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活字は好きですか?!

私は自他共に認める活字中毒者です。画像通り語彙力のないオタクなのですが、今は特に2次元男性アイドルオタクですね。

小学校高学年の頃から推理小説にハマり、高校に入り今で言うラノベにハマり、社会に出た頃は忙しさにかまけて漫画を読み漁り、しばらくは漫画三昧だったのですが、次に本を買いだしたのはとある小説雑誌がきっかけでした。それを皮切りに自分の好きな傾向を調べるために色々なタイプの本を一気に中古で買い漁り、わかったことがいくつかありました。

初期に購入した苦手なタイプの本はそのままお返し(全てちゃんと読んでから、販売店へ持ち込み)して処分し、まだ読んでない本も残っていますが、心の病気にかかってなんの気力もなかった私が本を読むことだけは出来たので、ひたすら本を読み続けました。半年で110冊を読み切ったこと、同じ本を複数回読んでいたのでそれを含めるとその倍くらい読んでると思いますが、なぜ本は読めるのに他のことが全く出来ないのか、本当に謎でしたが、ひとつのことは出来るけれど、複数のことが同時にできる状態ではなかったんだと思います。

もちろん料理することも出来ませんし、目の前に食事が用意されなければ食べることもできる状態ではありませんでした。空腹感はあるけれど、『ない』なら『ない』で水分だけ取っていれば生きていける、といった状態だったので、意図的ではなかったとはいえ、子供がいる母親の状態ではないとはわかってはいましたが、両親や弟の協力の元でその時は多少の回復を徐々にすることが出来ました。ネグレクトじゃないのか?と言われてしまうかもしれないですが、本当に壊れてしまっていたんです。

現在は、と言うと離婚直後の会社でのパワハラ(?)で心身のバランスを崩した挙句、違う形ではあったものの、色んな要因が重なって心が壊れてしまって、とうとう措置入院させられることになりました。読むことも大好きですが、書くことにチャレンジしてみよう!!というのもありここを始めてみた……というのは建前で、創作は別のところで仕事の休憩時間を利用してやっていましたが、今はお休み中です。プロットができてない訳では無いのですが、ちょっと納得できてない部分がありまして、そこをどのように訂正しようか、というのが今の課題になっています。

それも間違っていませんが、少しかっこよく書きすぎたかもしません。今書いているジャンルでは無いものを書きたくて『悪あがきをしている』という表現が1番正しいかもしれません。私は書物についてはある意味雑食系ですが、基本、1ジャンルの本を集中して読みます。小中学生の頃は推理小説、高校生の頃はダークファンタジー、今で言うラノベというジャンルが区分けされています。『書く』という中で、必要となる知識の為の本を買うことがあったり、ネット検索で調べてみたりすることに時間を費やすことは苦ではないのですが、ストーリーの根本となるものがどこにあるのか、というのが重要になってきます。私は女性向けの少し性描写のあるものを書いています。いわゆるBLというものです。商用BLにはひとつのルールがあります。必ず最後はハッピーエンドであること。最初途中はドキドキ、ハラハラ、ドロドロであればあるほど人気は高めかもしれません。
『薄い本』と表現される同人誌(自己出版)についてはバッドエンドのものもちゃんと『これはバッドエンドです』と表記された上で販売されてるようです。コミケ(即売会)行ったのはお目当ての作家先生がイベントに参加する、ということでBL専門のコミケに一度だけ足を運びましたが、お目当ての先生にお会いすることは出来ませんでした。後にも先にもBLのコミケはその1度だけの参加でした。私自身はネットサイトを借りて、携帯をフリックして書いているので、素人さんのものも読ませていただいてますが違うジャンルのものを書いてみたくなってしまったのです。もちろん書き途中のものを放置したままも良くないのですが、2022年に措置入院してた時にはその手の本は持ち込んでませんでしたので、それまで手に取ったことの無い本を借りて読む。有名作家、芸能人、ドラマの原作になった本などを読んでみるも、ハッピーエンドなのか、そうでないのか?どうも後味がよろしくないものもあったり、スムーズに読めるものもあったり、その本によってそれぞれだが、『その先は貴方が完結させてください』的な終わり方が1番後味の悪さが残りました。結局、この人は助かったの?助かってないの?でも、流れからしてそのままよね…

