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【中編小説】兄弟と遊弋書庫3/4

(これまでのあらすじ)ダームダルクが不時着したのは、巨大な箱船だった。不時着するなり箱船を襲う海賊と戦い、誰にも気づかれることなく、箱船勝利の立役者となる。ところが、戦いのなかで、ダームダルクは修理するつもりだった滑空機械を紛失してしまう。
 機械をさがして船内を探索するうちに、乗組員が人外のものばかりだと気づく。彼らの目を盗んですすみ、ようやくあえた同じ人間は、弟のバーキャルク。王位を求めて対立するライバルだ。
 弟は船についての情報を教えることで、自分の命をあがなった。奇しくも弟がツァフ博士のパトロンであるということから、ダームダルクもまた、自分の命をあがなう。味方の味方は味方という理屈だ。

#1 #2 #3 #4 #梗概

Web横書きが苦手な方へ。お手数ですが「えあ草紙」をご利用ください。本ページのURLを所定のフォームに入力してボタンをおすと、縦書きで表示されます。

主要登場人物
(別ウインドウで開いたり、スクショを取ったりしてご活用ください)
ダームダルク・博士の弟子
バーキャルク・ダームダルクの弟
ツァフ博士・・島の魔術師
ハトラ・・・・博士の使い魔。刺青
ハルムト・・・博士の小作人。子供
船長・・・・・遊弋書庫の乗員
庭師・・・・・同上


#1 #2 #3 #4 #梗概

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主要登場人物
(別ウインドウで開いたり、スクショを取ったりしてご活用ください)
ダームダルク・博士の弟子
バーキャルク・ダームダルクの弟
ツァフ博士・・島の魔術師
ハトラ・・・・博士の使い魔。刺青
ハルムト・・・博士の小作人。子供
船長・・・・・遊弋書庫の乗員
庭師・・・・・同上

詰め所の中

 見張りにはりつかれながらも、ダームダルクは怯えた様子を見せずに詰め所のなかをすすんでいく。三階へつづく階段をのぼっていると、声が聞こえてきた。
「復号は完了したのか?」
「あと一日といったところです」
「機関の状態は?」さっきと同じ声が、また質問した。
「さきほど確認したところ、機関出力の六割が推進に回されてます」第三の者が答えた。
 どの声も男のものだった。
「その部屋だ。おかしな真似はしないでくれ」見張りが言った。
「わかっとるとも」
 部屋に踏み込む。
「私掠船の件を話されてはどうかな?」
 逆光におもわず目をほそめつつ、部屋のなかに視線をはしらせた。
 のっぺらぼうが三人、話をやめてダームダルクをみた。乗員らしく同じような服をきて、腰に反りをうった長剣を佩いている。まるで服屋の人形だ。
 うち一人だけが、何をするでもなく窓辺に立っていて、ほかの二人よりも豪奢な装いだ。金糸の刺繍入りの帽子、房飾り付きの肩当てがついた上着、きっと船長だろう。
 二人目は、窓辺にそってならぶ卓のまえに立っている。海図らしきものが広げてあったが、乗員はなにげない動きで海図を体のかげにかくした。
 三人目は、部屋の中央にある巨大な箱を見て、首をかしげたり、うなずいたりしていた。天井までとどく高さの箱で、玻璃か水晶のように透きとおったもので出来ている。なかでは立体五目並べがくりひろげられている。昨晩、船の下層でみた光景をちぢめた模型のようだ。
 まぶしいのは逆光のせいばかりではなく、この透明な箱のなかできらめく炎のせいでもあった。
「海賊だよ。わしが奴らを始末したんだ」
「そういえば…、そんなこともあった」船長らしき者が言った。
「わしが、この、…船を助けたんだ。わしはおぬしらを立派な船乗りと見込んでおる。であるから、何の礼もなく、密航者として放りだすような真似するまいな」腰の短剣をみせつけるように、一歩ふみだした。
 背中の見張りの緊張がつたわってきたが、船長らしき者は手で制した。
「武勇伝をあますところなく聞かせてほしい」
 さっそく、敵船に乗り移っての大立ち回りを、とおもったら、ハトラが心臓に爪を立ててきた。調子に乗るなといわんばかりだ。滑空機械のことから気をそらすにはいい方法だとおもうのだが。
「私の部屋に案内しよう」船長らしき者が近づいてきた。ほかの二人は持ち場についたままだ。
「仕事中だろう?立ち話でいい」ことのしだいによっては、後ろの見張りをけりとばし、船長を人質にとるつもりだった。下手に場所を変えられてはこまる。
「貴殿は…、客人だから」
「お気持ちだけで結構。ご覧のとおり、大草原から来た蛮人だから、敷物を汚すのがおちだ」
「王も乞食も同じだよ。一緒に酒でも酌み交わそう」
「船内で迷子になるといけない」
「私は船長だよ」
「犬とか、その手のが」
 のっぺらぼうのはずの船長が、ほほえんだように見えた。向こうは懐から何かを取りだしてみせた。星型の護符だ。
「承知した」
 護符を首から下げると、船長はたったひとりでダームダルクを部屋の外につれだした。

