」という理由を上げる人もいる。「ニュースは見出しだけで十分」「ニュースはなるべく簡潔に、短く」という時代的な要請もあってかネットのニュースが主流となった。

大手新聞各社の発行部数はABC調査というのでおおまかなことは分かる。新聞各社は自称数字で読売1000万部、朝日700万部、日経、東京、毎日、サンケイ400万部と公表しているが、公表数字はサバ読みと思った方がいい。だいたい印刷部数であることが多く、購読されている実数はこの数字以下でしかない。ネットの躍進で新聞掲載の広告が減り、さらに地域に配布する小売店が扱う折り込みチラシが激減した。

かつては販売部数を水増しすればチラシがたくさん入り折り込み収入でかなり利益を上げた販売店もあった。新聞各社はメディア部門の拡充に力を入れているが、有力紙でも大手の販売店が利益減から販売店を止めている現状があり、この落ち込んだ勢いを拡大再生産につなげていくのはきわめて難しい状況だ。

記者はリポーター

欧米の通信社を含めた報道機関の記者はわりあい年配者が多い。組織でのラインとスタッフが完全に分かれていて、年配記者はほとんどスタッフだ。逆に台湾や香港、韓国、中国など東南アジアでは若手の記者やカメラマンが多く、記者の名刺にはほとんど「リポーター」と書かれている。事件事故の現場では先を競って突撃する。その突撃力は日本の記者、カメラマンの比ではない。

「そうか記者はリポーターか」と思った。ジャーナリズム、ジャーナリストなんて呼び方はどこかエラそうでおぞましく、鼻持ちならないが、リポーターとなると何か内容のない記者のようで格落ちのような感じがした。

リポーターでもジャーナリストでも肩書はどうでもいいと思うが、世間ではジャーナリストの肩書の方がエラそうに見える。だいたい、ある特定の一つのテーマだけを追いかけたり、特定の問題、関係を追及している人や新聞協会賞やジャーナリスト大賞などジャーナリズム界の賞を受賞した人、記者出身の大学教授などがジャーナリストの肩書を付けている。

ソーシャル・メディアを利用する発信者とどこが違うかと比べても、ソーシャル・メディアの発信者は場当たり的な学習で浅い知識しかなく、その場しのぎの情報発信でしかないのに比べてジャーナリストとか名乗る人はただ専門的に特定のテーマを一途に追及してきたという自負心があるようだ。ただそれだけの違いがあるのに過ぎない。肩書にこだわって仕事をするわけではない。だったら、ソーシャル・メディアの発信者に毛が生えたような程度のリポーターでもいいやと思うようになった。

 

原稿チェックは必要か

IT化の進展、スマホの急激な普及に伴い、だれもかれもネットにはまり出すと、ネット専用の情報提供が普及し出した。特に医療情報が多くなった。これらの情報提供で、出稿者は取材先に元原稿を見せて事実関係や字句の間違いの有無などを確認する。通常、報道前に元原稿を取材先に見せるということは、検閲制度にもつながる心配があることからほとんどやられていない(記者によっては取材先に元原稿を見せる人がいる)が、ネット専用の情報提供記事の場合、取材先に見せて元原稿のチェックを受けることが常態化している。

こうした事態は調査報道の現場では皆無だ。なにか不祥事を起こした本人や不正を追及される側に取材して元原稿を見せることは全くない。見せた場合、不正を否定しているのに記事を書いたとかで法的手段に訴えられるきっかけにもなりかねない。こうしたヤブを突っついてヘビを出す「ヤブヘビ」のようなことはしない。もし、事前のチェックを受けているとしたら、報道機関としての生命線にかかわり、自らを死に追いやるようなことになりかねないと思う。

ネット専用の情報提供記事は医療情報など専門知識、専門用語がひんぱんに使われる業界向けが多い。こうした業界はたいがい執筆者に元原稿の提示を求めることが通例だ。素人の執筆者が不慣れなため信用されていないこともあるが、情報提供側にとって情報提供の記事に誤りがあった場合、訂正を出さなければならないほか、信用問題にかかわるからだ。

ネット掲載情報はTVほどではないがすぐ消えることが多く、検索してもでてこないことがほとんどだ。誤報を出しても、放っておけばすぐに消えるーでは情報の信用性、信頼性に欠け、情報提供者に多大な迷惑をかけ、信用失墜という事態を招きかねない。

だが、こうした問題があることは理解できるが、なにもかも元原稿を情報提供側に必ず見せてチェックを受けるという対応は疑問に思うし、なじめない。もし、情報提供側に不利なことや不都合な情報があった場合、その部分をカットされる可能性が大きい。これでは報道の信用性を疑われることになる。このかねあいは非常に難しい判断を迫られる。

