見習いの赤笛

忘れないように書き留めておく。

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最近の記事

『推し、燃ゆ』読解

〈肉体〉と「あかり」 『推し、燃ゆ』は、語り手である「あかり」の〈推し〉が炎上するところから始まる。 まずは、「あかり」について考えてみる。 彼女は〈肉〉〈肉体〉という語を多用する。 「あかり」にとっての〈肉体〉は不快をもたらすものであり、そのような意味で彼女は〈肉体〉に拒まれているといえる。 以下の引用部に示される「あかり」の行為は、そのような〈肉体〉に対する反抗心のあらわれとして受け取ることができる。 〈言葉〉と「あかり」 『推し、燃ゆ』において、このような〈肉

    • 立脚点を探す

      帰るべきところ よりよく生きていくためには、「帰るべきところ」が必要だ。 それは「家族」でもいいし、「友人」でもいい。「先生」でもいいのかもしれない。 仮面を外して、素顔のまま、時間と空間を共有できる人がいれば、安心できる。 だが、「帰るべきところ」は喪失する危険性を常に孕んでいる。 「帰るべきところ」を失ったとき、現実の底が抜ける。 落下していく彼は、まず他者を失い、次に自己との闘いを迫られる。 自己の立脚点を知らない者は、藁にも縋る思いで「何か」を掴みかける。

      • 文芸における教訓とイデオロギー

        読み終えたとき 「結局、何が言いたかったの?」 物語や小説を読み終えたときに、このような疑問が生じたことはなかっただろうか? 私は何度かあった。 そこでふと思った。 果たしてこの疑問は「正しい」のだろうか? と。 「結局、何が言いたかったの?」の答えを得ようとすることは、作品に「教訓」や「イデオロギー」を求めることを意味する。 「教訓」や「イデオロギー」をうまく言葉で表現できたとき、私たちはその作品を「読み解けた」と思いがちだ(と思う)。 でも、本当に「読み解けた

        • 「情景」について(『鼻』『山月記』)

          散歩 やる気が出ないけれども家の中にいたくないときは、散歩することが多い。 散歩コースにある公園のベンチに腰掛けて休んでいると、家族と思しき四人組がやってきた。 父、母、子ども二人。シャボン玉で遊び始めた。 それをぼんやりと眺めていた。 今思えば、彼等は自分の中で景色の一部になっていたような気がする。 『鼻』の「情景」 「情景」という言葉は、学校教育の現場でよく使われがちだ(と思う)。 国語の授業で小説を解釈する際、「天気」や「自然物」についての描写を見つけたら

        『推し、燃ゆ』読解

          『子をつれて』を読む

          ブックオフへ 喉に違和感があったので近くの耳鼻科へ。 実は、先週も同じ理由で同じ耳鼻科に行って薬を処方してもらったのだが、全く良くならず。 今回も同じ薬を処方されたが、効かない薬を飲んでも治らんでしょと思い、薬局には行かずブックオフへと向かった。 ある漫画を全巻揃えたいと思っていたのに一冊も売っていなかったので、仕方なく文庫本の棚を物色していると、岩波文庫の『子をつれて』(葛西善蔵作)を発見。購入。 マックに寄ってから帰宅した。 しょっぱいハンバーガーを頬張りながら、だ

          『子をつれて』を読む