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たとえば、石が雲になること。 ─「新工芸入門」のせ物WSレポート

はじめに

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長方形のベッドから起き上がって、四角いテーブルで四角い食パンを食べる。薄っぺたい板をスクロールしながら適当な音楽を聞く。Lo-fi Hip Hopはどこでも定番で外さないとかなんとか、曲に身を任せてまっすぐな道を歩き、高速で走る箱で皆と揺られる。いつもと変わらないルーティーン通りに、僕は今日も大きな直方体の建物に吸い込まれる。きっと明日も、明後日も。いつもなんとなくやり過ごしている毎日の中で、ふと、これでいいのか、と考える。

利便性やシステムは確かに僕たちの暮らしをスムーズにしてくれる一方で、何か大切なことを見えなくしている。壊れたらすぐに捨ててしまうとか、すでにぴったりニーズを叶える商品が予め用意されている、とか。それよりももっと、繕ったり、自分で形づくったり、ものやシステムに主体的に関わっていく姿勢を養うべきではないだろうか。

日常が滞りなく進むとき、僕らは安心感を覚える。思った通りに思ったサービスが受けられる、頼んだらすぐ出てくるハンバーガーとか、電車が時間通りに来るとか、すぐ壊れたりしない自転車とか。便利で気持ちがいい。けど反対に、例えばナポリに住む人たち(のいくらか)は、ものや仕組みがつつがなく進行する状況に対して苛立ちを覚えたりするらしい。大学でお世話になった建築家の家成俊勝さんはそのことについて、こう分析している。

…私が思うに、ある仕組みに対して自分の身体や思考がコミットできずにいると、「そこにいる」という実感が希薄になるのではないか。(『山で木を切り舟にして海に乗る』ドットアーキテクツ)

また、ベルギーの写真家Jessica Hilltoutはアフリカ全土を巡った際、子供たちが道端にあるものを寄せ集めて作った即興のサッカーボールを撮り集めた。(写真出展:『AMEN LOGBOOK』Jessica Hilltout)

「どのボールも小さなクラブのために一生懸命その命を繋いでいた。そのとき、このボールには二つの見方があると気がついた。かわいそうだ、こんなボールでプレーするしかないとは、この人たちはなんとひどい境遇にいることか!そういう憐みの目で見るのか、それとも、これは人間精神の強靭さの証しだと積極的に捉えるのか。この二つの見方である。」(『名前のないデザイン』Works That Work 編集部)

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最初から便利なものよりも、自分で代用したりカスタマイズすることには、人の本質的な部分が映る。その隙が感じられないとき、人は本能的に息苦しさを覚えるのかもしれない。電車に揺られながら僕がモヤモヤを感じたのも、直線的なシステムに生活を乗っ取られているような気持ちが表層したのかもしれない。直線ばかりのこんな世の中じゃ、ポイズン。

寒さの厳しい東北では、擦り切れた衣服にパッチワークを重ねた「襤褸(ぼろ)」が生まれた。それはきっと、「高価な着物」というひとつのシステムに対する抵抗だ。哲学者ソクラテスは、「ただ生きることより、善く生きること」をよしとした。工夫を凝らしたり、最適解を求めながら自分の環世界に対して能動的であることが、彼の言う「善く生きる」なんじゃないかって思う。ただ直線に沿って便利に生きててもそれなりに楽しいけど、自分からモノや仕組みに関わることで世界はもっとおもしろく見える。

1:たとえば、石が雲になること

1-1:「新工芸入門」入門編

とはいえ、ものや仕組みに自分からコミットするにはどうしたらいいのだろう。ここではひとまず、FabCafe Kyotoで展示を行った新工芸舎によるワークショップ「新工芸入門」を参考に見てみたい。

「新工芸入門」 開催概要
■ 開催日時|2022年3月19日[土] ,21日[金] 
■ 会 場 |コミュニティラボN5.5
■ 参加者数|7名
■ 主 催 |新工芸舎
■ 運営協力|Metalium合同会社、FabCafe Kyoto
▼ モデレーター(*順不同・敬称略)
三田地博史 氏(新工芸舎主宰。デザイン全般、電子工作、3Dモデリング。デジタルファブリケーションの生み出すコンピュータとアナログ世界の境界面に現代におけるモノの在り方を模索する。)
小坂諒 氏(新工芸家。デザイン全般、電子工作、ソフトウェア開発。デジタルファブリケーションにより可能になったモノを形作るデータと手法の民主化を追究する。)
浅井睦 氏(まだ手に触れることのできない未知の素材をメタ思考から生まれ出るこの世の存在する全てを材料として取り扱い、素材としてすべての人が触れるようにプロトタイピングを通して素材を提供する事業を展開するMetalium llc.を創業。)

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このワークショップで制作できる「のせ物」とは、3Dスキャン技術を使って石に機能や造形を「のせる」ことができる、新工芸舎の代表的なシリーズ。造形物の石と重なる部分だけをくり抜くことで、まるで石から建物やテープカッターのパーツが生えているように見える。

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画像7かたつむりみたい。

自然物とデジタル技術が合わさって、現代ではこんなことができる。しかも、ただイケてる技術で作ったイケてる物でしょって態度じゃなくて、そこにはちゃんと意味がある。自然物を画一的に加工しなくても、周囲のいろんなものの個性を活かして私たちの生活を構成する一部に取り入れることができる。なるべく自然のままの状態で。

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それに、なんでもない石を見て何かに使えないかとか、魅力を見出してみる作業は、自分からものに働きかける最もプリミティブな方法なんじゃないか。それはきっと、自分の生活に対して能動的になることに繋がるはずだ。このワークショップを、「受け身の思考から離れるための実践」として捉えてみる。

