酒と着衣泳とふつかよいのタカハシです。

どうも、ふつかよいのタカハシと申します。
2017年12月28日よりフリーランスのライターとなりました。

退職日に渋谷センター街を闊歩していたらちょうど安室ちゃんの『Body Feels EXIT』が流れていて、「これから何でもできるな、何にでもなれるな、イエエエエエーーーイ!!!!」と思ったそのままのテンションでふつかよいのタカハシとして強気で明日に向かせて走り始めた私だったのですが、いざフリーランス生活が始まってみれば何とまあ孤独。

「1人で作業をしなければならない」という意味の孤独ではなく(むしろ1人作業は集中できるので、好き)、日々「孤軍奮闘」感がスゴイ。
全ての仕事に対して全て自分で責任を取らなければならないし、クライアントからの「できるよね?」の重圧がぐわっと迫ってくる。会社組織に属していれば、「無理じゃ〜〜〜〜っ!助けて〜〜〜っ!」とお願いすればサポートしてくれる先輩や同期や後輩の存在がいたけれど、この世界にはそういった存在はいない。自分が依頼を断れば収入源は絶たれるし、いただいた仕事をしくじれば次の仕事は来ない。

ただ、それは逆に「仕事の在り方を全て自分でコントロールできる」ことの裏返しでもあり、今までできなかった経験や、仕事でなければ行けなかったような場所にも行くことができており、仕事を通して様々な場所に出向いているのは自分だけれど、「連れて行ってもらっている」という気持ちになることがある。非常にありがたい。

そんな「個」を問われる毎日を過ごす中でふと、「自分で大丈夫なのだろうか」という疑問が湧いた。

ありがたいことに、どうにかこうにか仕事をいただけている現状だが、世の中、自分より面白い人はたくさんいる。クレバーな人も、文章が上手い人も、同世代で大活躍している人も、たくさんいる。
流れ続けるTwitterのタイムラインをスクロールして、自分ではない誰かに向けられた沢山のRTや賛辞の言葉を目にする度、「自分は?」と問うていた。

こんな塩梅だった。



酒しかねえ。

こんなはずはないと軽く震えながら、学生時代の自分も振り返ってみた。

やはり、酒しかねえ。
さらに厄介なことには、衣服を着たまま風呂場を泳いでしまっている。お嬢さん、そこは泳ぐ場所ではありませんよ。そして、服脱ごうな。

軽く自分で自分に絶望しながらも、確信を持って言える、と思ったことがあったので、心情を吐露した。

世の中、まじでスゴイ人はわんさかいる。それはまっことなき事実で、私は彼ら彼女らを非常に尊敬している。元気や勇気をもらうこともある。日々、「本当にすごい」と思うことばかりである。

けれど、彼ら、彼女ら自身になりたいと思ったことは一度もない。
なぜなら、日々の「自分」を変えていけるのは、彼ら彼女ら自身ではない。「私自身」だからだ。

とはいうものの、上記の酒の例に挙げたように、悲しきかな、人は簡単には変われない。それで、焦ったこともある。

けれど、「ずっと変われない」ということはポジティブに捉えれば「ずっと変わらない」ということでもある。

曲げたくない、想い。
飲みたいと思う、酒。

それは「私」だから曲げたくない想いであり「私」だから飲みたいと思う酒であって、彼ら彼女らが曲げたくない想いではなく、彼ら彼女らが飲みたい酒ではない。
たまたま似たような志を持つ人や似たような酒を飲みたい人がいるかもしれないが、それはあくまでも「彼ら彼女ら」の志であり「彼ら彼女ら」が飲みたい酒。「私が」曲げたくない想いではなく、「私が」飲みたい酒ではない。

そう思ったら、「自分で大丈夫なのだろうか」の問いに対する答えが出た。
「大丈夫っしょ、だって自分にしかできないから」それだけだ。

自分と向き合い、変わらない自分を認識すること。そのうえで、更新していきたい自分は常に更新していくこと。シンプルに、それでしか道は開けない。私は、彼ら彼女らにはなれないし、ならない。「あなただけ見つめてる」ならぬ「自分だけ見つめてる」。ナルシスト?知ったこっちゃないくそくらえ。そういう結論に至った。

たまたま、フリーランスになって「個」の存在が問われることを意識し始めたからこう思ったのかもしれないけれど、これは立場が正社員だろうが何だろうが変わらない気もしている。

そして、確信を持って言えることがもう一つある。

酒とともに生きてへらへらしている毎日は、私の中でいつだって100パーセント。

だから、私は今日も酒を飲む。酩酊する。笑う。そして、たまに文を書く。
そうやって生きていけばいいや。変わらない自分と変わりゆく自分の狭間で。

ただ、着衣泳はもうしない絶対。

サポートいただいたお金はあなたとの乾杯に使用させていただきます。酒!!飲みましょう!!!