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立脚点を探す


帰るべきところ


よりよく生きていくためには、「帰るべきところ」が必要だ。

それは「家族」でもいいし、「友人」でもいい。「先生」でもいいのかもしれない。
仮面を外して、素顔のまま、時間と空間を共有できる人がいれば、安心できる。

だが、「帰るべきところ」は喪失する危険性を常に孕んでいる。

「帰るべきところ」を失ったとき、現実の底が抜ける。
落下していく彼は、まず他者を失い、次に自己との闘いを迫られる。

自己の立脚点を知らない者は、藁にも縋る思いで「何か」を掴みかける。
たいていその「何か」は、観念的で脆い。

一方で、自己の立脚点をはっきりと知っている者は、すぐに自分自身との闘いに転じる。

彼は、そこでの立ち回りをよく心得ている。


北村透谷の「インスピレーション」


北村透谷は『内部生命論』で、「詩人哲学者の高上なる事業は、実に此の内部の生命を語るより外に、出づること能はざるなり」と主張した。

透谷によると、詩人と哲学者は「内部の生命を観察する者」に他ならなかった。

では、その「内部の生命」はどのようにして造られるのだろうか。
透谷は以下のように説明する。


人間の内部の生命なるものは、吾人之れを如何に考ふるとも、人間の自造的のものならざることを信ぜずんばあらざるなり、

北村透谷『内部生命論』

畢竟するにインスピレーションとは宇宙の精神即ち神なるものよりして、人間の精神即ち内部の生命なるものに対する一種の感応に過ぎざるなり。
(中略)
 この感応は人間の内部の生命を再造する者なり、この感応は人間の内部の経験と内部の自覚とを再造する者なり。

「内部の生命」を再造するのは、「インスピレーション」である。
「経験」でさえも「インスピレーション」によって再造される。

私は、明治20年代の詩人・評論家として活動した北村透谷の立脚点をここに見る。

小林秀雄の「夢」



文芸批評家として活躍した小林秀雄は、デビュー作の『様々なる意匠』で、このように書いた。


「自分の嗜好に従って人を評するのは容易なことだ」と、人は言う。然し、尺度に従って人を評する事も等しく苦もない業である。常に生き生きとした嗜好を有し、常に溌剌たる尺度を持つという事だけが容易ではないのである。人々は人の嗜好と尺度というものを別々に考えてみる、が、別々に考えてみるだけだ、精神と肉体とを別々に考えてみる様に。

小林秀雄『様々なる意匠』

小林秀雄は、「嗜好」と「尺度」を切り離さない。

つまり、ある作品に心を動かされることと、その「心を動かした何か」を分析によって探ろうとすることとは、互いに密着していて切り離せないということだ。


所謂印象批評の御手本、例えばボオドレエルの文芸批評を前にして、舟が波に救われる様に、繊鋭な解析と溌剌たる感受性の運動に、私が浚われて了うという事である。この時、彼の魔術に憑かれつつも、私が正しく眺めるものは、嗜好の形式でもなく尺度の形式でもなく無双の情熱の形式をとった彼の夢だ。


ここで、切り離せない「嗜好」と「尺度」は、「繊鋭な解析と溌剌たる感受性の運動」という言葉に言い換えられる。
そして、小林はボオドレエルの批評から「無双の情熱の形式をとった彼の夢」を見出す。

おそらくこの「夢」こそが、批評という「運動」をはじめて可能にするのであろう。

批評とは、竟に己れの夢を懐疑的に語る事ではないのか!

北條民雄の「いのち」


三年前に読んだ北條民雄の『いのちの初夜』は、強烈だった。
もう一度読もうと思い、再び手に取った。

内容は、「尾田」という青年が癩を発病して癩病院に入院することになり、そこで「佐柄木」をはじめとする様々な患者を目撃し、交流するというもの。

癩の悲惨さは小説に書きつくされていると思うので、未読の人は確かめて欲しい。

ここでは、作中人物の「佐柄木」の言葉を引用する。
「佐柄木」は自分も患者でありながら、他の重病者の世話をしている青年である。

「人間ではありませんよ。生命です。生命そのもの、いのちそのものなんです。僕の言うこと、解ってくれますか、尾田さん。あの人達の『人間』はもう死んで亡びてしまったんです。ただ、生命だけが、ぴくぴくと生きているのです。なんという根強さでしょう。誰でも癩になった刹那に、その人の人間は亡びるのです。死ぬのです。社会的人間として亡びるだけではありません。そんな浅はかな亡び方では決してないのです。廃兵ではなく、廃人なんです。けれど、尾田さん、僕等は不死鳥です。新しい思想、新しい眼を持つ時、全然癩者の生活を獲得する時、再び人間として生き復るのです。復活、そう復活です。ぴくぴくと生きている生命が肉体を獲得するのです。新しい人間生活はそれから始まるのです。尾田さん、あなたは今死んでいるのです。死んでいますとも、あなたは人間じゃあないんです。あなたの苦悩や絶望、それが何処から来るか、考えて見て下さい。一たび死んだ過去の人間を捜し求めているからではないでしょうか。」

北條民雄『いのちの初夜』


現実を取り戻すための立脚点を探さねばならない。

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