船長室

 船長室には窓がなかった。蛍火のおかげで不自由はない。
「かけてくれ」
 ためらっていると、船長は剣帯を外して卓上においた。部屋の主の好みなのか、筆記具が並べてある。白墨や毛筆、鉄筆、羽ペン、蝋引きの石版もあれば羊皮紙もあり、飾り折りにした漉き紙さえある。
 首筋に短剣を突きつけるには十分なすきを見せつけながら、船長は棚から酒瓶と二つの椀を取りだして戻ってきた。
「年代物だよ。たしか…、数ヶ月前に流れ着いたものだ」
 瓶にくくりつけてある木札が、船長の言葉を裏付けていた。
 椀はといえば、流木をくり抜いたような、歪だが味のあるしろものだ。
「君はいつからここに?」栓を開けながら、船長がいった。
「二十年にはなる」
「たしかに、ここ…、この星に生を受けてそれくらいに見える」
 赤いぶどう酒が注がれる。室内は芳香で満たされた。
「楽しめるうちに、楽しむ。そういうものだよ」
 船長は、さきほど勧めた椅子にかけ、酒杯をかたむけた。人形でも飲み食いできるらしい。
 何もおこらない。
「楽団がほしいな」ダームダルクは部屋を見わたした。どんでん返しのような仕掛けは見当たらない。椅子もまた流木で、釘を使わずに仕上げてある。花壇を作った庭師と、この部屋の調度や酒坏をつくった職人は同じだろう。
 船長は肩をすくめるだけだった。
「わしはダームダルクだ」しかたなく席について呑んだ。舌の先から喉の奥に生きる喜びが流れ込む。
「船長は?」
「私は船長と呼ばれている。…嫁いだ女性のようなものだ。この船、遊弋書庫と不可分なのだ。乗員、乗客…、その他もろもろに対しての」
「海賊退治の報酬は?」
「護符を渡したじゃないか」
 ダームダルクは音を立てて酒杯をおいた。
「わしがこの船にお邪魔したあとで、盗まれた荷物がある」
「きのうの海賊が盗んだのではないか?…他の密航者かもしれない」
 しらをきっているのか、そもそも滑空機械のことを知らないのか、判断がつかなかった。
「渡せるような褒美は、この酒くらいだ。だいたい…、貴殿はすでに宝を得ているのではないか?」
「なに?」
「乗客たちから興味深い話を聞いただろう?」
「なかには南国の浜辺を楽しみたい乗客もいるんじゃないか?」
「残念ながら、乗客はみな禁帯出なんだ。部屋に収まっていないと…」

§

 あれこれと話を聞かされたが、重要であるとおもえたのはたった一つのことだった。
 船長はダームダルクを軟禁するつもりでいる。うまい酒が、苦くなった。
 ふいに、ノックの音がした。
「入っていい」
 やってきたのは、同じく乗員だった。体格や服の汚れからして、さきほど詰め所にいたものたちとは別人のようだ。
 乗員がなにごとか船長に耳打ちをしたが、聞き取れない。
 船長は一瞬だけ肩をふるわせて、立ち上がった。
「ダームダルク殿、ご理解いただけたと思うが、釣りと雨水の蓄えに励んでもらいたい。船の中だけで勉学に励む分には止めはしない。別の勉強でもかまわない。そういうことだ」
 船長は去り際に棚を指差した。壺がいくつか並べてある。音を立てて扉がしまり、ダームダルクだけがのこされた。
『飼い殺しだね』ハトラが言った。
「昔の剣闘士と同じさ。スパなんとかって奴」
『なるほど』
 ダームダルクは、中身が空で、なるべく安そうな、割っても惜しくない壺を持って部屋を出た。

