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イメージってなんだ

わたしはTwitterに、政治や宗教、時事絡みの発言は一切書かないと決めている。
それは、140文字ではなかなか伝わりづらいから、および各々の見解があるからで、直接話したい人とじっくり議論したい事柄だからだ。

反対に、できる限り楽しいことや日常であった他愛もないことばかりを書くようにしている。前より量は飲めなくなってしまったけれど、お酒が好きなのでお酒のことや、おいしいもの、最近観た映画や本のことなども。

Twitterはある種「フィクション」だと捉えているので、SNSではただただハッピーな人でありたいのだ。

それは、昔華やか(そうに見える)わたしの友人に「いつも楽しそうだね」と伝えたところ「そういう部分しか切り取っていないからね」と返されたことに起因している。友人なりの美学を感じて、惚れ惚れした。

だから、ひとつの側面だけを見てわたしの全体像をつくりあげられると少しドキドキしてしまう。「いつも楽しそうだね」と言われるのはとてもうれしいのだけど、そこから飛躍して「タカハシさんはこういう人だよね」と言われると、内心「実はちがうんだよーん!」と思ったりもする。

ぜんぜん、まじめではないし落ち着いてもいない。家ではくだらないことばかり言いながら変なダンスを踊っている。常に笑っているように見えるかもしれないけれど、大泣きしているときだってある。仕事は楽しいけれど、たまにものすごく苦しいときもある。

昔「タカハシさんに壁を感じるときがあった」と上司から言われたことがあった。

これは、自分と違うタイプの人だからきっとわかってもらえないだろうと勝手に上司の「イメージ」をつくりあげていたからで、今考えればもっといろいろなことを話せばよかったと思う。

人間、0か100かじゃなくて、白黒でもなくて、グレーの部分もたくさんあるから、そんなところも愛せたらいいな。「こういう人だもんね」と決めつけてその相手と話をしないような人にはなりたくないな。
昔のことを思い出しながら、ぼんやり考えています。

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