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イスラム教に関して学んだあれこれ-留学備忘録③2024/4/12

今回は、これまで観察してきたキリスト教に加え、以前より気になっていたイスラム教についても少し調査を行ったので、それについてまとめたいと思います。

ついにモスク🕌に行ってきた

モスクには教会ほど多数訪れることは出来なかったのですが、留学の後半にムスリムの友人と一緒に行く機会を得ることができました。施設内の案内をしてもらったり、失礼のないように礼拝の仕方なども教えてもらうことができ、非常に勉強になりました。

ヒジャブも実際に借りて着てみたのですが、サイズ合わなすぎて、後で家族や友人に写真を見せたらすごく笑われました…

さて私がモスクを訪れた当時ラマダン期間中であったため、イフタールという断食明けのディナーにも参加させていただきました。ムスリムではない私を温かく迎えてくれ、一緒にご飯を食べ、楽しい時間を過ごすことが出来ました。

今回何度かイスラムの行事に参加した上で一番印象に残ったのが、彼らの温かさです。もちろん人によるとは思いますが、数日間を通して、ムスリムの人々の優しさに多く触れた経験となりました。

しかし、礼拝に参加したり信者の人々と話したりする上で、イスラム教に対する一般的な批判が生じる要因も体感したのも事実です。ただ、これは完全に考え方の違いなので、どちらが正しいなどという絶対的な答えがあるとは考えていません。あくまで私の見聞きしたことを記録として残そうと思います。

イスラム教の家父長制に関して当事者が感じていることと、それに対する私の考え

モスクの礼拝所の中に入ってまず最初に見えるのが、男女の分断です。私は二種類のモスクで礼拝に参加しましたが、部屋が二つに分かれているところは男女で一つずつ使い、分かれていないところでは、部屋の前の方に男性、その後ろに女性が並んで座っていました。

そして、イマーム(礼拝中に説法を行ったりするイスラム教の指導者)が喋るのは、必ず男性のいる方です。また、礼拝の途中でコーランの読み上げを行う際も、男性がメインといった感覚を受けました。

他にも多くの場面で女性が抑圧され、批判を受けることの多いイスラム教ですが、それに対する自分の考えと、当事者であるムスリム女性の捉え方には大きな差異があることを知りました。

女性がヒジャブで肌を隠すこと、礼拝で男性らよりも後ろに控えること、生理中は礼拝に参加できないこと、そのどれもが彼女らの「神聖さ・純潔さ」を守るためである、と彼女ら自身は認識しているのです。

そして、そのように女性が尊敬され、護られるイスラム教を誇りに思っているよう様子が私には見受けられました。

しかしこれは、女性への抑圧と表裏一体でもあります。私自身イスラム教が女性抑圧の悪しき宗教だと思っているわけでは全くありませんが、このような当事者と部外者との視点の差を知ることは、他の社会問題においても重要であるのではないかと感じました。

リベラル国家におけるムスリムの考え

イスラム教に関してもう一点面白いと感じたのが、LGBTに対する考え方です。保守的なムスリムからすればそのような「神に背く思想」は受け入れられかねないのは自明です。

そこで私は、カナダで生まれ育ったリベラル思考のムスリムがどのようにそれに関して感じているのか気になり尋ねてみました。そのときの彼女の答えは次のとおりです。

神は少しの罪は許してくれる。それよりも神を信じるかどうかの方が大事である。

つまり、LGBTは罪であるという概念は根本的にあるということです。その上で彼女にはLGBTの友人も幾人かおり、彼らを尊重しています。神を信じることを大前提とした上で、自分の信じる正しい考えを追求していった結果、神が裁きをくだすのだそうです。

この話を聞いて、信者が宗教と社会思想との折り合いをどのようにつけているのか疑問になっていた部分が、少し解消されました。

※以上はあくまで私の経験に基づく記録です。

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