ふたたび詰め所へ

 すれちがう乗員や、綱細工の犬には護符をみせればすんだ。いつでもなげられるようにした素焼きの壺を片手に、ダームダルクは詰め所の階段を音を立ててのぼり、三階におしかけた。
「その玻璃箱を割ったらどうなる?」
 なかには船長ふくめて六人。脅せる立場じゃないと悟ったときには、もう舌は動きだしていた。止められなかった。
 乗員がひとり、黒豹のようにうごいてダームダルクの前に立ちはだかった。女性の体つきをしていて、剪定鋏を両手でかまえている。殺気を放ち、切っ先を喉笛にむける。海賊相手に大立ち回りをしていた人形にちがいない。
「機関長、客人に無礼だ」船長が言った。
「庭師だって言ったよね」鋏の女が言った。
「庭師だよ」
「あなたは本分を逸脱している。船匠でもないのに工作をするし、だいたい船というのは庭師を乗せない」
「じゃあ椅子かえせ」
 船長は咳払いをして、
「とにかく、いまは…、そのご客人、ダームダルク殿のことだ」
「始末すればいいわけ?」研ぎ澄まされて黒光りする刃に、玻璃箱の光が反射した。
「駄目だ。彼は乗客で、君が専属の案内役だ」
 はいはい、と、いうように鋏をおろすと、庭師はダームダルクを睨みつけた。これまでに経験したことのない眼光が、目のない顔から放たれている。
「で、あんたさ、どこ行きたいわけ?」

