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変わっていく母 6

正体がわからないウイルス

2020年、冬。日本に正体がわからないウイルスが入ってきた。
雪まつりの後、感染者は増加した。

北海道は「緊急事態宣言」を出した。

今まで経験したことのない異様な状況。

咳もくしゃみも安易にできない。
熱が出たと言えない。風邪もひけない。

冬だし風邪ひくよね。と友人と話したことを覚えている。

高齢者が感染すると重症化する可能性が高いと、特に注意となった。

高齢者の施設も、各々対策をとる。
面会禁止の施設が多かったようだ。友人の知り合いは面接できない間に親が亡くなってしまったと、とても悲しんでいたと。

母の施設は面会ができた。20分。
部屋に行くことができなくなってしまったが、会えるだけありがたいのだと思うことにした。

少しがまんすれば収まるだろう。早く収まってほしいの願いもむなしくコロナウイルスは世界中に広まった。

母との会話

部屋に行けない状態が2年以上続いた。母が認知症なのはわかっていたし、今までもかみ合わない会話はあった。でも、最近の母との会話に違和感があった。

認知症が進んだのだ。部屋の様子が見れないことは本当に困った。
会話だけだとわからないことがある。一番最初も部屋の様子の異変で母の変化に気づいたのだ。

2023年。母は救急車で運ばれた。

施設の方が部屋に行くと部屋中血だらけで、母は意識もうろうだったらしい。

鼻血だった。高齢者はそのまま亡くなることが多いという。(後から知った)

でも母は復活した。
全体の検査が終わった後、耳鼻科の受診。

母は、鼻血を出したことを覚えていなかった。
認知症が進んでいるとは思ったが、ここまでとは。

鼻血の原因は、鼻をひっかいてしまったことだった。
傷があるので、さわらないこと、毎日軟膏をぬることを指導された。

でも、認知症なのでさわらないができるかどうか……
医師は「ずっと見てくれる人はいないですか?一人の時間があるとまた触って出血する可能性があります」

「施設の方に軟膏はお願いできますが、ずっと見ていることはできません」と伝えると、「この状態でそれは問題がありますね」と言われてしまった。

ずっと見ているなんて不可能だ。医師の言葉に落胆したが、母の症状の進み具合にもっと落ち込んでいた。

母は診察台の上でニコニコしていた。



ベテラン耳鼻科医に救われる

施設に戻り、軟膏をぬることをお願いして帰宅。

それからまた、鼻血を出したため病院へ行くように言われ夜間救急病院へ連れて行った。

今回診てくれた医師はベテランの方だった。
実は前回の医師は研修医だった。指導医が横について指示を出していた。
その時にポリープがあるから一度検査しましょうと言われていた。

今回もやはり傷があるとのことだった。

数日前からのことを一気に話した。ポリープのことも、研修医だったことも。

「僕も研修医だったことがあるから、研修医が悪いとは言わない。でも何十年も医者をやっているから言えることもある。これをポリープと言うならみんな検査しなくてはならないと思うよ。大丈夫。軟膏もぬらなくていい。認知症の方には鼻に意識を持っていかないようにした方がいい。軟膏をぬるとそのたびに鼻を意識してしまう。自分もさわってしまうよ。忘れてもらうのが一番いい」と。

泣きそうになった。前回の受診はなんだったのかと思ったが、ポリープへの不安も解消され、日常での注意点まで。今日来てよかった。その医師の病院に行きたいことも告げて帰ってきた。

その日から母は、鼻血を出していない。
母の認知症の進み具合をわたしに知らせるために鼻血を出したのではないかと思ったできごとだった。


備忘録として書いています。母は今施設で生活しています。


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