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カトリック教会での事件のこととか-留学備忘録②2023/12/9

※これも、担当教員へのメールからそのまま載せています。

生活について

前回メールさせていただいたときと同様、大学の勉強も友人との時間も楽しみながら、充実した生活が続いています。10月末の秋休暇では、カナダに来てから初めての旅行に行ってきました。大学のある田舎町から初めて出てみると、やはり雰囲気ががらりと変わりますね。特にフランス語圏のケベックではアジア人が圧倒的に少なく、まさに西洋の町並みといった景色を楽しむことができました。授業ではグループプレゼンテーションがあったり、そのためのミーティングに参加したり、テストに向けて友人と勉強したりと、そちらも充実しています。聖書ヘブライ語は中間テストの出来が良かったので嬉しくなり、最近は調子に乗って語学学習アプリで中国語、現代ヘブライ語、アラブ語の勉強を始めました。どれも少しずつだけですが、言語学習は会話のきっかけにもなるので、多文化社会のカナダでは色々な言語を学ぶだけ、世界も広がるように感じます。

調査について

肝心の調査ですが、個人的に満足のいく経験はできていると感じる一方、何か結果を出せるような調査ができているかと言えば答えづらいというのが正直なところです。大学のチャペルには定期的に通っておりそこで親しい友人もできたのですが、学内という特殊な位置にあるため普段の礼拝に参加する人数もかなり少なく、調査場所としては適切ではないように感じています。比較的近所にあったプロテスタント長老派の礼拝にはこれまで二回参加し、そこでもかなりの人と親しくなることができました。しかしその教徒がほとんど全員韓国人であり、そのような場所は日本にもあるため、カナダで時間を使うのは少し惜しいと思いここも調査場所としてはふさわしくないように思いました。それでも牧師さんとのお話は楽しく学ぶことも多いため、これからも定期的に行きたいと感じる教会です。

カトリック教会での礼拝

そして先日は初めてダウンタウンにあるカトリックの礼拝に参加してきました。まだ一度しか行けていませんが、市内で最も大きな教会の一つであり、参加人数も多かったため、少し家から遠いですが調査対象としてみようかと考えています。現代的な様式のプロテスタントと比べると聖公会とカトリックは伝統や儀式を重んじる点で非常に似ていますが、細かいところに着目するとその信仰や慣習に大きな違いが見られることが分かります。その一例として、私がカトリックの教会で聖体拝領と呼ばれる儀式に参加しようとした際、少し事件のようなものが起きました。ここで説明すると長くなるので省略しますが※、そこで聖公会との差を知ることができ、個人的には非常に興味深い経験となりました。また、そこで知り合った女性には家族のディナーにも招待していただき、厳格なカトリック家庭での食事がどのようなものか、参加して体験することができました。彼女も含め、私を無神論者であることを知った上で興味を持ってくれ、神や宗教に関して様々な会話を交わしてくれる人が多くいるというのは、非常に嬉しく感じます。

※カトリック教会での件について-2024年6月7日追記
私はその日、大学のチャペルで知り合って以来仲良くしていた聖公会のシスターさんと一緒に、初めてカトリックの教会を訪れました。聖公会、少なくとも彼女の所属する教会では、未信者でも聖体を拝領することができます。聖体とはイエスの血と体を象徴するワインとパンのことで、私は聖公会の聖体拝領において、参加して頂いたことがありました。その日カトリックの教会に行った際も聖体拝領が行われ、彼女に促された(強要ではない)私は、一緒に拝領の列に並びました。その後他の信者と同様にパンを受け取った際、私は”Thank you”と言ってしまったのですが、それが信者でないことの証明となったのです。信者であれば、”Amen”と言うべきだったようです。それに気がついたカトリックの女性は私の手からパンを取り上げ、私に「後で話をしたい」と言いました。その後、私の後ろに並んでいた聖公会のシスターさんが「イエスは人類全員のために命を捧げた」といった趣旨のことをその女性に告げてくれました。それは、未信者だからと言って聖体拝領を断るカトリックに対する批判的な発言です。その場はかなり気まずい雰囲気になってしまいましたが、礼拝の終了後私の席までやってきた女性は私に謝罪と説明をしてくれ、カトリックでの考えに基づいて未信者には渡せないこと、未信者はパンを受け取る代わりに胸の前で腕を組むことで祝福を受けることができることなどを伝えてくれました。また、その後は上にも書いたとおり、彼女の個人的な家族の集まりにも招待してくれ、そこでは様々な話を聞くことができました。しかし、同じ場にいたものの、私の友人のシスターさんは招待されませんでした。この一件で、礼拝に参加する上で自分が勉強不足だった点、そして、カトリックと聖公会との考えの差を明確に知ることができた点とで、大きな学びになりました。

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