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私の家族の話 3

「前に聞いた“鍵っ子”の話なんだけどそういえば…」〜世間話〜

たくさんの方の記事を見ている時に思い出す事、刺激を受けた事ってありますよね?
大抵、その場で感じて終わってしまうのですが。

👩「そうそう、それなんだけどさ〜」
👩「前にあなたが言ってたアノ話なんだけどさ…」

とか、日常会話みたいに繋げてもいいのかなと思っていて。となると、やっぱりそれって“記事紹介”が1番適任な訳です。
なので、ちょっとハードルが高くて、実はおっかなびっくりやっている記事紹介も積極的にしようかな〜と始めます。

既にこのパターンで私が記事を取り上げている方もいらっしゃいますが、改めて宣言✋って事で🤭

もし、“自分の思惑と違う”や
“なんとなく紹介しないで欲しい”
という方は削除しますのでお申し付け下さい🙇


黒豆柴さんのこちらの記事

第2次ベビーブームとよばれる時代、昭和40年代の終わり(1975年頃)は、女性の6割が専業主婦であり、当時の女性は、専業主婦として家を守ることが当たり前の時代でした。

夫婦共働きの家庭は稀で、共働き家庭の子は、首に家の鍵をぶら下げ「鍵っ子」という特殊な言葉があるほどでした。

働き方を夫婦で話し合うべき!より抜粋


この記事の中で出てきた「鍵っ子」という言葉。
懐かし〜☺️🔑
そういえば今言わないよね🤔
もう珍しくないからなんだろうなぁ。

私の小学生時代は平成が始まる頃だったけど、それでも鍵っ子って言葉は残ってた。

両親共働き、核家族の私は学校が終わったら鍵を開けて帰宅していた。
それが日常だったし、さびしいと思った事はない。
母親が帰ってくるのも早かったしね。

ただ、鍵を開けて帰るのはどうも2年生か3年生位からだったようで、一、二年の頃はどうしてたかって言うと………

と、記憶を巡らせていたら思い出したエピソードは、ナハエリコさんのこちらの記事に似ていました。

私は覚えてないので😅

親から聞いた話なんですが、私、一、二年の頃学校から両親の仕事場へ行っていた様なんです。

当時共同経営していた両親達の仕事場へ、沿線の電車を利用して、駅からもしばらく歩いていたそうです。
因みにコチラ

電車に乗って、親の会社まで歩く🚶

確かに、歩いていた道や建物の記憶はめちゃくちゃあるんですよね。

でも電車の記憶は………生活の要なんで、他の記憶と紛れちゃって忘れてる🙄

まぁ、親としてはめちゃくちゃ心配な訳ですよ。
駅から駅。だけじゃなく、さらにそこから歩くんですから。

大人になってから知ったんですが、最初の内は












後をつけていたそうです🤣


今だから気持ちはものっっっすごくわかる😅
共同経営だから最初の内だけと中抜けも出来るしね😅
親になって思い返すと本当に心配だわ……
小学生の放課後問題、昔も今も大変だよね………😅


家族に関するnoteはこちらにも

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