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人生を楽しむ秘訣は誰もが知っているが実行できないだけでいる。

最近、自分の中でも色々消化し始めてきたので、
流行に乗れなかったTwitterことX、
それと地元を一度離れて東京に出てきた頃、
一旦は完全に全員と縁を切る事にして、
立ち直るためには必要だったが、
それまでは毎日誰かからは連絡が来ていた
生活は一変した。

もはやスマホを持つ意味も無いほど、
私は孤独になったが、誰かと毎日会っていた頃と
比べると、最初の数ヶ月は一人の時間が
増えて、正直楽だった。

しかし、それも長く続くと分かっていた事ではあるが、
人間は人間との繋がりがなければ、精神的に良くない
ものだと実感した。

暫くはゆっくりして、再出発が出来る程度までになり、
正直、何も考えられなかったので、仕事に復帰した。

そして、最初は区の職員であった保健士さんと話す提案を
出してきたが、私は断った。
歴史書のように、段階を追って話していかなければ、
何故そうなったのかを話す事ができなかった。

それを軽くざっと頭で考えただけで、大きなため息が出るほど
難しいことであった。

人の許容範囲はそれぞれに結構な差はあるが、
私以上に問題を抱えている人などいないのが現実で、
それを背負わせるのは苦痛でしかないものだと
思っていた。

それに異世界に行ったような有り得ない話まで
掘り下げる必要があったので、
自分の精神にも影響が必ず出るという事も
含めた上での決断だった。

しかし、何事でもそうではあるが、外見から見ただけでは
何も見えない。

大勢の偉人たちの言葉にもこうある。

「大勢の人は見かけに騙されるが、
賢い人だけは見かけで判断はしない」

これには肩書も入っている。
私の父は医者だと言うだけで、賢い人だと勘違いする
人は大勢いた。

その他、名医としては日本でも有名な伯父であっても、
当たり前の事を知らないでいた。

それはつまりは医学に関しての知識はあるが、
それ以外に費やす時間が無かったので、
勉強は出来るが、賢い人では無くなる。

この場合、問題が発生する。
これは昔からある手で、
今でも使われているやり方である。

多くの偉人の言葉にもこうある。

「自分の子供に自分が受けた教育をしてはならない。
何故なら時代が違うからだ」

このように真に賢い人たちは、職種は違っても
同じ答えに行きつく。だからイチローや松岡修造も、
昔からある偉人の言葉を、体験により知り、
言葉としている。

しかし、言葉から始まる人には理解できないものである。
それほどまでに「頑張り続ける」という事は、
簡単なように見えて、一番難しい事であることは、
実行した人だからこそ、体験して初めてこの言葉の意味を
知ることができる。

言葉からでは、この言葉は理解していないのと変わらない
ものである程までに、大変な事なのだ。

子供の教育では、どんなに長くても三代目までが限界である。
私は四代目だから分かるが、やはり時代の変動は徐々に
動いてはいたが、一気にネット社会になり、多くの事に
影響を与えた。

しかし、親の言う通りに生きた人は、お金持ちではあるが、
自分で考えることなく、親の言うままに育つため、
勉強はできても、知識も浅く、頭は賢くならない。

その人たちが子供に教育するやり方は、自分がされたやり方を
真似していくのが、外には知られる事はないが、現実の世界である。

誰もが最初は抵抗する。しかし、力でも何に於いても適わない。
だから99%以上の人は、そうして受け継がれてきた。

反抗したのは私が知る限りでは、やはり小学生でありながら
首吊り自殺をした兄弟であると言える。
彼らの悲痛な痛みを世間に報せる為には、死ぬ事によって、
意地を見せつけるしかなかった。

私も虐待を受け続けてきたが、中学生になってから一気に
前面的に反抗期に入った。
子供の頃から虐待を受け続け、そして力で勝るようになった
時は今でも覚えているが、私に殴りかかってきた空手をして
いた父の拳を掌で受け止めて握った。