 

ソーシャル・メディアの普及

ソーシャル・メディアの急速な拡大が進む。日本でも1980年代後半から急速にPCが普及。さらに2010年ごろからスマホが普及拡大し、2020年代に入るとPCを質量ともにはるかに凌駕する勢いとなった。電話での伝達も直接電話口で話すよりもLINE、Email、ショートメールでの簡潔な伝達が中心となり、SNSはもちろんTwitterやFacebook、Instagramなどの媒体でだれでも自由に写真を含めた情報を外部に発信できるようになった。デジタル化の技術躍進、特に電子部品回路を形成するプリント基板の急速な進化が背景にある。

ユーチューブなどの動画やブログ、noteを利用しての情報発信もある。こうしたソーシャル・メディアを利用する世代は主に70歳代より下の世代なので、人口割合からみたら50%以上の世代がソーシャルメディアを利用しているとみていい状況だ。スマホなどを扱うNTTドコモ、楽天、ソフトバンク、ヤフーなどIT大手、ソーシャル・メディアを扱うマイクロソフトなど情報大手は、報道各社を上回る情報量を所有し、広告媒体を含めて報道各社よりもすそ野の広い影響力を持っていると言っても過言でない。

報道機関と記者はこうしたソーシャル・メディアと自らの立場、かかわりなど関係性を明確にし、ソーシャル・メディアの情報を自らに取り入れる手法、情報選択のやり方などをきちんと位置付けないと将来展望は見えてこないと思っている。しかし、どう付き合うかは分からない、皆目見当もつかないというのが本音だ。

有料会見

事件で、犯行の被疑者や重要参考人が浮かんでも、犯行を裏付ける具体的な物証に乏しく捜査機関がなかなか逮捕に至らないケースがある。事件が特異だとか複数以上の被害者がいるとみられる場合など、こうしたケースはTVのワイドショー、バラエティ番組で取り上げられることがある。1社取り上げると、別の社も次々と追いかける。

こうした被疑者ら関係者は事件との自らのかかわりを否定する会見を独自に開く場合もある。場所は被疑者の経営するスナックなどで、だいたい有料会見となることが多い。おそらくあくまでも推察だが、最初に取り上げたワイドショーが番組制作費の中から、被疑者ら関係者にいくらかの取材の謝礼を払った可能性が大きい。これに味をしめて有料会見となったと思う。

だんだん有料会見がエスカレートすると、記者1人10万円、TVカメラ1台30万円といった額を要求することもあり、被疑者ら関係者は1回の会見で100万円近いカネを得ることになる。新聞社は基本的にこうした被疑者ら事件の関係者に謝礼を払ってまで取材することはないが、TVや週刊誌の中には取材費を払ってまでも取材ところもある。新聞社もワイドショーや週刊誌にやられっぱなしでは面目ないので、会見費用を払う社も出てくる。世の中、大きく様変わりしてしまった。

 

黒板協定

警察でも行政でも、役所の広報で発表日時(新聞の場合、掲載日、TV・ラジオの場合、放送日時)が指定される発表もある。この場合、記者クラブの黒板に広報と同時に掲載日や放送日時の指定が書かれる。これを通称「黒板協定」といい、記者クラブ加盟社はこれを順守するのが通例。だいたい大きなテーマであることが多く、発表の際に記者会見が開かれる。

特定の報道機関1社が大きなテーマを追いかけていて取材がうまくいき、あすにも報道される事態になって、役所が慌てて夕方に黒板協定をかけて、この報道機関の手足を縛ろうとするときもある。報道機関の記者は出稿予定を通知して既に原稿を書き上げてしまった場合、取り下げることはなかなか難しく、仮に取り下げたとしたらその分の空白ができるので、何かで穴埋めするしかない。

穴埋めの素材が無ければ、紙面制作ができないことになって、「こんな黒板協定はおかしい」ということになる。黒板協定の有効性など論じること自体おかしいが、協定を破った社は除名とか1~3カ月間の登院停止で記者クラブから締め出されることもある。こんな法的根拠もない、慣例に過ぎない黒板協定が今も生きているのが記者クラブの実態だ。

こんな黒板協定が空洞化して、何の意味も持たなくなるケースがときたまある。例えば身代金目的の誘拐事件。都道府県警本部や事件と関係がある警察署の記者クラブの黒板に「身代金目的の誘拐事件が発生。容疑者の検挙、誘拐された人の身柄が確保まで取材は原則自粛」といった黒板協定が書かれることがほとんどだ。

