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シュガータイム

・小川洋子さんの「シュガータイム」を読み終えた。
小川さんの小説には、ごくごくありふれた日常のように“異常”とか“過剰”とかが出てくる。
解説に書かれていたが、小川さん自身「変わったもの、過剰なものに魅かれる」と語っていたそうだ。
しかし、小川さんの“変わっていたもの、過剰なもの”は(冷静に考えるとそれは全くありふれてはいないのだけれども)あくまでありふれたもののように描かれ、生活の推進力が止められることはない。

本作の主人公はとある奇妙な日記をつけ始める。それは主人公の異常すぎる食欲を満たすために食べた食べ物の列挙で、それ以外のことは何も書かかない。
太るわけでもなく、コンプレックスやストレスがあるわけでもなく、ただそこに異常な食欲があるという事実だけを残して、日常が進んでいく。

ノートの中のドーナツという文字は、鮮やかで生々しく刺激的だった。文字を見ていると、表面の油がしっとりと潤んでいる様子、指先についてくる粉砂糖の感触、生地の空気穴の繊細な模様などを、はっきりと思い描くことができた。

主人公の食事に対する思いを読んでいると、それは確かに異常なのだけれども、共感すら覚える。
小川さんが書く“異常さ”は度々そのような現象が起きる。
読者さえも受け入れ、それに親しみを感じてしまうのだ。


主人公には腹違いの弟が出てくる。
この弟の描写こそ、この小説の中で最も美しく光を放つ文章の羅列で、思わずうっとりしてしまう。

まず、彼のまばたきが印象的だった。わたしはこれほど美しいまばたきを見たことがなかった。 航平の顔は決して美少年というタイプではなく、ごくありふれた顔のつくりをしていた。なのにそのまばたきのせいで、彼の表情はくっきりと光るようにわたしに迫ってきた。
航平はとてもゆっくりとまばたきをした。一瞬、このまま目を閉じてしまうのではと、心配になるくらいだった。そしてまつげは蝶の触角のようにか細かった。 一回まばたきをすると、そのか細いまつげが微かに震え、目元を優しい風が過ぎていったかのようだった。まつげが触れ合う音さえ、聞こえてきそうだった。

シュガータイム

弟も主人公のように様々な異常さを抱えているのだが、これまた主人公と同じように、その異常さを受け入れ、むしろ慈しんでさえいるように思える。(勿論多くの読者も同じように感じると思う)

小川さんの小説には大きな事件や起承転結の起伏があるわけではなく、ただ生活を進めていく様子だけが描かれていく。美しく、厳かに進んでいく。
小川さんの小説を読み終えると、一種の祈りのようなものをしたかのような感触を覚える。
上手く説明できないのだが、厳粛で神聖な気持ちにさせてくれるのだ。
そして毎回、この作者への憧憬を高め、日本語を愛するようになる。
私が文章を書くことを継続する力になってくれる。

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