橙かなこ

だいだいかなこです。日常で感じたことを感じたままに書くのが好きです。

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最近の記事

創造のエネルギー

それはくすぐったいような 大好きな人に愛されている時のような 「も〜困ったなぁ」とおもわず照れ笑いしてしまうような 圧倒されながらも嬉しく受け入れている そんなこそばゆいエネルギー。

    • 在ること自体が大吉です

      20代の頃、お伊勢さんにお参りに行った時の話。 当時、お伊勢さんが何たるかを知らなかった無知な私は 「おみくじはどこですか」と授与所の方に聞いてしまった。 (お伊勢さんは国の安寧を祈る場で、個人的なのとはちょっと違う。) 授与所の方は丁寧に教えてくださった。 「おみくじはないのですよ。 伊勢に参られたこと自体が大吉ですよ」と。 「へえー」とは思いつつも当時はあまりよくわかっていなかったと思う。 でも、この出来事はよく覚えているので若かりし私の心のどこかに触れたの

      • 詩・まぁるくまるく

        えらく背伸びをして 物分かりのいいふりをしたもんだ。 器の大きな完璧な人間に憧れたのだろう。 物分かりのいいフリはフリで 腹の中に未消化なものは溜まっていき 吐き出す吐息と言葉は目も当てられません。 それでも自分の弱さに向き合うのは 一番避けたいとこなので 全力で目隠しをします。 自分と同じ価値観でいてよ そしたら見なくて済むじゃない。と 幼い要望を撒き散らしながらでも。 自分と対極にあるように見える人間がいてこその。 いてこその。 そうしてどんな

        • 正解不正解

          「正解」を追い求めて 体はカチコチに固まります。 先が見えない、わからないという不安から 「正解」へ安心を求めます。 ところがもうあの頃の学校のテストとは違い 「正解」などというものはなく 今あるものに沿うという選択をしていただけで それは何にとっての「正解」だったのかと冷静になった時 あらまぁ、正解も不正解もないじゃない。と我に返ります。 我に返ったら返ったで こりゃぁもう誰のせいにもできないねぇ。。となるわけです。 勇気のいることだねぇ。。 なんと

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          えてふえて

          ふと見ると引き出しが2センチほど開いている。 3段あるうちの上から2段開いている。 犯人は私だ。 なぜだか昔から引き出しを閉めきるということに気がいかない。 タンスのような大きなものになると、 階段みたいに段々に開いていて、我ながら見事。と笑ってしまうこともある。 外出先から帰ってきて目にした時には、 泥棒でも入ったのか?と一瞬誰かの仕業のような気になる時もある。 思えば、 私は物事を始める勢いはあるが、やり切るということが苦手だ。 新しいことを始めるのは好きだ

          今年もありがとう

          長い長い冬を経て 今年も見事に咲かれましたね。 とても綺麗ですよ。 ありがとう🌸

          今年もありがとう

          白髪と静電気

          テレビを見ながらボーッとしていると 甥っ子が往年のトレンディードラマのようなバックハグをしてきた。 その瞬間、2人の間に静電気が走った。 3歳の甥っ子は静電気の概念がないのかキョトンとしていた。 「パチンてきたね」というと「うん」とだけ。 そしてなぜか私の髪の毛をかき分け、頭皮を調べ始めた。 「あーわかったぞー」 「このキラキラだー!」となにやら静電気の原因を見つけたらしい。 「このキラキラ」とは そう、私の白髪のことだ。 ある角度から見たら確かにキラキラして

          白髪と静電気

          春に浮かれる

          春って浮かれる。 桜の開花には細胞レベルで浮かれる。 家の近くに桜の名所があり 開花の時期になると大勢の人が集まる。 人々は桜を愛で、写真を撮り、幸せそうに笑っている。 桜と笑顔の相乗効果が織りなす、ベビーピンク色のその世界は 天国てこんな感じなのかしら?なんて思うくらいに眩しい。 今年も無事、そんなユートピアな光景を見ることができる。 まもなく。

