一人暮らしと恋人と

「ねえ、一人暮らしはしないの?」
これは、この前辞めた職場で私を特に可愛がってくださった女上司さんから事あるごとに言われた事。
彼女は私が、『親や伯母が手を回せないから、義務感で一緒に暮らしている』と思っているらしい。まあ当初はそんな言い訳もしたような気はするが、一応、「自分で望んで今の場所にいます」とは何度も言っている。
けれど、会うたびに言われる。「一人暮らし、しないの」
それからもう一つ。
「彼氏、できた?」

恋人がいることって、そんなに大切なことなんだろうか。
周りの年上の人たちは金太郎飴を切るみたいにみんな同じことをいう。
祖父母、特に病気の祖母と90手前の祖父と、それも辺鄙な田舎で暮らしていれば当然、夜遊びを無断でなんて到底できない。以前は急な飲み会にもふらりと出かけたし、学生時代の友人たちと会うときも終電ギリギリまで楽しんでいた。
一人暮らしをすれば、門限なんてそもそもない。同居人のことなど気にせず、誰かの家に泊まろうが誰かを家に連れ込もうが自由だ。楽しいよぉ、と上司は言った。いろんなことに知識と好奇心を持った人で、だいすきな上司の一人だった。それでも、その彼ですら、「恋人がいないのは半人前」の観念の中で生きている。

恋人は絶対いらない、と言っている訳でもないし、一人暮らしなんて絶対いやと思っている訳でもない。ただ、メリットを感じないのだ。
今は自分をより良くすること、祖父母との生活をより快適に楽しくすることに自分のリソースは割いていたい。片手間に恋人、なんて私には無理だ。たまにしか会わない友人のようには行かないことはしれている。
一人暮らしもそうだ。今、月に定額で祖母にお金を渡している。だいたい一人暮らしの家賃相場と同じかちょっと安いくらい。同じ金額家賃に消えるなら、祖母のへそくりとして懐に入ってくれる方がよっぽどいい。同じ金額を一人暮らしの部屋で出したって大の字で寝られるスペースは得られないだろう(掃除はちょっと面倒だが)

『世間的に』『一般的に』『常識的に』『普通』と言う言葉を振りかざす人は、大概自分の中に確固たるポリシーがない人に見受けられる。
「周りがそうだから」とか「自分がそうだったからこうに違いない」とか、その人個人の理屈の範囲を超えていない。つまり、科学的、客観的な根拠がないのだ。
自分で考えている人は、『空気』に騙されないし、呑まれない。
かつ、自分の考えと違う意見に接しても、説明をされれば受け入れる器もある。
自分と同じように、相手もまたその人自身の考えを持って行動している、と言うことを理解しているからだ。

以前、このnoteでもちょくちょく紹介するおじさまにも「一人暮らしはしないのか」と聞かれた。
「いやぁ。祖母は病気ですし。と言うより、私が望んで居座ってるんです。結構楽しいんですよ、これでも」
するとおじさまはにっこり微笑んで、
「そうか、じさまと仲良くやれよ」
とだけ言った。
それから、
「お前は結婚するとしても結構かかるだろうなぁ。まあ、焦らず自分が良いいと思う相手探せや」とも。
彼はなんでもお見通しだ。

ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます!