実は今日、仕事をやめた。

というか、辞意を表明したのは6月くらいの話で、今日が最終出勤日だった。やめようと思ったきっかけは、整理ができたらnoteに投稿することもあるかもしれない。
いい人たちにばかり恵まれた、3年弱だった。残念がられたのは、本当に可愛がってもらってた何よりの証拠だろう。京都にいる社員さんがわざわざ私と話す為だけに電話をくれたりした。
良くしてくれた人、私が尊敬している人ほど、残念がるというよりは私の退職を「新しいスタート」と捉えてくれ、「次は決まってんなら、良かったな、頑張れよ」といった言葉を下さった。本当に気っ風のいい、気持ちのいい大人たちだ。


私はどういうわけだか、自分の年齢+20以上(つまり自分の親くらい)の方に目をかけてもらうことが多い。変な話『モテている』。なんだか知らないが私の『お父さん』『お母さん』『おじさん』を頼んでもいないのに自称し始める人すら現れるのだ。それも一度だけの話ではない。
折角なので後学の為に、自分なりにどうしてだったかを振り返ってみた。

①あいさつとお礼をきちんと言う
これは、先日『すきなものを堂々と好きと言える時代。』でご紹介したおじさまに言われたことでもある。


「お前はな、伸びるだろうなって、最初に入ってきた日に思ったよ」
「どうしてですか?」
「挨拶がちゃんとできてたから。それも、その場にいた人全員に」

私が挨拶をしている理由は、実はかなりプリミティヴで『小学校できちんと挨拶をしなさいと刷り込まれたから』
教え込まれた、というよりも『まーれらいさんは元気よく挨拶ができてますね』と小一くらいのころ先生に褒められ、「あいさつおっきい声で言ってる私ってカッコイイわ」と以来気を良くして続けていたのが染み付いて抜けない、といったところなのだが。
「あいさつは大事ですよ」と判を押したように繰り返される教えだけれど、「いや本当にそう」と心からそう思う。挨拶とお礼は、言われなくて嫌な気持ちになるこそすれ言われて嫌な気持ちになる人なんてまずいないから。

②わからないことは素直にさっさと訊く
あれこれ自分で悩んで試行錯誤するのが悪いことではないけれど、上司なり同僚なりが答えを知っていることが明らかな時、あるいは『この人に聞けばわかるだろう』と言う予測がつくときは、もうさっさと頼る。
自分の得意分野で頼られて嫌な気持ちになる人もそうそういないのも理由だ。
聞くときも、「ちょっと良いですか」であるとか、「教えていただけますか」みたいなことを最初に言う。面倒だが日本人のコミュニケーションに前置きとちょっとした気遣い(フリでも良い)は必要なのだ。

③勉強をすること
②と③はほぼ一緒だ。
受験生のように机にかじりつけ、と言う話ではない。(ちなみに私は金輪際お断りだ)
仕事で必要な知識は、会社なり研修なりから与えられるのを待つのではなく自発的に覚えたり学んだりする姿勢で取り組もう、と言うこと。ほぼ間違いなく分からないところに行き当たるので、そこで詳しそうな先輩を頼る(頼りたい人、でも良いと思う)。
そちらの方が、なんだかんだで面白いし、身につくのも早い。早ければ「できる子」認定をもらえるし、そうでなくても「一生懸命頑張っているから応援しなくちゃ」とおじさまがたの心をくすぐれるのだ(狙ってはいないのがミソ)
一生懸命頑張る部下や後輩を嫌う人も、そうそういないだろう。
いるとすればほぼ確実にやっかみだ(※当社調べ)

④食事にいく
私は蟹座なので共感を重んじる性格だ。
と非論理的な話をしたあとで、そう食事。お茶とかでも良い。
もちろん、自分でお金と時間を払ってわざわざお話しするのだから、そう言う相手は思い切り選り好みする。(偉くなったらできない戦法だ)
私は蟹座なので、食べることのプライオリティが非常に高い。
そう言う訳で私にとって『飲み食いをともにする』と言うのは自分のパーソナルスペースに招き入れたとほぼ同義。自己開示をしているようなものなのだ。水瓶座には通用しない考えかもしれない。
自分の部分を相手に見せると(もちろん全部でなくて良く、あくまで触りでも良い)、相手はなぜだか自分に親近感を持ってくれるのだ。
相手を知るために、まず最初に自分をちょっとさらけ出す。用法用量は、正しく。

年上の方々からは「まーちゃんまーちゃん」と可愛がられる私だが、実は後輩が私にもつ印象はまるで反対で、「姐さん」呼ばわりする後輩もいるほど。年下にはまた年下に対する接し方みたいなものも自分なりにある。意識的にやっている訳ではないけれど。

まだ全く実感も感慨も湧いてこないが、入ってよかった、あの人たちに会えて、目をかけてもらって私は本当に幸せだ、と心から思える会社だった。

ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます!