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「国民の修身」
こんばんは。
今日は書籍「国民の修身」(監修 渡部昇一氏)からお話をします。
一年ほど前に、この書籍を購入しました。私は昭和50年代の生まれですので、「修身」という科目もとよりその言葉すら知らなかったし、「修身」の後身である「教育勅語」も社会科の教科書で出てきて知りました。
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そんな私がなぜ「修身」に興味を持ったのかというと、この3年間のコロナ禍で思うところがあったからです。
自分だけ良ければいい、長いものには巻かれろ、拝金主義、上っ面の綺麗事を並べられても疑問を抱かない人々…
コロナ禍以前から、この世界の不自然に気づいてはいました。その違和感が決定打になった。
戦後、日本人は自虐史観を植え付けられてきた、とはよく言われていることです。では戦前の教育とはどのようなものだったのかと思い、手に取ってみました。
天子より庶民に至るまで
私が一番心を揺さぶられたのは、「修身」の前身である「大学」という書物の言葉です。
天子ヨリ庶人ニ至ルマデ、一ニコレミナ修身(身ヲ修ムル)ヲモツテ本トナス
どんな立場であっても、人間としての基礎は同じこと。まず自分自身の人格をつくり、次に自分の家をよく保ち、次に自分の国(領地)、さいごに天下を治める。
現代の日本人は、人間としての基礎工事をすっ飛ばしているがゆえに、様々な問題を抱えているように思います。
現代だと道徳が一番近いですが、道徳で教えてることって、集団や社会との関わりとか、親切心とか、人や物の気持ちになって考えるとかなのですよ。
一見すると良いことを教えているようにも思うのですが、そうではなくまずは「自分」を確立すべきなのだと思います。しっかりと生きていけるだけの自我がない人間が、どうして他者への本当の思いやりを発揮できようか、ということなのです。
これからの教育
今世界的に起きていることは、スピリチュアル的に意味のあることのような気もしますが…分かりません。
ただ、希望は失いたくない。日本がこれからも日本であり続けてほしいと願ってます。
ずっと昔から、なぜか江戸時代に妙に惹かれるものを感じていて…書籍などで想像する江戸時代の人々はとてもいきいきしているように思っていました。
何の構想もないけど、寺子屋をやりたいなあ。
子ども達の未来を絶望的なものにしたくない、と強く思います。
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