フィクションのようで、芸能人の本は芸能界の軽い裏側などの描写がある点などを考えると主人公がその人本人だとしたら、そんな結末は迎えていないけれど、読み終えた時に『ニアミスの女王』の湊かなえさんのことが思い浮かびました。どうも、思いっきり苦いものが口の中に残ったような違和感と不快感。こんなことなら文豪の本の方がよっぽど良いのではないだろうか?冒頭しか読んでいなかったが、長女が図書館で借りてきていた坂口安吾の話の出だしはかなりのロマンティストな書き出しだったことに興味を持った。
そう言いつつ、銀河鉄道の夜は漫画で持っている。活字として読んでいるわけではない。そこに絵が入ることで表現されていた言葉の簡略がされてしまっている。『宮沢賢治』という人の文面の特徴を著しく失った『物語』という部分だけが抽出されているものなのだ。

その逆もありで、『漫画』という作品になってるものを文章で描写をし直したら、複数人でその『漫画』を文面化したとしても、全く同じ文章になることはありえないと思うのです。視点をどこに持っていくか、ひとつの所作を取っても同じ表現を使うとは限らない。どんな動きを入れてくるのか、風景描写ひとつとっても全く違う景色になってしまうだろう。その場の空気感、風まで感じられるような文章を書く作家は確かにいる。レビューでも『行ってもいないのに海外旅行をしてきた気分になった』と書かれるほどの素晴らしい風景描写を文面に表せることは1種の才能だとも言えるだろう。

例えば……

まだ肌寒さの残る早春、日差しは暖かいが朝晩の寒さが残る。未だ冬装備の服装ではあるものの、用事を済ませ自転車に乗ってると頬に当たる風は冬の刺さるような冷たさはなく心地いい。その風に乗って甘い香りが鼻腔をくすぐる。視線を向けると梅の花が咲き綻んでいた。まもなく訪れる春の知らせと言わんばかりに白い花が緩やかな風に揺れていた。

体験したことを文章にするのも難しい。その情景を思い浮かべられる文章を書くことができていたでしょうか。フィクションでもノンフィクションでもその空気感を出す文章というのはなかなかに難しいものです。実際は自転車ではなく原付だったのですが、梅の香りって凄いですね、マスクしていたのにふわっと香って綺麗に咲いていました。これから満開になるであろう桜が楽しみです。桜が咲くと雨が多くなり「花冷え」という寒い日がまた来てしまいますが、桜の満開の期間はとても短いが故に「儚い」とも表現されることが多い。散る時の舞い方もとても綺麗なのですが、一気に散るため、花びらの片付けをする人はイチョウの葉と同じくらい大変なようですね。桜吹雪の中を車で走り抜けるのがすごく好きです。現在は所持はしておりませんが……

Simejiの文字盤です

現在私が使っている文字盤がこんな感じのものなのですが、一応、フリックすると桜の花びらが散ってくれます。Simejiの通常の文字盤なので、登録しなくても、VIPじゃなくても使えるとても可愛い文字盤です。Simejiを使ってる方は自分の作ったものが1番だと思いますが、コラボ品を使うようになると、180日という期限付きでかなりの確率で使う前に期限切れになるという残念な思いをしつつ、ここ数年、コラボの文字盤を使っておりました。自作もありますし、動画で作ったものは音声流れてきてしまって外では使えないものとなっておりますが、一応、保存はしてあります。上記の文字盤は期限付きのコラボ品ではないので、好きなだけ使えると思いますが、季節によって使い分けるかもしれません。そう言いつつ、今はキーボードを使って打ち込んでいるので、誤字も多いし、変換しないままになっていたり、読み返すと訂正するところも多いのですが、ちゃんとスタンドに置いて打てばそこまでの誤字は多くはならないと思うんですけどね。(^^;;

長文でなければ、フリック入力もそれほど苦でもなく、タップ入力していた頃よりも楽になっているはずなのですが、速度がキーボードと比べると格段に落ちてしまうので、モーツァルトを思い出してしまうのです。曲が次から次へと浮かんできてしまうから楽譜に書き込んでいるけれど、書く速度と思い描いてる速度が合わないから、自筆の楽譜は雑に書かれていた、という話です。作曲家もその時代時代によって変わっていきますが、個性というのははっきり出るようで、ゲイの方の楽譜の書き方というのは、大体同じような丁寧に書かれているけれど、クセが出るようで、生譜を見れば性癖がわかる、と葉加瀬太郎さんが何かの番組で仰っていたことも一緒に思い出してしまいました。