この間、記者たちは何もしないで記者クラブに詰めっぱなし。捜査がなかなか進展しないでいると、しばらくして誘拐された人の情報や周辺が「行方不明になって〇カ月」などとちまたでウワサになるときがある。。記者クラブに加盟していない週刊誌の記者はすかさず、「○○さん行方不明〇カ月」というタイトルで記事にする。この事態になると、黒板協定も無いと等しい状態となる

報道機関の担当記者は事件がハジケテ(新しい展開)、警察発表を待っていてはサイド記事がかけないので、警察や他社に気付かれないようにこっそり「行方不明になっている○○さんの人となり」などについて周辺取材に走り回る。黒板協定違反だととがめられるが、事実上、時間の経過とともに黒板協定は破棄されてしまった状況にあるから仕方ない。

「有料会見」「黒板協定」と言い、基本的人権、プライバシーの保護や報道・取材の自由など報道する側の基本姿勢、理念が求められる。記者独自に動くわけにはいかず、組織に伺いを立てるが、こうした事態に備えて明確なポリシー、対応策を持っている組織があるかというとはなはだ疑問だ。どの組織も行き当たりばったり、その場しのぎの対応をすると言っても過言でない。

フェイク

米国大統領に2017年1月から2021年1月までドナルド・ジョン・トランプ氏が就任した。トランプ氏が2017年の大統領選に臨んで、世界中にはやらせた言葉が「フェイク(ニセ、虚偽)ニュース」。自らに都合の悪い情報、自らが不利になる情報について「フェイク」と一蹴した。特に2021年1月の大統領選で民主党候補のバイデン氏と戦った際は「フェイク」の連発で情報が大混乱し、米国有権者だけでなく世界中が何を信じていいのか混乱した。

こうしたフェイクニュースはSNSなどのソーシャル・メディアで広く発信されて拡散。何が事実か、出来事の真相がどうなのか。真実の報道とニセ情報との真偽に見分けができないぐらい情報が混乱した。だれでも自由に情報を発信できる。ソーシャル・メディアが情報の信義は別にして拡散の一翼を担えることが分かった。ソーシャル・メディアの拡大がメディア、情報に大変革をもたらした一例だ。

簡単な文章だけでなく写真やYoutubeを中心とした動画投稿サイトが多く設けられ、メディアの情報の質量が大きく変化した。どの情報、ニュースを信用すればいいのか受け取る側は大きく混乱した。古くからの大衆メディアとして新聞、ラジオ、TVのニュースがどこまで信用できるのかという混乱にまで発展した。数あるメディアの中で、どれが事実の情報を提供しているのか、何が正当派メディアなのかという問題を提起した。

ウクライナへのロシアの軍事侵攻で、さまざまな局面や展開で「フェイク」と言われるニュースが出てくる。今後、フェイクがもっとはびこる可能性はある。だれもが情報を発信できるソーシャル・メディアの時代、でっち上げのフェイクを流そうと思えば、だれもが流せるような時代だ。国家も組織も既存の報道機関もこうした状況に対処した備えは行っていない。急務な課題であるのにもかかわらずだ。

何度も言うが「世の中だいたい半々」。「いい」と賛成する人がれば、「悪い」と反対する人もいる。正確に半々ではないが、ソーシャル・メディアが普及する根底に「おおよそ半々な世の中」があるのではないかと思った。モノ言わなかった人々が、モノ言う代わりにソーシャル・メディアで反応する。物言わぬ人々の何らかの意思表示がソーシャル・メディアを通じて行われる。そういう時代になった。この時代の流れをマスメディアがどう取り込んでいくのか、取り込んでいけるのかが問題だ。

 

報道の立脚点

報道はまず事実の裏付けがある情報の正しさの追求でなければならない。次に行政など国民を支配する権力が隠している事実、隠そうとしている事実や情報、不祥事や権力ゆえの犯罪などを追及し、国民の前にさらけ出していく作業も重要だ。ここに報道の原点があると思ってやってきた。

もっと大きなくくりでいえば、表現の自由。ここには報道だけでなく、当然ソーシャル・メディアなども入る。では、報道機関の記者が不法侵入などの罪を犯してまで取材する理由はどこにあるのか、その取材はどこに正当性が求められるのか、その取材に基づいた記事を出す理由はどこにあるのか、その記事はどこに正当性が求められるのかーという大きな問題に突き当たる。

権力による国民の基本的人権の侵害、法令を逸脱した権力の専横的な行使をたえずチェックする。この大きな使命を担っているのが報道機関であり、記者だと思っている。国民の生存権・自由権・社会権といった基本的人権は、うかうかすると権力は何食わぬ顔で侵害するのが過去の通例だった。

こうした侵害行為、侵害されるかもしれない前兆の状況をとらえて、権力に対峙していく。これが記者の使命ではないかと思っている。別に記者だけでなく、ソーシャル・メディアの利用者にこうした使命がないわけではないし、ともに参加していただける分野だ。

