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2022年1月4日からの私について

「酒と着衣泳とふつかよいのタカハシです。」 の記事を書いてから、約4年の歳月が流れました。

いや〜、改めて読み返してもめっちゃくちゃ恥ずかしい。もう、このときのテンションで文章書けないだろうな。でも、強気で明日に向かせて走り始めているところ、我ながらとても良いですね。

今はだいぶ角が取れた気がするのですが、このときのむちゃくちゃなパワーのようなものは忘れたくないな。


誰にも言っていなかったけれど、独立当初(2018年)は正直、毎月預金残高に胃をキリキリさせる日々でした。どんどん減っていく貯金と反比例するようになかなか上がらない収入。いつもギリギリのところにいたと思います。それでも、小学生の頃からの夢だった「文章を書く」ことでお給料をいただけているという確固たる事実が、毎回じんわりと嬉しかった。

嬉しい反面、書いても書いてもずっと「ライター未経験で独立したこと」には負い目を感じていました。独学で身につけた知識に自信がないから、「自分ではない誰か」に向けられた賛辞に勝手に苦しみ、「このままでいいのかな?」と何度も問いかけていた。

金銭的にも精神的にもピンチのときは、ひたすら家の近所にあった松屋をヘビロテしてました。牛めし並盛り380円、松屋はよい。味噌汁も温かくて美味い。当時は一人暮らしだったので、たった一瞬でも肩を並べて、ご飯をかき込む人たちが近くにいるあの空間が、なんだか好きでした。今でも松屋を見ると胸がギュッとなります。

そんな「自分がもっとも上手くいっていなかったとき」に出会った人たちや、その人たちからかけてもらった言葉のこと。私は何年経っても絶対に忘れないと思います。(仕事仲間や、友達、Twitterでのリプライ......何を隠そう、夫ともどん底のときに出会っています)

初めていただいた、自分が一番大好きだったお酒の仕事。自分の内面をできる限りさらけ出して書いたエッセイ。WEBを経て、紙媒体での執筆。

どの仕事も、会社員のときは絶対にかけてもらえなかった言葉と共にいただくことが多くて。いつしか、不特定多数の「誰か」ではなく、「私のことを信じてくれる人」に応えられれば、それでいいんだと思えるようになっていきました。

仕事を続ける途中、「自分が行動したからこそ今の場所までたどり着けた」と思っていたけれど、ふとした瞬間に「連れて行っていただいている」という不思議な感覚に陥るときが何度もあったのを覚えています。

それは、今も同じかもしれません。マツコ・デラックスさんがマツコ会議で、「人生の変わり目って手を差し伸べる人がいるんだなと思う。絶対に光ってる手があるのよ(意訳)」といった趣旨のことを言っていましたが、本当にそう思います。

「今、動かないとダメだ」と思ったらその瞬間を逃さないこと。自分の直感を信じること。信じられるようになるために、目の前にある小さな一つひとつの壁を乗り越えてゆくこと。


アルバイトを掛け持ちしたり、業務委託として働いたり(2年目/2019年)、一度就職したり(3年目/2020年)...。さまざまな遠回りをしながらも「私にはこの道しかない」と確信してからは完全にフリーランスとして生きていくことを決めた2021年。

最近はお仕事を手伝ってくださる仲間が増えて、仕事のペースも安定し、ありがたいことにこれから始まる楽しそうなこともいくつかある状況でした。

このままフリーランスとして続けていくことを決めていましたし、そのつもりだった。そんな矢先、学生時代インターン先で出会った社長の言葉を思い出しました。

「自分が本当に叶えたいことを実現するならば、自分の会社をつくりなさい」

それは、何気ないタイミングで何気なく言われた一言でした。でもその言葉はずっと、私の胸の奥にあって離れなかったのです。

どこかに「今の私にできるはずがない」という気持ちがありましたし、「今ではない」と思っていました。

でも、あるとき「今の自分ならば、できるのではないか」と感じる出来事が、いくつか立て続けに起こったのです。

それは、将来の相談に乗っていたライター志望の方が「ライター職として就職できた」と報告をくれたとき。とある方が「きっかけをくれてありがとうございます」と言ってくれたとき。ほかにも、「今の私があるのはタカハッピーさんのおかげだ」という言葉をもらったとき...。

私が手を差し伸べていたつもりで、差し伸べていただいていたのかもしれません。

その誰もが、今もずっと幸せに過ごしているかはわからない。それでも、私の存在が何らかの力になれたのかもしれない、というその事実が、私はとても嬉しかった。

いつしか、そんな人たちをもっと増やしていきたいと強く思うようになりました。そして、その皆がずっとずっと、楽しく生きられるような社会をつくりたいと。

誰もが本当にやりたいことを我慢せず、困ったときは誰かに頼れる。導いてくれる存在がいる。その先の一歩を踏み出すのは誰でもない本人かもしれないけれど、人生においてそんな場所があり、頼れる存在がいればどんなにか心強いだろうか。それは、フリーランスとして独立してからずっと、私が思い続けていたことでもありました。

思い続けているならば、3日間熟考し、それでも変わらないのであれば、その想いが誰でもない「私」が持っているものなのならば。それは他人ではなく「私」がやりたいことであり、やらなければいけないことなのだと思います。

とここまで書いてから、「この文章既視感あるなあ...」と思ったのですが、冒頭のnoteに以下のように記していたことを思い出しました。

曲げたくない、想い。
飲みたいと思う、酒。

それは「私」だから曲げたくない想いであり「私」だから飲みたいと思う酒であって、彼ら彼女らが曲げたくない想いではなく、彼ら彼女らが飲みたい酒ではない。
たまたま似たような志を持つ人や似たような酒を飲みたい人がいるかもしれないが、それはあくまでも「彼ら彼女ら」の志であり「彼ら彼女ら」が飲みたい酒。「私が」曲げたくない想いではなく、「私が」飲みたい酒ではない。

そう思ったら、「自分で大丈夫なのだろうか」の問いに対する答えが出た。「大丈夫っしょ、だって自分にしかできないから」それだけだ。自分と向き合い、変わらない自分を認識すること。そのうえで、更新していきたい自分は常に更新していくこと。シンプルに、それでしか道は開けない。

そんなわけで2022年1月4日からは、フリーランスではなく新たな形で、自分の夢や想いを実現するために動いていきます。

また1月4日、Twitterにてご報告させてください!

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