元々、事務職をしていたので、ブラインドタッチはできるのですが、高校生の頃は強制的に日本語入力をするグループに入れられてしまったので、派遣の仕事をしながらローマ字入力の練習をすると、思ってた以上にキーボードに触る範囲が狭くなるのもあり、格段にスピードアップしましたね。世間が言うようにタイピング速度を上げるなら、チャットをするのが早い、と言いますが、本当にその通りで、文字をトロトロ打っていると打ち終わる頃には話題が次に移ってしまうので、それなりの速度で打っていかないと、読むだけの人になってしまいます。

ここのところ、5000文字以上と自分の文字数を決めて打っていますが、足りてない日も、もちろんありますし、コピペしてる文字も含まれてしまってのカウントなので、それで誤魔化してる感が否めないですね。
それにこだわる必要性がないこともわかってはいるのですが、こういった長文を打つ際にも、タイピングの練習になるかもしれません。ここのところ、文字を打つ、ということをキーボードを使ってやってなかったのと、簡易的なBluetoothキーボードではタイピングの手触りもかなり違いますし、機能も有線のキーボードとは使い方が違うので、慣れるまで戸惑う部分もありましたが、文字を打つ、と言う部分は変わらないので、そこは助かっています。たぶん、ひらがなもアルファベットもなくても、日本語対応していれば文字を打つには問題なく打てると思いますが、数字だけは書いておいてもらわないと手探りになりそうです。今使っているキーボードにはテンキーが付いていないので、どこに1が来て0がどこか、それだけわかれば打つことは可能かもしれません。

キーボードについての説明など、どうでもいいことかもしれないですが、使っていてとても便利だな、と思うことも確かです。指がそれぞれ使えるのに比べてフリックの指はだいたいがひとつの指になるので、その動きにきっと飽きてしまうのかもしれないですね。それでもガラケー時代のキーをトントン押していた頃よりは楽になってるはずなんですけどね。速度の問題はあるかもしれません。

私の世代の学生時代には、メールというものが子供でも手軽に出来る時代ではありませんでした。文章を書く、気持ちを伝えるのに利用していたのが手紙です。今考えると怖いことですが、漫画雑誌の巻末の読者からのお便りみたいなところに『文通相手募集』と住所と氏名を載せていたことがありました。25年くらい前から個人情報管理にうるさくなり、今考えると怖いとも言える個人情報ダダ漏れ時代も存在したんんだなあ、と改めて思うことがあります。

今は学校からの連絡も全てメールで一斉送信で済んでしまいますから。連絡網なんてものも存在しなくなってしまいました。用事もLINEで、単語、スタンプで済ませらる時代です。だからなんですかね、漢字を読めない人が増えているのは。漢字検定1級の字を読め、とは言いません。例えば、私が書いてる文章に書かれている言葉くらいは読めるようにならないと、本を読むことも難しいと思います。本が読めなくても、漢字が読めなくても生きてはいけますが、配信者の大半がふりがなを振ってあげないと読めないとなると、シナリオを読んでいるのに、雰囲気ぶち壊しになってしまうことも。中学を数日しか行ってないうちの子でも、たぶん音読させれば全部読めるくらいの字しか使っていません。私たち母子は嫁に行った娘も含めて紙の本が大好きです。漫画も読みますが、小説も読みます。アニメでハマった原作のラノベを大人買いで渡して読ませたこともあります。内容よりも本を読むということが大事だと思ったからです。ラノベの続編は誕生日に彼女から見て叔母にあたる義姉に図書カードをプレゼントして頂いてるので、自分で購入しています。この春には姉からも入学祝いに図書カードをもらったので本人は大喜びしています。

本を読むことにどうして重点を置いてるか、という部分についてですが、喋る時の文章の組み立て方、文章の書き方、そういったものが身につくからです。ブログだったとしても、読み手がいるものに対して、文章がめちゃくちゃでは伝えたいはずの気持ちが、誰にも伝わりません。こんな感情のままに書き殴ってる私でも、アップする前に読み返しをして『てにはを』の確認くらいはしております。

何かを『読む』ということで、学びになることはたくさんあると思います。ここまでの長文にお付き合いいただいた方も『あれ?ちょっとおかしくない?』と思う私の表現力不足を見抜く方もいらっしゃったと思います。それでも、私は書くことにチャレンジしていきたいと思いますし、どんな形であれ、何かを綴り続けていくと思います。たとえ、小説であっても、このnoteであったとしても。

長文お付き合い下さりありがとうございます。新たな愚痴はまた自分語りすると思いますので、新しいところで。

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