権力はどこ

作家、司馬遼太郎さんが権力について「行政」と看破したと先に記したが、行政、端的にいえば国の中央省庁は国民から税金を徴収し、その使い道を分配して施策を展開する。権力の最も集中するところは政府、つまり首相官邸だ。個別具体的にいえば、中央省庁の行政機関とその役人・官僚。政党政治であることを勘案すると、政権を支える与党も権力機関となる。地方自治体ならやはり行政機関の都道府県・市町村とその職員、地方議会の与党勢力となる。いずれも公務員だ。

第二次世界大戦後に公布の憲法では裁判所が司法権(法務省、裁判所、検察庁)、国会(衆議院と参議院)が立法権、内閣が行政権(省庁)の三権分立が明記され、権力が一カ所に集中しないように互いに独立してけん制し合う仕組みとされてきた。バランスが取れて、いかにも独立して機能しているようにみえる。だが、実際は違う。行政が圧倒的に強い力を持っているのが実情だ。

 忖度で腐敗

司法、特に最高裁は時の政権に肩入れして、憲法判断と面倒な司法判断ともなれば、わざと思考を停止し放り投げて逃げ出し、政治に任せてせいぜい現状維持で政権に有利なような判決を出してきた。立法といえば、政治家の質が劣悪化し、国会質問でさえも関係省庁の官僚に書いてもらう始末。優秀な議員もいて議員立法も作られてたりもするが、たいていは人数合わせに必要な部類だ。勢い財政を握り、施策と地方交付税交付金で「三割自治」の地方を縛り上げる官僚機構が優位に立ち、行政がダントツで権力の中枢となっていた。

行政を含めた権力構造が大きく揺らいだのが21世紀初頭の政治の大きな特徴だ。自民党政権は橋本竜太郎氏が総理総裁となったとき、1997(平成9)年に行政改革の最終報告をまとめ、国家公務員制度改革に乗り出した。

官邸の一強

具体的には省庁再編と官邸の機能強化である。官邸の一極集中型権力構造の構築が図られた。官僚トップである省庁の事務次官や審議官、局長など主要幹部の人事権を官邸で握り、言うことを聞かせた。これで特定の中央省庁に人事や財源配分に力を発揮してきた自民党各部会上がりの「族議員」を排除した。

高級官僚が官僚最高ポストの事務次官を目指して互いのしのぎをけずる「事務次官レース」はポストの就任歴でたいてい決まるのが通例だった。ところが、事務次官候補の最右翼とみられた人でも、官邸の方針に異論をとなえたり言うことを聞かないとレースから引きずり降ろされるようになった。

ごますりをしない官僚は出世レースから外れ、おべっかを使い、忖度(そんたく)にたけた官僚が事務次官に就くようになった。たとえば官僚の中でも優秀な人材が集まるとされる警察庁では代々、警備局長が次官の最有力候補だった。ところが、官邸、つまり首相の顔色をうかがい、首相の意をくんで捜査指揮を配慮したりする、ごますり官僚が次官に就くこともあるようになった。

官僚は本来、政治家の不公平なやり方、忖度をただし、公平・公正な社会の実現を保持してきた。だから、こうした精錬な体質の官僚は、立法府からも国民大衆からも尊敬されて多くの支持を集めてきた。ところが、公平・公正なはずの行政が官邸の顔色をうかがう官僚の忖度でねじ曲げられ、行政から公平・公正が消えてしまった。

橋本政権から引き継いだ首相の小泉純一郎、次の安部政権に受け継がれ、安部政権では忖度行政が横行した。官邸主催の「桜を見る会」の開催など好き勝手にやりたい放題の個人的利益だけを追求するような政治がはびこってしまった。

これが戦後政治の中で最も変わった点だ。前段の前触れがあった。第70代の鈴木善幸内閣が掲げた「増税なき財政再建」を達成しようと1981(昭和56)年に第二次臨時行政調査会が発足した。会長に東芝会長の土光敏夫氏が就いた。土光氏は津山藩(岡山県)の質実さを伝える旧制岡山県立津山中学(現在の津山高校)出身で市を流れる吉井川に遊び、夕ご飯の総菜がイワシを干した目刺1匹、梅干し1個といった素食家として国民から絶大な人望と人気があった

旧大蔵省官僚は行政改革を行財政改革にすり替え、後の消費税創設につながった。自民党は国民の支持が厚い土光氏の人徳をバックに、旧社会党の強力な支持基盤であった官公労組合の弱体化を図って国鉄、郵政など三公社の民営化を進めた。これが第71~第73代の中曽根康弘首相の取り組んだ行政改革につながり、第82代首相の橋本竜太郎氏の政権下で省庁再編が行われた。