密航者

 錨鎖庫に釣り道具をとりにいきたいと、いう願いは快諾された。
 後ろについている庭師の道案内は的確だった。はじめのうちは、事故が起きても不思議でない場所に誘いこまれて、始末されるのではないかと疑っていた。それでも、いわれた通りに十字路で折れたり、階段を上り下りしたりしているうちに、錨鎖庫にたどりつけた。何事もなかった。
 船に入り込んだ当初に見つけた箱は、手つかずのまま残されていた。竿、針、糸、どれも十分に使えるものだ。餌はきのうの干魚がある。
「なぜわしに親切にする?」返事はない。
 ダームダルクは錨鎖穴を指差した。穴と錨のあいだには、人間をひとり押しこんで海に落とせそうな隙間がある。
「腹ペコなガキのお守りとか、面倒なんだよ」
「自分のメシは自分でさがせと、いうことか」
 庭師はダームダルクの手元を見た。
「その道具、あんたの?」
「いまは、そうだ」
「ああ」それ以上の興味はなさそうだった。
「できれば、舷側に穴のあいてる場所で釣りたいんだが。あの、小船が収まりそうなところだ。海に近いほうが、かかった魚を引き上げやすい」
「もう釣ったつもりかい」そういいつつも庭師はうなずいた。
「言うとおりに歩きな」
 案内にしたがううちに、天井の低い通路に出た。海に近づいたというよりむしろ、地の底に潜っていくようだ。
「まっすぐ。途中で右に下り階段があるから、そこを降りれば釣り場」
 ほかの場所がそうであったように、上下左右全てが鉄板で作ってある。表面の塗料が熱のない明かりにぼかしを加えて反射させ、暖かみのない壁は足音を何十にも反響させる。なんとなく冷ややかな空気が流れていた。
 前方しばらくいったところで、壁が途切れている。下り階段だ。
「降りたら扉がある。用心しな」
「何があるんだ?」
「密航者だよ。あんた以外にも、たぶんいる」
「もしいたなら、他の釣り場を探すよ」
「あっそ」
 階段まであと二歩。鉄板に堅いものを叩きつける音が響いた。何かが天井から降ってくる。
「肉っ、肉っ、肉うぅぅっ」男の声だ。
 閃く白刃。血走った目。顔に唾をかけられた気がした。
 後ろから首根っこを掴まれたかと思うと、猛烈な勢いで引っ張られて床に倒された。
 視界の半分を、黒豹のような庭師の姿が占めている。
 庭師の左足は頭の高さにある。蹴り上げたらしい。何を?
 人間だ。のっぺらぼうではない。鼻があって、いまは床に倒れている。
 足の大きさからして男だが、体つきは柳のようにひょろひょろした奴だ。片手に短剣を握りしめたままで、起き上がろうともがいている。
 庭師は剪定ばさみを構え、切っ先をいつでも男に突きたてられるようにしながら、近寄っていく。
「仲間は?」
「肉っ、肉…」
「おまえだけかと、訊いたんだ」
「肉…」
 男は短剣を振りあげようとしたが、庭師が足で手首を押さえつけた。
 通路に反響。骨が折れた、いや、砕けた音だ。
 悲鳴が上がって、不意に途切れ、ごぼごぼという耳障りな音に変わった。
 庭師は得物を引きぬくと、血にかまわず男の持ち物をあさりはじめた。いくつかの品々が、無造作に床に放りだされた。船の中なら簡単にみつかる小物ばかりだったが、目立つものが一つだけあった。
 手のひら半分もない干した肉で、おそらくは男の欲しがっていた「肉」なのだろう。
 庭師は肉はほおったらかしにしたが、小物をすこし懐におさめたらしい。つづいて、犬笛をふいた。
 天井をながめると、鉄板が一枚、蝶番でもってぶら下がっていた。天井裏には管のような、綱のようなものがいくつも通っていて、血管を思いおこさせた。
 しばらくすると、通路の向こうから綱細工の犬が二頭やってきた。
 犬たちは尻尾を男の死体に巻きつけると、軽々と引いていった。
 赤黒い帯が通路に伸びていて、やがて角を曲がって消えている。あの道はどこに続くのかと、聞く気にもなれなかった。
「わしは、不意を討たれたのか?」
「口、半開きになってるけど?」
 庭師は手を差し伸べてはくれなかった。
「ところでさ、釣るなら一番上の甲板にしてくれないか?そのほうがお守りもしやすい」
「分かった」ダームダルクは、ほかには何もいえなかった。