それ以後、力による虐待は無くなった。
しかし体裁だけしか考えない母親も相当な厄介な人物で、
カウンセラー等に話したが、やはり理解ができない人だと
言われた。

私は小学生の時に母親が私に嘘をついて、騙して勉強
させた事が発端となり、私は勉強ができなくなった。
それまでは全国模試でもトップクラスだったが、
疑念を抱いたため、何が正しいのかが分からない子供に
なってしまった。

本当は100%の正解等は無いのが現実ではあるが、
嘘を嘘で誤魔化すので、嘘が蔓延しすぎるためと、
頭は弱い母親であったので、自分で言った嘘を
次の日には忘れていた。

正直、寒気がした。目では本当に覚えていないと
分かったからだった。

重要なことから、小さな事まで嘘をつき続けた末路は、
人生自体が嘘の塊となる。
それは人格形成にも大きく関わり、
人間は歳を重ねても、何も無い人は大勢いる事を
知った。

私は父母からまともな事は何一つ得る事は無かったが、
その対極に位置するほど、異常だったため、
それがどれだけ恐ろしいことかを
知ることになれたので、
ある意味では良かったが、
弟は完全に精神がやられていた。

私の実家は広くて、90坪ほどの4階建ての家で、
天井を高めにしているので五階建てのマンションよりも
高い家なので、一週間程度なら合わなくても不通だった。

ある日、たまたま夜中にトイレに行こうとした時、
下の二階から微かな声が、三階の階段あたりで
聞こえてきた。

怒鳴り声であったが、それが分かったのは二階の階段まで
下りた時だった。弟は精神がやられていたので、携帯すら
持っておらず、子供の頃からおかしい所はあったが、
母親はとにかく勉強と習い事ばかりやらすだけであって、
精神的なケアなど一切無かった。

逆に私や弟が嫌がったら、父親に言って殴って言う事を
きかせられていた。
教育の全ては母親に任せて、虐待は父親がしていた。
何度も言うが父は小児科医であったが、
実際はそんな人間だった。

兄弟仲も悪かったが、母親は家庭教師から塾、習い事に
対して、殴っていいと許可していた。
そのため、一番酷い塾では、私と弟が初めて意見が一致
したほどの酷い塾で、日曜日に行っていたのだが、
まずテストをする。

私と弟がテスト中には、個室に入ってSEXをするような
塾だった。それが塾の経営者の男性と講師の女性だった。

1点につき1発、太ももを分厚くて長いプラスチック製の
定規で叩かれた。80点なら20発だ。
小学生が耐えられる訳が無い。

しかもその定規が一度折れた事がある程、思いきり
叩かれていた。
私と弟の中に父母への悪意が生まれたが、子供なので
何もできないまま、文句を言えば殴られ蹴られ、
拷問部屋に入れられたが、心の中ではずっと思っていた。

「絶対に立場が逆になったら許さないと」

だから私は医者にもならず、反抗した。
父母ともにどうしようもない奴等だった。
最後の最後まで愚かであった。

弟は子供時代は霊感があったようで、
喧嘩などは非常に強い弟であったが、
よく怯えていた。

自分の部屋の隅に何かがいると言っていたが、
私には見えなかった。

そしてその弟が二階の食堂で、誰かに怒鳴っていた。
最初は誰かと電話で喧嘩してるのかと思ったが、
ゆっくり近づくにつれて、怒鳴る弟と、それに対して
謝る弟がいた。

最初は何がなんだか分からなかったが、
暫く静かに聞いていると、気配のようなものを
感じるのか、急に静かになって他の部屋へ入って行った。

暴力性も高く、父親の力は通用しないので、
母親は汚い行動に出た。

強制的に入院させるようになった。
5人くらいの男が来て、弟を押さえつけて注射をして
何処かに連れていっていた。

それに対しては良いことだと思った。

しかし、母親はさっきも言ったが、実に愚かな人だった。
自分の言う事を聞くなら出すと言ったもので、
病気を治すために入院させていた訳では無かった。

根本的に治さなければならない事であるのに対して、
そういう考えは無い人だった。

普通なら暫くは会いには行ってはいけないのに、
翌日から二人の家政婦を連れて、精神病院に行って、
外に出かけるようにして、弟と母は二人で食事をしたり、
映画を見たりさせていた。