官僚機構の中でも優秀な人材の「The(ザ)官僚」が集まった旧大蔵省を財務省、金融庁などに解体。やはり「The官僚」の巣窟(そうくつ)とされ、第二次世界大戦の終戦前、絶大な権限を持った旧内務省の中枢だった旧自治省に旧総務庁などをくっつけて総務省に衣替えして二流官庁にしてしまった。官邸一強の行政府が構築された。

連合政権下で政治が悪化

中曽根内閣の後の竹下登氏、宇野宗佑氏、海部俊樹氏、宮沢喜一氏、自民・社会。新党さきがけのいわゆる自社さ連合政権の細川護熙氏、新政党党首の羽田孜氏、自社さ連合政権の村山富市の各首相は次の橋本政権に引き継ぐ橋渡し的な存在だった。竹下首相と宮沢首相は自民党待望の生え抜きだった。

しかし、背後のキングメーカーに自民党副総裁を務めた金丸信氏が控えて思うような政権のかじ取りはできなかった。細川氏、村山氏の連合政権の時、大所帯で有力政治家のそろった自民党の数の反抗を憂慮して、自民党の思うなりの政治が行われてしまったのでないかと思っている。この紆余曲折の政治の足取りに国民の嫌気がさして、橋本氏の政権に替わったことの意味は大きい。国民の嫌気が逆に期待感となって支持を集めたのが橋本首相だったのではと分析している。

これまでの戦後政治は有力政治家が特定の省庁の権限に食い入り、人事権を左右することもあった。有力政治家は族議員となって力を付け、人事に介入して官僚を操り利権をむさぼってきたが、官邸一強政治は族議員の存在でさえもなくし、官邸そのものが腐敗の温床となった。

大きく強い権力を持つと独断専横が目立ち、官僚たちは首相やその周辺の顔色をうかがい、気に入られるように忖度したサジ加減の行政運営がされがちになってしまった。20世紀終わりが近づいた1990年代初めの政治のもつれが同時に官邸一強政治につながってしまった。

19世紀に生きた英国の思想家ジョン・アクトン男爵は「絶対的権力は絶対的に腐敗する」という格言を残した。言わずと知れたことだが、世界の通史を概観しても権力は必ず腐敗する。腐敗した権力が倒れてまた新しい権力が誕生する。歴史はこの繰り返しだった。歴史は権力の腐敗とその腐敗を追及する側の攻防だといっても過言でない。

官僚も運次第

官僚も将来、「総理大臣に」「事務次官は確実」と言われながらも、たまたま自治省時代に大臣秘書官としてカバン持ちをした小沢一郎氏が自民党を離党したのがきっかけで割を食い、冷や飯を食らって頓挫した人もいる。私の知る限り、旧自治省出身で2004(平成16)年7月から2016((平成28)年7月まで出身地の鹿児島県知事3期を務めた伊藤祐一郎氏がその1人と思う。東大法学部を出て、官僚でも旧大蔵省、警察庁、と並んで狭き門の旧自治省に入省。同期入省の中で最も有望株といわれてきた。

若手官僚で出世コースに乗る人はほとんど当該省庁の大臣のカバン持ちをするのが通例となっている。伊藤氏も例外にもれず、小沢氏が自治大臣を務めた1985(昭和60)年12月から翌61年6月まで秘書官としてカバン持ちをした。小沢氏は当時、最も力を誇示した田中派「木曜クラブ」の領袖、田中角栄氏の「秘蔵っ子」と言われ、田中派で権勢をふるった金丸信氏に「将来を任せられるのは小沢しかいない」と言わしめた自民党の実力派だった。

ところが、小沢氏は田中氏に反旗を翻し竹下登氏、金丸氏と一緒に「創政会」を結成。竹下派は2年後、「経世会」を旗揚げした。竹下内閣で内閣官房副長官を務め、1989(平成元)年の第一次海部俊樹内閣で47歳で自民党幹事長に就任したが、1993(平成5)年6月に自民党を離党して新生党を結成し、幹事長にあたる代表幹事に就いた。

この小沢氏の一連の行動、特に自民党を離党した影響から、伊藤氏は埼玉県商工部長に転出した。旧自治省出身の超エリートで県庁への出向なら各部局まとめ役の総務部長が妥当なポスト。これ以降、伊藤氏が旧自治省内で事務次官候補としてアタマをもたげることはなかった。

自治省の一番星といわれ将来を期待された出世頭だったので、順当にいけば旧自治省の事務次官。次は首相官邸で行政をまとめる事務方の官房副長官、あるいは衆院議員に転身して後に首相というコースに乗れたかもしれない。首相の最有力候補が鹿児島県知事止まりとなった。