猫とねずみ

 庭師のいうとおりにして上へむかう途中、ある物置部屋をとおっていると、ハトラが突然に飛びだした。
 物陰にとんでいく。姿が見えなくなったと思いきや、チューッと、短い悲鳴が聞こえた。
「しまった」と、ハトラの声がした。「しまった」ダームダルクも言った。
 おもわず庭師のほうを振りむいたが、向こうは一切動じた様子がない。
「まあ、船には、ネズミも、猫もいるものだから。そう、きっとどこかでまぎれこんだんだろう。この船も、たまには港で、荷物を積んだりするんだろう?」
「あんた、船長の話きいてなかったの?」
 言われてみれば、なにか話していたような気もするが、軟禁されるということで頭が一杯で、ろくにきいていなかった。
 まもなく物陰からハトラがあらわれ、ネズミを一匹、床に放りだした。
「いやあ、おれもヤキがまわったのかね」そういって、獲物にかぶりつく。黒猫が口を利くという光景が、ありありと庭師のまえでおきた。
「…」庭師の沈黙が、ダームダルクに追い打ちをかけた。
「ああ、いや、その…」
「大将。どうかしたか?」
「どうかもなにも」
「もうちょっと泳がせとくべきだったなって、おれも思ったよ」
「おい、わしらの立場が分かってるのか?泳がされてるのはこっちだ。この鉄のいけすのなかでな」
 あろうことか、ハトラはニヤリと笑った。
「おれはさ、ネズミのことを言ったんだよ。殺さずに生かしとけばよかった、でもつい体が動いちまって気づいたときには仕留めてた。だから、『しまった』なんだよ。生かしときゃ、増えてくれて、おれだけはこの船でメシに困らずにすんだかもしれなかった。なのに、殺しちまった」たまらないというようにかじりつく。
「別に、ネズミは一匹で増えるわけじゃないぞ」
「わあってるよ。大将。失礼だなあ」
 ハトラは不服そうだった。ダームダルクも、八つ当たりだと分かっていた。不意を討たれた悔しさを、猫にぶつけているだけだ。
「ネコ君」と、庭師が言った。「そのネズミのつがいなんて、いないんじゃないかな。あたしは、この船ながいけど、ネズミなんて初めてだ」
「え、ウェっ」ハトラが何かを吐き出した。ネズミの耳だ。あまり見たいものではないが、庭師は平然としている。耳には、金の輪がついていた。
「このネズミも、誰かの使い魔。いや、ただ飼われてただけかな」ハトラはそういいつつ、爪でもって肉と金属とを選り分けている。「でもまあ、生かしとけばなあ。ネズミとり、たのしいからなあ」
「もし生かしていたら、ネズミが伴侶を得て子孫繁栄のなかで、おぬしだけ独り身だぞ」
 精一杯のイヤミのつもりだったが、
「だからなに?」ハトラは首を上げて見かえしてきた。
「べつに、雌に興味とかないし、乗る船さえ間違えなけりゃ、雌がいるかどうかなんて二の次さ」
「あたしもそうおもうよ」庭師が賛同した。
「ちょっと前まで付きあってやってたジジイは、嫌そうな顔してたけどな。『生物種としてあるまじき』とかなんとか言ってさ」
 ダームダルクには、ハトラが真似したのはツァフ博士のことだと見当がついた。おもいだしたくもない相手のことをおもいだし、またしても船を乗り間違えたことで落胆はしていたが、ハトラの見解を否定するきもなかった。
「わしの兄弟にも、そういうのがいたよ。王位なんてどうでもいいといって、砂漠の絵を熱心に描いてた」
「た?」庭師が言った。こころなしか、身を乗りだしたような気もした。
「殺されたのさ。王子だからな」
 ハトラは、もう食事をおえていた。金の耳輪が転がっていたが、だれも拾わなかった。

