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「良いも悪いもない」に脱帽

これまでは良いことばかり起きることが、当然良いことだと思っていた。

良いも悪いもないんだよ。と初めて聞いた時は

「綺麗事だね。良いは良いに決まってんじゃん」なんて思っていたけど

どうやら先人たちの言うことは本当らしい。


嫌なことが起きると気分は下がるし、そのことを拒否したくなる。

ところがだ。
嫌なことの中にはたくさんの良いことが入っていた。

これがいわゆる叡智というものらしい。


叡智はなかなか壮絶だ。
大概苦しみと共にやってくる。

例えば病気。
病気は人間にとってはしんどいよね。

痛いし、苦しいし、やるせないし、心細い…

ただ病気になると病気の人の気持ちもわかる。

体を休めるとは、養生するとは何かを学ぶし

病気を克服すれば同じ病気に苦しむ人に情報を伝えることもできる。

自分がどの程度の力を出していたら無理がないのかも掴めて、自分にも優しくなる。

看病してくれた人のあたたかさにも触れるかもしれない。

逆に誰も看病してくれなくて心細かったら

次に誰かが体調を崩した時に、声をかけてみよう。なんて優しくなれるかもしれない。

考えてみるとたくさんの良いことがある。


他にも
例えば、嫌なことをされたら、、

もちろんその時は、うん、怒り狂うよね。

ただそのおかげで自分が本当に望んでいることもわかるし

嫌なことをされた時に人はどういう気持ちになるかもわかるし

嫌なことをしてしまう人間の幼さも理解し

さらに賢く優しく魅力的になっていく。


そう思うと良いことばかりの人生では体験し得ないことを体験しているとも言える。

実際私自身、幸運が続いた時はまぁだいたい傲慢になってる。

傲慢は傲慢でそこにも叡智があるw


人生で起こることはその人の器によってさまざまだろうけど、

これはどうやら良いことも
一見良いと思えないことも、

どちらも結局、いいのかもしれない。




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