官僚も仕えた政治家次第で自らの命運を大きく左右される一例だ。プライバシーにかかわることで本人の了解も得ていないので記すことに戸惑ったが、経歴は公開されているし、将来を嘱望された有為な人材もこうした運次第の転変によって人生のコース変更があることを知ってもらおうという意図なので許していただけると思う。

小沢氏本人も、田中角栄元首相が特にかわいがり、金丸信・元自民党副総裁にいたっては「日本を背負う首相は小沢しかいない」と公言し、小沢氏のために巨額の政治資金を蓄えてきた。それが小沢氏自ら別の路線を歩き、沈没しそうなほど影が薄くなってしまった。小沢氏が民主党の選挙を仕切って自民党を撃破。「小沢チルドレン」が大量に生まれ、このチルドレンを率いて中国の天安門広場に乗り込んだ時が一番華やかな時代だった。政治家の人生も有為転変だ。

また、文部省で官僚トップの事務次官を務めた前川喜平氏は安倍政権に逆らった。中曽根康弘元首相家を深いつながりがあり、本来なら文部省の外郭団体のトップに就けたはずなので、冷や飯をくらった。

知る権利

 権威は自らの威光に陰りが差すようなことがあれば、徹底して隠蔽してきた。権力は力をそぎ落とされるような事案が生じた場合、そうした事実を極力、内密にして表面化しないよう秘密裡で処理しようとする。権力は自らに不都合なモノゴトを隠して表面化しないようにするのが性行と言っても過言でない。これら隠蔽されようとする事案、または隠蔽されてしまったモノゴトを国民大衆の面前に明らかにし、国民の判断を仰ぐことは民主主義社会の基本として重要なことだ。

近代西洋政治思想史で18世紀、英国の思想家、ジョン・ロックは「抵抗権」思想を掲げた。分かりやすく現代風にいえば、こうだ。国民大衆は税金を払い、より良い行政施策を託し、また政治家を選んでより良い政治の展開を託した。国民により良い施策、国民により良い政治は税金を納める上での政府、行政、政治家との約束事だった。

施策を含めた政治の運営で不祥事や一方が特段に有利となる恣意的な行政運営、政治が行われた場合、政府、政治家に託した約束事が破られたり、裏切られたことがあれば当然、国民大衆にはその時の権力を支える政府、行政、政治家に抵抗する権利がある。抵抗する権利の行使は選挙以外にも示威行動などがあり、権力の不祥事、腐敗を追及する情報のリークもあるーということになる。

今こそ調査報道

ここにメディア、報道、記者が政府、行政、政治家の恣意的な権力行使の事実を掘り下げて追及する調査報道の立脚点があると思っている。マスメディアが国民の基本的人権、表現の自由と民主主義、知る権利を守る旗手としての存在があると考えてきた。

報道機関、特に不特定多数の国民大衆に大量の情報を流すことができる媒体としてのマスメディアは、こうした存在から時の権力を批判する「第四の権力」といわれてきた。三権分立の立法・行政・司法のほかに独自の第四権力としての位置づけだ。

 国民主権、また立法・行政・司法の三権分立とはいっても立法も司法も事実上、行政に屈服している現状が続く。官邸主導の行政運営、政治主導となって、民主主義も知る権利も形骸化が進んでしまった。「第四権力」との呼称にはかなり引っかかるが、調査報道が今ほど求められている時代はないと思っている。

 ソーシャル・メディアとの違い

 ソーシャル・メディアの存在がある。だれでも個人や企業などの団体として自らの情報を発信できる。大胆にいえば、好き勝手に日時や場所を選ばず言いたい放題の情報を提供できる―これがソーシャル・メディアではないかと思う。これまで言葉を持たなかった国民大衆が自らの言葉を持って発信するようになった。もはや「モノ言わぬ国民」なんて存在するのかと思うぐらいだれもが「モノを言ってアピールする時代」、ソーシャル・メディアを媒体に「モノ言う国民」となった。

 マスメディアはこれまで「モノ言わぬ国民」に代わって、「声なき声を代弁して」主張する存在として自らを標ぼうしてきた。大衆の本当の意向である「声なき声」を「正義」としてとらえ、自らを「正義」の代弁者とする大義名分を持って存在してきた。モノ言わぬ国民がモノを主張するようになって、「声なき声を代弁する」という大義名分を失ってしまったかのようにみえる。

かといって、ソーシャル・メディアが「声なき声」のほとんどを代弁しているかというと、決してそうは思わない。やはり「声なき声」というのは、どこかにこぼれ落ちてしまっているのか、底層の隅に潜んで聞こえないようになっているのかと思うことがある。「声なき声」は具体的に国民の何割とか明確にはできないが、確実に存在すると思っている。

