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むーやんとたんぽぽの綿毛

なんにもない空の下で、むーやんはすっかり地球が好きになりました。
どちらを向いても花が笑っていたからです。
むーやんの宝ものは虹のよう。
遠い星からもってきた七色 なないろ だけのクレヨンです。
どのお花の絵をかこう――
花園に生きとし生けるものが咲いています。
あらゆるいのちの姿を借りて、惜しみない光をめぐんでいます。
そよふく風が運んできたのは、たんぽぽの綿毛です。
うつくしい驚きに打たれ、むーやんはひざまづきました。
心の目をとおして見るとき、だれもが気づくことでしょう。
たんぽぽの綿毛は、小さな白い奇蹟にほかなりません。
 
クレヨンを葉っぱの上にすべらせて、むーやんは綿毛の絵をかきました。
綿毛はうれしさの風に乗り、ふわりと宙がえりして見せました。
むーやんがさしだす手のひらへ、綿毛ともつれあうようにして、ひとひらの花びらが舞いおります。
花びらはハートの形にきらめきながら、「スキ」を伝えにきたのです。
だれがくれたのかしら――
見あげると、空のかなたがきれいな光にうるんでいます。
「ありがとう!」
天までとどけと、よろこびいっぱいの声をおくり、むーやんが花びらをシャツのポケットにしまったら、スキは左胸の光となりました。
 
その日からというもの、むーやんは何枚も何枚も絵をかきました。
両の手をあわせたようなもくれんの花。
あさい夢でも見ているかのような薄紅色の八重ざくら。
ひとつひとつを絵にすると、花も草木もよろこびにゆれ、花びらが舞い散ります。
むーやんはしあわせでした。
心の泉から、まじりけのない「ありがとう」が湧き出ました。
 
ところが、時のうつろいとともに、むーやんの気持も変わっていったのです。
空をぬらし、木の葉をぬらし、あじさいの花を青くぬらす雨の季節になると、むーやんの「ありがとう」の声は、だんだんしぼんでゆきました。しぼんだばかりではありません。せっかく花びらをもらっても、「ありがとう」と言うかわりに、むーやんは口をとがらせ、つぶやきました。
「たったこれっぽっち……」
ある日むーやんは木に背なかをくっつけ、なにやら考えていましたが、ひらめいたような顔をすると、やぶの前にしゃがみました。かきわけたやぶの奥のほうに、むーやんのためこんだ花びらが山になって積まれています。
花びらのたばをかかえ、むーやんは町へ出かけました。そしてお店で花びらをつかい、八十五色のクレヨンとスケッチブックを買いました。おもちゃも買って、あきるほど、あまったるいお菓子を食べました。
もどってきたむーやんは、花園をあちらからこちらへと、クレヨンとスケッチブックを見せびらかしてまわりました。
「どうこれ? すごいでしょ?」
八十五色のクレヨンでむーやんが紙にかいた絵は、のっぺりと証明写真のようでした。
「どう、この絵?」
すごいでしょ?――
むーやんは答えをせがんでやめません。
もっと!――
むーやんはひたすら花びらをほしがりました。
もっともっと!――
とりつかれたようにさまよいました。
もっとちょうだい!――
木は押しだまってしまいました。
草や花はこまったふうに小さくうなづき、ためらいがちに花びらをくれました。
 
やがて一枚の花びらも降ってこなくなったとき、むーやんはやっと気づきました。
むーやんの目には、青も緑も、赤も白も、花園すべてがくすんで見えていたのです。
あれほどまでに輝いていた花園なのに……
どうして?――
むーやんにはわかりません。
「どうしてなの!」
むーやんがさけぶと、小鳥たちの歌がやみました。
あたりを照らすこもれびは、ぬぐったように消えました。
遠雷のどよめきが聞こえたような気もします。
花びらを草にあずけ、むーやんが立ちすくんだその時です。
びゅうと風が鳴りわたり、ひからびた花びらを池のほうへふき飛ばしました。
むーやんは這いずってかきあつめます。一心不乱にあつめます。
けれど池に落ちたいくつもの花びらは、水をすって沈んでゆきました。
ぼくは――
ぽたりと、むーやんの目から涙のしずくがこぼれます。
なにをやってるんだろう――
涙はあとからあとからあふれました。
いったいぼくは、なにをやってるんだろう――
むーやんは、ひとりぽっちで泣きました。
 
「わたしをかいて」
うなだれて、もう泣きつかれた夕ぐれでした。
かすかなささやきが耳をかすめ、むーやんは顔をあげました。
なにかまばゆい小さなものが、空気のゆらぎのあなたまかせに、ふわふわと落ちてきます。
目をこらすと、あのなつかしい、たんぽぽの綿毛です。
はがね色した静かな池の、みなもに浮かんだ純白の綿毛――
涙のむこうにゆらめくうるわしさといったら、まさに奇蹟そのものでした。
七色のクレヨンが呼んでいます。
むーやんは一生けんめい、葉っぱに綿毛の絵をかきました。
かき終えて、綿毛をすくいあげようと池に手をさしのべたとき、水にうつるむーやんの左胸が夕やけ雲のように輝きました。
そうだ――
ポケットのなかに忘れていた、はじめてのスキの光。
たいせつな、お空からのおくりもの。
むーやんはたなごころを胸の光に重ねました。
「ありがとう!」
透明な気持が水のようにほとばしります。
花園にこだましたのは、ほんとうのむーやんの、ほんとうのしあわせでした。
 


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