2:やりかた

今回は、「のせ物」制作の手順を二日間に分ける。3Dプリントにはけっこう時間がかかるのだ。手順は以下の通り。詳しい方法は後述する。

一日目…石を選んでスキャン。機能を持たせモデリングするところまでを。
二日目...3Dプリントされた造形物の表面処理と塗装、石と接合し、会場での展示後、参加者全員での講評を行った。

2-1:石と出会う

水切りがしやすそう、キーホルダーがかけられそう、なんでもいい。とにかくお気に入りの石を選ぶ。自分がいいと思う石と出会うことがなにより大事。産地も形も重さもバラバラな石を見てると、どの石にもセクシーさがある。持ったり嗅いだりするとより石と仲良くなれるような気がして楽しい。

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予め作りたいものを考えてきた人もいたけど、「石に触れたことで分からなくなった。」と言っていた。触る、見る、匂う、重みを感じてみる......身体性を伴うことで得られる情報はとても多い。石と向き合う時間のようで、実は石に映った自分を見つめているのかもしれない。

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ある程度選べたら、石に「のせ」たい機能や情緒を考える。石にできないことを考える人、家の壁に沿わせたい人、指輪を置きたい人など、各々の石への意思が垣間見える濃厚な時間。

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2-2:スキャンする

石の凹凸をそのまま画面の中に持っていく。どうするのかと言うと、3Dスキャンである。運命の石と出会えたら、暗室へ。一定の角度ずつ回転するステージに乗せ、各面ごとに光を照射してはね返ってくる光の距離や量で表面の凹凸を追う。1周するのに大体2分弱くらい。

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画像10ディスコのよう。

2-3:モデリングする

スキャンした石をもとに、乗せたい造形物のデータを作る。3Dソフトの減算機能を使って、石との衝突地点をすっぽりくり抜く。スタッフと相談しながら、どう立たせたいか、どんなものを「のせ」たいかを問診スペースで相談。石が倒れるシミュレーションをして重心を見つけたりしながら、のせ物を形作る。

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参加者の相談に乗る三田地さん画像11

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「ここに輪っかを取り付けたくて」「この向きで立たせたくて」、参加者の意欲は止まらない。それに対して「いっちょやってみますか。」と意気込みながら即興でモデリングを起こす三田地さんや小坂さんを見ていると、みんなが能動的で、ああいいなあと思った。「作る」にみんなが能動的で、そんな空気が健康的で。誰も無頓着ではない感じ。石を通して自分と向き合う参加者と、それに全力で応えるスタッフ。気合のモデリングは続く。 


2-4:サポート除去、ヤスリ、表面処理

ここからは二日目の出来事。プラモデルでいうところのランナーから取り外して、積層痕を目立たなくする表面処理の工程。皆、話しかけるのも申し訳ないくらい黙々と作業していたので、ひたすらシャッターを切った。

 


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いくら便利な3Dプリンタといえど、仕上げなくして細部に神は宿らず。サポートの凹凸や積層痕をやすりがけし、サーフェイサーで埋める、やすりがけ...を繰り返す。工芸的な所作がそこにはある。画像23

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実はこれらの出力物たち、中1日空いた日曜日に、新工芸舎の方々が猛スピードで出力したもの。一回にかかる時間は6時間ほど、失敗が許されるのは1回まで...。今日は寝られないなあと笑いながら一日目を終えた新工芸舎の方々を、尊敬する。

2-5:石との接合

いよいよのせ物が生まれる瞬間。普段は瞬着の接着剤を使うらしいのだが、つけるところを間違えた瞬間に終了してしまうため、今回は弾性のあるゆっくりめのものを使用。木のへらを使って断面に塗る。何人かで協力するとやりやすそう。

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2-5:
講評

しばしば、作品は人に見られることで完成する。今回も例に漏れず、新工芸展(店)会場まで搬入した。みんなで奇妙な石のオブジェを持ち歩くのはなんだか、良い風景だった。ストリートに大量の石、石、石。コンクリートジャングルに一石を投じん、としているよう。

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会場到着後は、各自ののせ物に込めた思いを語る。身体性を伴うことで得られる新鮮な感覚があったと話す方、石と相対することで揺らいだアイデア、「石らしさ」への抵抗を目論み雲に見立てた方まで、人の数だけの「のせエピソード」が出た。いずれも、手を動かして、全身を動かしながら石と向き合ったことによる結実だろう。講評中、意図を持って保たれていた造形物が崩れた瞬間に「ただの石」に戻った実感が忘れられない。
身の回りにあるものが、ふと目をやると資源の宝に見えてくる。司会の浅井さんは、このワークショップを経て起こった視点の変容が、みんなの生活に組み込まれていくといい。そんな言葉でこのワークショップを締めくくった。

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3:さいごに

僕らの身体を情けなくするシステムはこれからも増えていく。ちっぽけな個人がその体制に立ち向かうのはちょっと難しいし、便利や効率に背を向けようとすると疲れてしまう。マックはおいしいし、電車は時間通りに来てほしい。自転車も、あんまり壊れないでほしい。けど、なんだか街やシステムに参加できてない気持ちになったとき、ふいに拾った石の、その凹凸や形に思いを馳せる実践によって、僕らの手と頭はもっともっと活かされていくはずだ。
国道から一本外れた道に出て、ガードレールに腰かけてほっと息をつく。足元の何気ない石ころが、たとえば雲になって、指輪置きになって、また石に戻ったりする。それはきっと、僕らを勇気づけることだと思うのだ。

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shogoのコピー


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