個人的には「声なき声」はマチマチで一本化するか一つの方向にまとまらない方が健全だと思っている。特定の方向にまとまるとろくなことが起きないことが歴史的に多かった。「世の中だいたい半々」のほうが、健全な社会だと思ってきた。ソーシャル・メディアが個人的、趣味的な情報として流布されていることが、むしろ健全な社会ではないのかと思ってきた。

ソーシャル・メディアのなかで社会的、政治的発言はかなり少ない。ほとんど私的な趣味、し好の表出でしかない。日本では政治的な影響を及ぼさないから良いのではないかと、一般企業やエンタテイメントなど業界、それに大くの人たちに歓迎されてきた。日本と欧米のソーシャル・メディアの使われ方がかなり異なっているように見受けられる。米国ではかなり政治的な情報発信が目立つ。

 ただ、何度も言うように「世の中だいたい半々」の世界。「ああ」言えば「こう」言うのが通例で、何が真実か、何が「「声なき声」なのかつかみ取れないのが現実だ。民主主義や知る権利の形骸化と同時に「声なき声」の真相が依然として分からない現状がある。ここに報道で真実を明らかにし、「声なき声」をも代弁するメディアの存在価値があると思っている。

ソーシャル・メディアが世の中を動かす力となるには、「声なき声」が限りなく真実を訴えるまとまった力をなる必要がある。「声なき声」が一つの方向性を持った場合、「第四権力」」に代わる存在となりうる可能性はあるし、「第五権力」ともなり得る可能性さえある。いま、スマホなどIT化、デジタル・トランスフォーメーション(DX)化によって激変の時代となった。

 知らしむべからず

国民大衆がスマホなどによって「声ある大衆」となったとしても、権力の本質は何ら変わらない。権力を持つ機関、団体や為政者は自らに都合の悪い作為・不作為、資料データなどを国民、市民に明らかにせず隠すことが多い。言葉を変えれば、モノゴトの本質を隠蔽するのが権力だと言っても過言でない。

「由(よ)らしむべし知らしむべからず」は古代から権力を持つ側の体質で、現代でもその体質は変わらない。隠蔽されようとしている事実を明らかにし、隠蔽に至った真相、深層、底流を明白にしていく作業が民主主義を運営、維持するうえで大切なことだ。

常に民衆を圧迫できる力を持つもの、民衆から所得の分け前として税を取り立てる力を持つものの権力行使の行き過ぎ、作為・不作為の誤りはささいなことであっても正す力が必要だと思う。

糾弾して正していかないと不正の温床が拡大再生産する心配がある。こうした誤りはなかなか正せない。ここに報道機関の使命の存立基盤があると思ってきた。真実を明らかにする報道の力で権力の横暴を暴き、権力の影響力を抑制することは必要不可欠だ。

権力は腐敗する

 日本の歴史を概観しても、政権がせいぜい長持ちしても徳川幕府が続いた江戸時代の260年。士農工商という身分制度で縛られた260年の封建時代がずっと安定していたわけではなかった。各藩の財政危機、貨幣経済の台頭があり、米本位制が崩れてインフレが起きるなど政治は常に不安定だった。

外国の開国要求に屈して明治新政権が誕生した。時代の流れもあったけれども国民の意識変化として、武家政権の腐敗、がんじがらめにきつく縛られた世の中、メシも食えない世の中なんて嫌だという空気感が強く漂っていたことが政権転覆、明治維新の成功につながったと見た方がいい。

政権は確実に腐敗するというのが歴史の真実の一つだと思っている。こうした権力の横暴、専横独断、公平・公正の崩壊、政治家や官僚、特に権力を握る官邸政治の腐敗・不正を追及するのが報道の大きな使命だと思っている。

不正の追及

報道する側の思い上がりと厳しい批判もあるが、では権力の横暴をチェックする、できる場所、団体、人がいるかというと案外少ない。国民の代表が集まる国会があり、政党があって国会で論戦もあるではないかと言われるが、私の知る限り、国会での野党の追及は厳しい一面もあるが時間切れなどによって、追及が中途半端に終わることも多いのが現状だ。

権力のヒモとなって、為政者にぶら下がって、おこぼれをいただいた方がよほど収入があるし、身分も安定することが多い。いわゆる御用学者、チョウチン持ちがいかに多いか、TV討論やツイッターなどの発言でも見て取れる。世の中、何でも半々、賛成・反対ともおおよそ五分五分というのが通り相場だし、それを支持する人たちがいるから致し方ない面はあるが、どうも御用学者、チョウチン持ちだけは鼻もちならないし、害毒だと思っている。

