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私 、と。 言 と 葉 。



わたしについて、綴ります。


はじめまして。
madoka といいます。
5歳の息子と主人と暮らしています 。
7年ほど前に大阪に引っ越し、
初めは馴染めるかな、、と不安もありましたが、
みんながおおきに〜またね〜と
優しく声をかけてくれて
心配りが素敵な方がたくさんで。
元気いっぱいだけどとってもあたたか。
今ではこの街と人が 大好きです。

そんな私は産まれたとき、
生死をさまよい
多くの人に助けていただいたそう。

管だらけの小さなわたしを上からのぞきながら 、
「誰よりも頑張って生きなさい」と
祖父がやさしくお話してくれた光景 を
わたしは今でも覚えています。
不思議だけれど、
この記憶はなんともうれしいものです。

まどか は
漢字をあてると、円 
まあるい心で優しく、
相手の気持ちをたくさん感じられるように。
出逢う人とのご縁を大切に、
そのつながりに感謝できる子になるように。
そんな想いで父と母はこの名前を贈ってくれたのだそう。

そう思うと、わたしはいままでに、
いのちや気持ち、言葉 について
ぐっと考えさせられたり、惹かれ、
ひき込まれることが多かったように思う。

過去には
息ができないような苦しい出来事もあった。
私にはいのちがあるから感情があって、
いちいち反応して苦しむ。
それなら命がなくなれば、、、と。考えた日も。

だけど、息を止めればまた空気を求めてしまうし、
生きる意味のないわたしなのにお腹は空くんだ。
心と反対に体は生きようとする。
それが苦しかった。

でも。そんな状態でも。ぼろぼろの私でも。
「あなたが一番かわいい。何もできなくていい。
ただ、生きていてほしい。あなたは何にもかえられない宝物なんだから」と優しく、でも力強く。
母はいつもわたしの背中を洗いながら伝えてくれました。
そして父は、自分を犠牲にしてでも人の幸せを願う人です。
「これ一緒にたべよう」とあまいものを二つ買ってきては、
何を話すでもなく、
涙をたくさん、たくさん流しながら
一緒に食べてくれました。
何を食べても味を感じなかったわたしが、
父と食べたおまんじゅうは
あまい。おいしいね。と思えたのは、
涙の塩味が甘さを引き立たせていたのと、
父のやさしい心にくるまれたからだと思う。

壮絶な日々に、
両親がくれるひだまりを一生懸命に探し、
感じ取りながら、
生きていていい。
明日は今日より少しだけよくなる。
と根拠のない期待を抱いて、
すこしづつ前へ進みました。

進路を決めるとき。いろいろ興味はあるけれど、
いのちに関わる仕事をしたいという気持ちは根強くありました。

看護師になってからは、高度救命救急センターでの救急看護や集中ケア、保育園でハンディのあるお子さんの医療ケアをしました。
時には産業保健師として保健指導をしてきました。

お願い!生きて!まだいかないで、、
と手を握ると、
またピピピピと戻ってくるいのち… 
他人によって失われたいのち 
自分で失ったいのち…
ハンディがあるということ
身体や心の悩みは大切な人にほど話しにくいということ。
いろいろないのちのカタチをみた。
そして 生きる。
についてたくさん考えた。

命ってなんなんだろう。
生と死の境界線ってなんなんだろう。
やっぱりわからなくなったりもした。

でもこれだけは言える。
夜おやすみって眠って、
朝おはようって目が覚めること。
行ってきます、おかえり。
これは 当たり前じゃない。
奇跡だ。
そして、
他人のいのちのために人がこんなにも必死になる。
人が無条件に人を想う。
それが本当にあたたかくて、素敵だった。

わたしが少しづつ前に進み、巡り合えた人たちは、
同じように苦しい過去をたくさん経験し、
だからこそ幅広い感情を持っていて、
心と心で会話ができるような、
やさしくてあたたかい。
尊敬できる人たちばかりだった。

踏みつぶされた私の命は長い歳月を経て
固くて暗い土の中からやっと小さな芽をだした。
やさしくて向上心のある人たちが
毎日心地よい言葉のシャワーをかけてくれて
わたしは少しづつ前へ進むことができたと思う。

そして向こうの世界でなくても、
今生きるこの世界で。
また、心から笑うことができた。

自分が心から変わって、
そして 周りが変化して 
他でもない 自分 を心から認めてあげることができたとき。
私は生きていてよかったという想いが心から湧いてきて わんわん泣いた。