釣り

 外は曇りだった。明るいといえば明るいが、あらゆる場所に影がおちているともいえた。
 すわりこんで長い長い釣り糸をたらしていると、庭師がなにごとか呟きはじめた。
「古王国式墳墓の戸口真贋を鑑定する手段…、黄金墳墓を包み隠す陽炎の防壁を見出しかつ欺く呪言…済民王の治世七年における大市場での砂塵よけ長衣の仕立て屋とその料金一覧…ふーん、墓荒らしが先人の知恵を求めてやってきた、と」
「何をしている?」
「なにって、さっきのやつが、どんな話を聞いてきたのか、気になってさ」
 庭師は黒革張りの手帳をかかげた。角がすり減っていて、使いこまれたようすだ。さきほどの、飢えた男の持ち物なのだろう。
「話?」
「あんたが読んでもいいよ。他の乗員には内緒で」
「皮肉か?」
「こういうの嫌い?」
「読んでどうなる」
「あっそ」
 庭師はまた頁をめくり始めたが、最後までは読まず、海に投げすてた。
 かすかな水音が聞こえてようやく、読んでおけばよかったと悔やんだが、ほんの一瞬の気分にすぎなかった。道半ばで果てた競争相手の手帳を手がかりに、墳墓から黄金をかすめとるという空想は、輪郭線さえ完成せずにかき消えた。
「大将、大物をたのむよ」と、ハトラが言い、庭師のあしもとにすりよった。人見知りするたちだとおもっていたが、そうではなかったらしい。猫の気まぐれかもしれないし、猫を見る目がなかったのかもしれない。
「お姉さんのさあ、好き勝手やってる感じが、たまんないんだよね。船長?だからなに?みたいなとこ」
「やっぱり、わかる?乗客の話を聞いてたらさ、いろいろ面白くってね。造園とか木工とか」
「機関長ってのがどんな仕事なのかわかんないんだけど、花の世話をするの?」ハトラが、崩されたままの花壇のほうを見やった昼間の明かりでみると、索漠としたな灰色の甲板にたいして、実にちっぽけなオアシスだった。
「いやいや、仕事じゃない。趣味さ。仕事は船に必要だからやることで、趣味では自分に欠かせないことをやる」
「ふーん。で、海のど真ん中で、どうやって花壇作るわけ?」
「船が河口域に入るたびに砂をさらってさ、塩が抜けるまで雨にさらして、それでもってようやく流木で作った枠に注ぎ込んで…」
「種は?おれは鳥が食いに来る実のなる木がほしい」
「海鳥が食べるのは魚だよ」と、庭師は害のない笑いをして話しつづけた。「種は風まかせだったり、持ち込まれた果物を試してみたり、いろいろ。何年もかけてね」庭師もまた、かき乱された花壇を見た。
「海賊ってのは荒っぽいからねえ」ハトラが言った。ダームダルクは脇にいやな汗を感じていたが、滑空機械のことはまだ秘密のままだった。
「ネコ君のいうとおり、海賊というのは迷惑なやつだ。ただ、乱戦のさなかに踏み荒らされたって感じじゃないんだよな。足跡の付き方がなんかひっかかるし、それに…」
「花壇なら、わしが直す。客の身に甘んじるつもりはない」ダームダルクは海を見つめたまま話をさえぎった。
 ある程度は本心からの言葉だった。本心の半分は、家賃を払わない居候になることを恥とする気持ちであり、のこり半分は職人の仕事を台無しにしたことにたいする詫びであった。
 そもそもの半分は、滑空機械のことから注意をそらすための言葉だ。もしかするとそのうち、博士が量産を成功させるのかもしれないが、空を飛べる機械を自分だけのものにしておきたかった。
「あたしがやる。楽しみを他人に譲る気はないし」庭師はちらと詰め所を見て「独り占めってのは、楽しいだろう?」と言った。
 ハトラはといえば、会話にあきたらしい。いまでは甲板に降りた海鳥に目線をすえている。
「殺さなくてもよかった」
「殺さなかったら、あんたが死んでたよ。そしたらあたしゃ大目玉だ」
「他にやり方はあったろう」
「どんな?」
「釣りのコツを教えて、あんなことをせずに食っていけるようにするとか。乗客にも、釣りについて語りたいやつが、一人くらい、いるんじゃないか?」と、言ってから、皮肉に気づいた。機械を独り占めすることばかり考えていたのに、いまはコツを共有しろといっている。
「船長が認めないさ。『知識の漏洩だ』とかなんとかいうに決まってる。それにさ、あんただってそのうち余裕がなくなるよ。一人死んで、そのぶん自分のメシが増えた、そう思うほうがラクじゃないかな?」
「乗員にメシの心配をされる密航者になるとはな。獄に繋がれた盗人とて、賄賂を出さねばメシにありつけないというのに」
 ハトラは、じりじりと鳥に近づいていた。
「そんなに今の境遇が不満?」庭師はダームダルクの首にある護符をさして「殺されて死ぬ心配がいらないってのは、結構いいもんじゃないかな。陸ではそうもいかないってことくらい、あたしらも知ってる」
「極限の状況でも、自分だけの力でやってこそ、真の戦士だ。わしの兄弟には…」
 庭師は大笑いした。
「こそ泥、せいぜい、気取ったところで盗賊どまりの奴が、戦士とか、笑えるよ。ならあたしは海の女王だ」
 まだ当たりはこない。
 水面までの距離、つまりは糸が長すぎて、魚が餌にちょっかいを出した時の手応えが、糸をのぼってくるあいだに消えさるのだろうか。握るところをかえたり、竿をおとす寸前まで掴む力を弱めたり、糸そのものを手にとってみたり、工夫はしてみたが、いっこうにかからない。
 異変に気づいたのは、場所を変えようかと船尾をみたときのことだ。
「夜中のうちに針路を変えたのか?」
 昨晩の島が、今日もまた船尾に見えた。見た目は昨日よりも大きい。船が後ろ向きに進んでいるのかともおもったが、風の向きが否と告げていた。島は切り立った崖を船にむけているようだった。
「いや、ずっと同じだけど」
「じゃあ、あれは…」陸は思いがけないほど近くにみえる、いや近づきつつあるような気さえする。立ちあがろうとすると、肩に万力のような重みがかかった。だん、と甲板に押さえつけられる。
「逃げていいとは言ってない」
「鳥が逃げちゃったじゃん」ハトラの抗議をききながら、ダームダルクはかろうじて自由な片手で船尾をさした。
「大将、泳げってんならごめんだよ」
「人はいるか?船はあるか?」
「だからさあ…」ハトラの声がとぎれた。同時に庭師の力もゆるんだ。
「なんだ?逃してくれるのか?」
 返事はない。首をよじってみあげると、庭師も船尾に注意をむけていた。
 島の輪郭が変わりつつあった。
 絶壁をもつ孤島といった雰囲気はみるみるうちに消え失せて、島は左右にぐんぐんと伸びていく。鳥が翼を広げるようだ。
 岩の帯は船尾から両舷へのびていく。
 やがて壁は船首方向へたどり着く。
 重厚な音を立てて両端が合わさった。輪は閉じた。
 昼間の光のもとで岩壁を観察すると、天然の岩というよりは城壁に近い作りだ。壁の高さは甲板よりも高い。胸壁は風雨にやられたように、ところどころ欠けている。
 遠くから見れば、自然の島の輪郭のようにも見えただろう。壁へと变化さえしなければ、岩がちな島であったろう。
 そんな岩の壁が、巻き網のようにして船を取り囲んでいる。
 船が、けたたましく唸りをあげて、足元の床も震えた。やがて船足がゆるみはじめ、まもなく唸りもおさまり、動きが止まった。

