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月に一度会う関係性を一生続けたいと思うこと

昨日、月一か二ヶ月に一度の「今月どうだった会」があった。

2018年下旬くらいから集まり始めて、人が入れ替わりながら最終的にいつもの3人に落ち着いた。会えなかった月もあるけども、大体10回近くは集まったと思う。

人事、デザイナー、大学院生などのそれぞれのバックグランドを持って本当に関心のあることだけを話す時間は、すごく豊かな時間だったなと改めて思う。

そのご飯会では、自分たちが大事にしている価値観や生き方、働き方を安心できる関係性を通して言語化している。

その時間は、相手の考えを否定せず、判断せず、アドバイスはなるべくせずひたすら聴き続けたり、たまに質問する。誰が言い出したわけでもないけど、自然とそういう集まりになった。

そして、言語化した自分のワクワクする「あり方」や「やり方」を、それぞれ持ち帰り試行錯誤しながら取り組み、また次のご飯会で振り返る。

あまり大したことはしていないけど、1年前を振り返った時、それぞれに大きな変化が起きたと思う。

定期的にあって話をする。日々の生活の不満をガス抜きするためではなく、かつ何か成果を共有する場でもない。

ただただ、明日や数年先をもっと楽しむために、ポジティブな感情で日々のことや未来のことを話すことは、豊かな「生」にはつながっている気がする。

「安息日」という考えが、いくつの宗教にはある。

「ユダヤ教」なら土曜日、「キリスト教」なら日曜日である。例えば、教会に集まって残りの6日間のことを感謝したり、改善したいことがあれば祈りとして神様に伝える。安息日があるから、残りの6日がより豊かになる。

このような考えは、日本人にはあまり馴染みがないのかもしれない。

人によっては土日も働いたり、仕事のことを考えたりしている。そうした忙しい日々の中では、今週あった感謝できることや、悲しかったことなどはあまり大切にできないかもしれない。

でも、探せばいくらでも感謝できることはあるし、辛かったこともあると思う。それらも全部自分を構成するピースなので、一つ一つ拾ってちゃんと感じることは、仕事で成果を出すより大事なことだと個人的には思う。

少し、話がずれたけども、月一であって、ただゆっくりお互いのことを話をする時間は、僕にとっての安息日である。

もちろん、週ごとに休んではいるのだけど、その総括として今月の良かったことや大変だったことを、解決を求めずに話す時間は本当に豊かであった。

来月から沖縄に帰るので、東京で直接会った話すことは減りそうだけど、二ヶ月に一回くらいは会社の出張とかで行きたいし、オンラインで継続したい。

自分にとっての安らげる時間をちゃんと大切にしていこうと思った記録として。

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