          春に浮かれる

          成長

          人生には波がある。 いい時もあればいいとは到底思えない時もある。 でも実はいいとは思えない時は、なにものにも変え難い時間であったりする。 その時間があるから 人は優しく、賢く、大きくなる。

          知らぬ間に虜さ

          近所のスーパーのお惣菜売り場の一角に 美味しそげな手作り弁当を見つけた。 そこのスーパーで作られているものではなく 外部から仕入れているものかもしれないその風貌。 内容はいたってシンプルでメインは白身魚のフライか唐揚げの2種類から選べる。 そしてコロッケやちくわのフライやら副菜やらが入ったノリ弁当スタイルだ。 試しに食べてみると自然な味がして、安心した。 手作り弁当の味がした。 好んでよく食べるようになった。 しばらくすると、この町のみんなもこの手作り弁当の

          知らぬ間に虜さ

          自我が強めな仕様を創造力へ活かす

          この人は生まれついて自我が強めな仕様でできています。 外側はなぜか柔和で、一見すると仏像とアンパンマンを足して2で割ったような穏やか風な人間に見えなくもないです。 が、その実、自我の強い人間なので油断すると人との摩擦を招きます。 凸凹の凸過多な仕様で、出し方の未熟さゆえ、やっちまうことがよくありました。 いろんな場のバランスを乱してきたこの愛すべき自我。 ある頃から自分に呪いをかけ自分を抑圧するフェーズに入ります。 抑圧を重ねるうちに、腹の中にはドロドロしたものを

          自我が強めな仕様を創造力へ活かす

          ファンキーなことで。

          ものづくりに没頭していたらゾーンに入ったのか やたらファンキーなアメリカ人レイモンドみたいなエネルギーが伝えてきました。 認められるために生きているのかぃ? たった一度の人生だぞ? 誰かに理解されて共感されることなんて逆に失敗さ。 君の役目を忘れたのかい? 人に理解されることをしたってそんなのちっともおもしろくないだろ? って。 どこかにいらっしゃる、私と似た特質の、 このメッセージがドンピシャな方にも届きましたら幸いです。 尻を叩かれております。笑

          ファンキーなことで。

          応援しているよ

          困ったことがあり、失望していたら ふと、あったかい言葉では形容しがたいエネルギーを感じた。 なにものかが私を応援している。 …これはなんだろう… そして、はたと気づく。 今日は父の月命日だったと。

          応援しているよ

          怒りは無理解、人を憂うと書いて優

          自分への禁止事項が多かったり、譲れない強いこだわりがあると 自分にとって苦手な言動をする人が絶妙なタイミングで目の前に現れる。 「え?別にそれ禁止じゃないですよ?そのこだわりいりませんよ?どっちでもいいんですよ」という自由への切符を手にして。 若い頃は苦手な人に会う度、否定したり拒否したり我慢したり憤っていた。 我ながら元気だったなと思う。 否定関連は莫大なエネルギーを消費する。 オエオエしながらエゴと向き合い始めたある頃から怒りは無理解という言葉が腑に落ちるように

          怒りは無理解、人を憂うと書いて優

          季節の変わり目は豚汁がよかったよって話

          専門家じゃないからアレ←だけど あくまで個人の経験のお話ということで。 春は気温差や気圧差がすごいですよね。 もぉ〜今年なんてすごい。 自律神経が自律しづらくて困った困った。 そんな時、私は豚汁を作ります。 とにかくタンパク質とビタミンを摂るといいんだけど、豚汁だと手っ取り早くいろんな栄養が摂れます。 ポイントは2つ。 ひとつめは普段では買わないような値段のたっかい赤みそを使うこと。 奮発して100g700円以上するような物がおすすめ。 知り合いの先生になん

          季節の変わり目は豚汁がよかったよって話

          だとしたら平常心

          人間社会というものは興味深い。 人を救いたいと思う者がいれば、救われる役が生まれる。逆も然り。 誰かに必要とされたいと願う者がいれば、困っている者が生まれる。 過剰に喜び続ける者がいれば、妬む者が生まれ 無力だと諦める者がいれば、僕が頑張らなければ!と思う者が生まれるということか。 だとしたら、平常心か。

          だとしたら平常心