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ChatGPTが浸透した未来における人間の価値とは③

④0から1とか、創造とか、考える力、といったバズワードの意味のなさ

AIという概念が出始めた頃、というか今でもこのような言説を耳にします。
「人間に残るのは、創造だ」
「0⇒1を作ることこそ人間の価値」
「考える力は今後も重要度を増す」

これらの言説に対して、大きく2点疑問がわきます。

1)そもそも、「創造」とか、「0⇒1」とか、「考える力」とか、どのようなことを指している単語なのか?
個人的な感覚で言えば、バズワードに近いと思っています。

つまり、学術的な定義や、自分なりの定義を持っているわけではなく、どっかで見たことのある単語を、特に意味も考えずに使っている、という状況なのではないでしょうか。
感覚的には、「民主主義への冒涜」とか、「論理思考」とか、「偏差値」とかと似た類の使われ方だと思います。

たしかに、上記単語に対して、学術的な定義を理解している方や、自分なりの定義を確立された方もいますが、
私が知る限り、そういった方は上記のようなバズワードは使いません。
自分なりの言葉に置き換えて、そういった概念をお話されます。

とりあえず、その言葉の持つ意味・力を咀嚼せずに、とりあえず人間の専売特許のような形で、「創造」とか、「0⇒1」とか、「考える力」とかを使ってしまう人の言う言葉や示唆は、表層的なものに留まる気がしてなりません。


2)「創造」とか、「0⇒1」とか、「考える力」は、果たしてAIが代替できない領域なのか。

おそらく、そんなことはありません。
こういった言説は、そうあるべきだ、という人間としての希望に立脚した意見だと感じています。
そもそも、アイデアや創発のプロセスは、アメリカを中心に学術的に検証されています。
それら学術的な見解を大まかにまとめてしまうと、
A)発案したい対象の領域に留まらない情報のインプットがあること
B)自然や散歩など、創発行為から離れたリラックスできる時間を持つこと
C)他分野の人間と定期的な意見交換の場を設けること
です。

Aの情報のインプットに関しては、AIが圧倒的に人間を上回ります。
Bに関しては、AIがそうした行為を持つ必要があるのか、現時点では定かではありませんが、長期記憶機能の使い方によっては、そうした時間を設けることができます。
(そもそもBのような、情報の醗酵時間が、AIに必要なのかは分かりませんが)
Cに関しては、AI同士での議論や、人間とのキャッチボールで十分可能でしょう。

したがって、創発、といった行為自体、AIが圧倒的に特異なのではないかと思われます。
(現に、アイデアの羅列、ブレーンストーミングはAI任せにしている組織も出てきています。)

となると、希望的観測である、
創発は人間の営為だ、
という思いこみに固執するのは健全ではないと私は思っています。


以前の投稿にも書きましたが、人間の価値として、
身体を介した情報理解・技巧の習熟は残り続けます。

仮にロボット技術とAIが見事に結合しようとも、
人間が行きつく極致、に対しては、やはり人間は感動を覚えるものです。

だからこそ、AIが生まれたにもかかわらず、人間の価値は理性であり知性であり創造的行為である、という認識に拘泥するのは、いかがなものでしょうか。

コンサルに身を置くものとして、もともとケース面接やフェルミ推定に意味があるとは思っていませんでしたが、一層と意味がなくなると思っています。

それよりも、
・特定領域に対する専門知見の有無(=視点を有する)
・コミュニケーションを行う上での感じの良さ
・ChatGPTを使うことで得られる的確な質問の創出能力
・足で稼ぐ姿勢、フットワークの軽さ
といった基準で人を採用する方が時代に合っていると思っています。

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