人を好きになることも 子供をもつことも
許されないと思っていた私は、今。
こころからぶつかり尊敬できる主人と共に日々を過ごし、
何にも代えられない宝物を抱いて生きている。

数年前、エネルギーに満ち溢れた裸の息子を抱いた。
体全体で感じたあの感動を未だに忘れられない。

いのちって。いきるって。これだ。

ものすごい奇跡で生を受け、
命がけで産まれて、そしていま、生きている。
泣いている。動いている。私の胸に抱かれている。
こんなにすごいことを。こんなに素敵なことを。
みんな、みんな してきたんだなあ。

いのちは私を苦しめたけれど、
生きる力をくれたのも いのち だった。

わたしは息子の誕生を見たとき、
もっと頑張りたくなって、もっと生きたくなって、
今生きていることに心からありがとうを言った。
本物の性を知って わたしは もっと強く生きたくなった。

あのとき死を選ばず 生きる を続けてよかった。
わたしは 心から そう言える。
この想いを伝えていきたい。

結婚、妊娠、出産を経て、
育児をしながら日々をいとなむ中で、
わたしには新しい気持ちが浮かんできた。
でもそれは突然ではなく、わたしをめぐるいのちが
そうさせた、必然的に育んだ想いなのだとおもう。



`言と葉`(こととは) とは。


言葉は私が常に気にかけて、
大切に、大切にしているものです。
言葉は人を苦しくも幸せにもします。
辛い言葉は心にシミとなって残り、
どんな強い洗剤で洗っても擦っても永遠に消えることはありません。
そんなことを、心底感じながら生きてきた。

だからわたしはあの時誓ったんだ。
思い出して震えたり苦しくなる言葉ではなく
優しくてやわらかい言葉を聞いたら、
まどちゃん、、 って 思い出してもらえるような。
そんな人になりたい。

きつくて悲しい言葉によって心が揺れ動くのではなく、あたたかくて涙が出るような、優しさいっぱいの言葉で揺れ、くるまれるような時間をみんなと過ごしていきたい。

私が伝えられることは決して大きくて素晴らしい事ではないかもしれない。
けれど、苦しかった出来事から学び、得たものが私はとてつもなく大きい。
今では、それじゃダメだよ、変わる時だよと気づかせてくれた、あの出来事に感謝している。
だからこの経験と想いを、そしていのちのおはなしを。

まだ勇気がいるけれど…どきどきするけれど。
それでも。
どん底にいた私が命がけで生きる奇跡や生きる希望を伝えていきたい。
言葉や気持ちに向き合うきっかけを作っていきたい。
お料理や手仕事を通して、あたたかくてほろっと笑みがこぼれるような。
また前を向けるようなひと時を届けていきたい。そんなことを思うようになった。


… 言葉
コトバの漢字はむかしむかし、「言」の一文字でした。当時は「言(こと)」と「事(こと)」の関連性が強く、「言ったことが現実になる」と考えられていたそう。
奈良時代には、「言羽」となったそうで、言に羽が生えて、ことばがゆらゆら飛んでいるような姿を想像してしまいます。
心地よい言葉は心地よい未来に繋がっていて、そして口から出た言葉や、綴られた言葉というものは、どこまでも飛んで広がっていくと、昔も、ネット社会の今も、変わらず同じように言葉のもつ意味を捉えていたのだなあと思うと、わたしはなんだかほっとします。(わたしの解釈です)
そしてその後「言葉」に葉という字があてられるようになったのは、
「木の葉を見ればどの木かがわかるように、
話すことであなただとわかる。」からだそう。

言: 言葉ともの事に紐づき、言葉ともの事を大事にする時間を。
と:    and
葉: ひらりと落ちている葉をみたら、これはまどちゃんの木だ。とみんながわかるように、私自身が努力を続け、大きく、あたたかな木になり、たくさんの葉をつけて心地よいひとときを届けていく。

そんな想いで  言と葉
と名付け、活動を始めました。

生きることが辛くて苦しい日々を過ごしている人へ。
暗闇にほわんとあたたかな灯りをともし、
でも簡単には消えない強くて凛とした一筋のあかりが灯るように。
頑張りすぎてピカピカの光は、しゅーっとやさしい灯りに緩められるように。

いのちのおはなしをしていきます。
今後、お食事会やお料理教室など、
お料理を通しての時間もつくっていきたいな。と思っております。

また、わたしの好きな古いものや手仕事。
暮らしのことや、日々の気持ちをもの綴りしていけたらと思います。

よろしくお願いいたします。

読んでくださり有難う御座いました




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