第二次世界大戦中、軍部は厳しい報道管制を行った。日本に都合の悪い戦況は一切公表されず、負け戦さでもあたかも勝ち戦さのような戦果が発表された。報道機関はそれをなぞるように報道し、国民を欺いてきた。こうした暗い過去から「大見栄を切って確かに不正追及ができるのか」という疑問の声も上がる。報道機関にとって権力に屈服した過去があるので、これは致し方ないことだ。

生死を掛けて報道の自由をやり切れるのか、となると覚悟はおぼつかない。そんなあやふやなら報道の自由、取材の自由だなんて大上段にふりかぶるなというお叱りをうけそうだ。妻子・親兄弟を人質に取られて、不正追及、報道の自由を貫き通せるかという疑問をぶつけられる。それだけの覚悟を持って報道の世界に飛び込める人が何人いるかだ。

 

わずかな非でも

新聞業界では2000年代に入ったころ、国家権力の中枢、官公庁の行政機関や地方権力の都道府県・市町村の行政を批判する際、行政側に100%の非が無い限り批判的な記事や論調は避けるべきだという後ずさりの姿勢が顕著になった。恐らく行政側に報道機関が訴えられて敗訴した判例を根拠しているとみられるが、「100%の非が無い限り批判は避けるべきだ」という考え方、姿勢はどうかと思う。

というのも、国民・市民から税と徴収して信頼の委託を受けて運営している行政はあくまでも公正・中立であるべきで、きちんとしたルールで運営されているはずなのにルールから逸脱してしまうこともある。こうした逸脱が発生すると、行政は事実を隠蔽する都合の悪いことは隠すことが多々ある。多々というよりほとんどすべてと言った方がいいかもしれない。

隠蔽されたまま、隠し通された場合、市民は自分たちにとって都合の悪いことを知るよしもない。市民に不都合なことは隠すという行政の癖は、隠し通すことが意のままにできたら隠蔽体質はますます常套(じょうとう)化する心配がある。隠蔽された事実を表に出していく、一部始終を明らかにして、隠蔽された事実や隠蔽したことの適否の判断をより多くの市民に仰ぐ。為政者にいささかでも、たとえば1%程度の非ではあってもその責を負うべきだと思うし、記者は知った時点で報道すべきことだと確信している。

1、2%の非しかなく、為政者側の弁解にそれなりの正当性が認められれば、ほとんど報道されない。ごくわずかな非でも、大きな非を招く原因になりかねない、大きな非が生じる温床になりかねないと判断されたときは、報道されるときがある。ささいな作為・不作為でも、為政者に100%の非がなくても、敢然と報道していくことが報道機関の使命だと思っている。

わずかな非でも市民の前にさらけ出していく。こうした行為がない限り、行政、政治は腐敗することが過去の通例だった。「世の中、ソーシャル・メディアを通じて、だれでも意見を発信することができる社会だから、何も報道機関がなくても不自由はしない」という人がかなり多くなった。果たして現実はそうなのかと考えた。

メディアに何ができるか

ソーシャル・メディアが権力の不正や横暴を追及してきた実績があるのかという疑問がある。政治的な中立、不偏不党を標榜(ひょうぼう)して、時の政権批判をしようものなら「警告」が出されたりする。だれかが報道機関の対応を批判する意見を述べたら、すぐに迎合する人やそれをあおる人たちもいるのではないかと思った。

ソーシャル・メディアの声がすべてではないと考えている。報道はソーシャル・メディアの一部だが、スマホ利用で席けんする若者中心のソーシャル・メディアとどこが違うかと言えば、報道はあえて「声なき声」の大切な一部をすくい取るのを仕事とするし、「私」よりも「公」に重きを置く。重きを置くというより「私」を主張することはなく、「公」の片足1本立ちといってもいい。

報道機関は為政者の不正などがあって、為政者側が公表した場合、きちんと公表された事実の裏付けを取る。裏付けで違う事実がつかめたら、裏付けで得られたあらゆる事実を報道して、市民がどう考えるかの資料、判断材料を提供する。ここに状況や事態の事実、真相、実相、底層を明らかにしていく、いつの世にも必要不可欠な調査報道の重要性がある。これは報道機関に与えられた市民権ではないか。

「与えられた」というよりも「課せられた」といった方が適切ではないかと思う。こうした市民権の行使があってこそ、健全な民主主義と自由が守られ、市民社会の成立があると考えている。では、社会主義国の国営放送など国のプロパガンダや方針をそのまま伝える報道機関はどうとらえるのかと問われたら、正直言って報道ではないと考えている。国家や国の運営主体にとって都合の悪い状況や事態でも、その事実や実相を伝えてこそ報道ではないかと思う。

(終わり)

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