それも毎日だった。
ただの汚い権力者である事は知っていたが、
ここまで酷いとは当時は知らなかったので、
注意をしたが、言う事は聞かず、
当然、弟の方は病院から出たいために演技をして、
母親は本当に愚かで、
たった数日で治ったと弟が言っているから、
退院させたと言っていたが、当然、治っている訳は
無いので、暫くするとまた暴力性が出て、大きな
冷蔵庫を殴りまくって何個も壊したりしていた。

母親は再び、強制入院させ、その繰り返しだった。

普通なら精神科医も強く言えるのだが、医者相手には
強く言えないという暗黙のルールがあるので、
無駄な事を何回もしていた。

精神科医も「退院させるのは危険です」と言っていた
らしいが、当たり前だと思った。
しかし、母親は自分の思う通りに生きていた。

弟は母親の血が濃く受け継がれているようで、
二人とも色々な意味で危険な人たちだった。

正月には最低1日は、うちに来ていた幼馴染は、
私によく言っていた。

「家族なのになんでそんなに仲が悪いの?」

私の中では家族とは何かは未だに分からずにいる。
映画や海外ドラマ等では特に愛のある関係が
見えるが、私の生きてきた現実の世界には無いもので
あったので、「家族」を問われても分からない。

親族すらも酷い連中の方が多い。
しかし、海外ドラマ等ではあれは本当なのだと
思う。

現実的に考えても、あまりにかけ離れた話にすれば、
受け入れられないからだ。
つまりは、ああいった愛のある親族とかも現実だと
言う事になる。

しかし、体験してないので、「親」から連想される
言葉は、「嘘」「虐待」「暴力」「権力」「頭が悪い」
等の言葉しか出て来ない。

私は別に親というか、一緒に住んでいた人という
感じでしかない。カウンセラーさんに
「良い想い出とか、一つくらいあったでしょう?」
と問われたことはあったが、暫く頭の中を探してみたが、
すぐには出て来なかった。無いから出てこないのは
当たり前だと言える。

クリスマスには分厚い参考書や、勉強の本が三冊ほど
送ってくるサンタさんなんて夢も希望も無い。

今でこそ笑えるが、当時はショックだった。
毎日塾とか掛け持ちの上、習い事もさせられてたのに、
「まだですか?」「終わりはないんですか?」
と思ったのは覚えている。

そんな世界でも強く生きていた。
しかし、一度は完全に壊れた。
だからこそ、色々な事が新たに見えたが、
失ったものも多くある。

そんな中、1年半前にカウンセラーさんの勧めで、
noteを始めた。

最初はピアノを子供の頃少し習っていたし、
私は元左利きの今では両利きに近いので、
ピアノに最初はしようと思っていたが、
過去に触れることになると思い、思い直した。

そしてnoteを始める事にした。
今ではやって良かったと心から思えている。
私の日課の一つとして存在している。

人は何か、心が欲するものをする時には、
苦悩することもあるが、乗り越えられる。
自分が求めて始めたことである以上、
それなりの覚悟はしなければならない。

しかし、現実は厳しいし、人間も弱い。
だからこそ「頑張り続ける」ことの難しさと、
頑張り続ければ必ず、成長できる事を体験した
大勢の偉人たちが口を揃えて、いつの時代でも
変わる事のない不変の言葉として、伝わり続けてきた。

私も心に誓った以上、絶対に守ってやると
思っている。何事にもリスクはある。
この場合は、自分に負けた場合、大切なものを失う
事になる。

人は逃げ始めたら、きりが無い。
逃げる人生なんて面白くもない。

それを皆は知っていても、実際に行動に移せない。
漫画の主人公や、人気のあるキャラクターという
見本があっても、実行するのはまた別になる。
キャラクターの内面では無く外見や見えやすい所だけ
しか漫画や映画では出さないことが多い。

本当に理解しているのであれば、
頑張れるはずだ。
今も、自分の中で再確認したが、そうだと思った。
現実の厳しさの中で生きて自分自身で満足を
したいのであれば、頑張るしか道は無いのだ。

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