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「銀の手のコルム」―ヒロイック・ファンタジーの思い出

 本記事はコルム(作家マイクル・ムアコックの描いた主人公の一人。アイルランドの伝承の影響があり、エターナル・チャンピオンという作品群に位置づけられる)についての思い出話です。コルムに限らず、ムアコック作品のネタバレを含みます。ご容赦ください。

 筆者は2007年と2008年に出た新版でコルムを読みました。同じく新版のエルリックを読んだあと(少なくとも「この世の彼方の海」は読んだあと)だからか、『剣の騎士』は一回目でも読みやすかったです。
 一方、『雄牛と槍』は、読みにくかったような気がします。わからないなりにひととおり読んで、わからないままにしていました。
 いま思えば、睡眠不足と調査不足のせいです。調べるための手がかりは『剣の騎士』と『雄牛と槍』の序文にあったのですから。コーンウォール、アイルランド、ケルトといった、十分すぎるくらいの目印が。
 しかし、睡眠不足では、そんな明明白白なとっかかりも見落とします。
 そして、調査不足になって、見慣れない名詞の海に溺れます。

 (投稿時点で)旧版のほうが安いという不思議現象が発生中。

 このあいだ『雄牛と槍』の冒頭を読み返しました。「物語になるほどの大仕事を終えたあと、平和になった世界で長命の主人公は何をするのか」と、いう問いに向き合ったことが、「銀の手」のコルムシリーズの特徴かもしれません。
 他作品の主人公は、大役を果たしたら退場したり、冒険に次ぐ冒険の日々だったりします。たとえば、エルリックやコナンです。
 上記二名よりは、エレコーゼやホークムーンのほうが、コルムに近い気もします。とはいえ、招請に対する反応や、伴侶と過ごす時間という点を考えると、コルムはコルムなりの立ち位置を占めています。

 批評めいた書きぶりになったので話を戻します。
 最初に『雄牛と槍』を読んでから、およそ10年後、ちくま文庫にあるケルト神話の概説書を読みました。たしか、ゼラズニイのアンバーシリーズを読み返していたときのことです。

 幸運も手伝って、睡眠不足を改善させることもできました。
 ふたたび読んだコルムは、意外と読みやすく、面白かったです。
 なにも『ケルトの神話』を読めば、コルムが丸わかりとは言いません。とはいえ、慣れないカタカナにやられにくくなったと思います。

 さらに『ケルトの神話』と『雄牛と槍』を読んだおかげで、別の本にも、とっつきやすくなりました。『マビノギオン』です。

 ムアコックが『マビノギオン』を知っているかどうか筆者は知りません。
 とりあえず『剣の騎士』でも『雄牛と槍』でも、序文を見る限りでは、コーンウォールとアイルランド、ケルトという単語はあっても、ウェールズはありません。
 とはいえ、コルム(とくに「雄牛と槍」から始まる後半三部作)と『マビノギオン』の間には、なんとなく似通った雰囲気があります。
 たとえば、『雄牛と槍』p479以降での<伯王>以下の英雄たちを紹介するところは、『マビノギオン』所収の「キルフッフとオルウェン」にある同じつくりの文を次から次へと連ねるところを、思い起こさせます。固有名詞が似通っていることは言うまでもありません。
 あくまでも筆者の経験にすぎませんが、コルムを読んだからこそ、ものごとを並べ立てるという『マビノギオン』の表現形式についていけたのでしょう(別件でアーサー王関係の調べものもしていたおかげもあるかも)。
 読むことも楽しいし、読んだこと同士がつながっていくのも楽しいです。

書誌情報

井村君江『ケルトの神話』筑摩書房、1990(単行本版は1983年)
中野節子訳『マビノギオン』JULA出版局、2000
マイクル・ムアコック著 斉藤伯好訳『剣の騎士』早川書房、2007
マイクル・ムアコック著 斉藤伯好訳『雄牛と槍』早川書房、2008

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