軍議

 ダームダルクは庭師に引きずられるようにして、詰め所の三階にきた。全部で八人。話しあうには手狭な空間を、壁が窓越しに圧していた。
 乗員たちはダームダルクを見て体をこわばらせたが、庭師が片手をあげると場は収まった。船長だけが、苦々しげな咳払いをした。
「では…、評定をはじめるとしよう。航海長」
 呼びつけられた乗員が、説明をはじめた。
「巻き網と呼ぶことにしたあの壁は、実際に存在するものです。幻覚や投影のたぐいではありません。観察した結果から、そういえます。具体的には、巻き網の上辺に鳥が止まっていることと、壁際で波が砕けることです。まき網は狭まってきていまして、このことは…」
「あれは石だろ?石の輪っかが狭まったら、短くなったぶんはどこに行く?」庭師が口をはさんだ。船長がまたしても咳払いをしたが、気にする様子もない。
「ご指摘ありがとうございます。短くなっただけ、壁の厚みが増しているようです。一等航海士の観測も、この推測を裏付けます。円の内側にとまる海鳥と、外側にとまる海鳥の見た目上の大きさが、変化しているのです。時間とともに、内側の鳥は大きく、外側のは小さくなります。いまは男の肩幅と同じくらいでしょう。あれほど大きな構造物にしては薄いですが、それでも実際に存在しているわけです」
 正真正銘の魔法の船を、同じく魔法の壁が包囲しているのだった。
「いまはまだ、巻き網との交渉をもてていない」船長が言うと、乗員が二人うなずいた。
「話し合いの時間は終わりってことだ」庭師がいうと、三人の乗員がうなずいた。ダームダルクも、心のなかでうなずいた。
「機関長、なぜそう好戦的になる?」船長がいった。
「巻き網とやらが舷側につけてこないからだよ。長話してる場合じゃないが、もしも変わった船同士なかよくしようって気があるなら、囲んだりせずに横付けするだろう。普通の船同士がやるみたいに。巻き網は海の上を好きに動けるみたいだ。やろうと思えば舷側につけて挨拶だってできるだろう。でも、やらない。代わりにあたしらを囲んだ。だから、敵意ありとみる」
 船長はあごに手をあてて話をきいていて、反論はしなかった。
「待ち構えて迎撃しましょう」乗員の一人が口を開いた。「これまでも、それでうまくいっていました。なにせ勝手知ったる自分たちの船ですし、機関の加護…」乗員は、しまったというように言葉を区切って船長を見た。
「続けてくれ、水夫長」
「加護もありますし、もし敵が小船でも出して切り込んでくるなら、弩砲で迎撃できます。本船は舷側に穴があいていますから、寄手の道筋も予想できます。以上のことからして、守勢に回るのが妥当でしょう」
「ごくろう、水夫長。他にも意見があれば聞かせてほしい」船長はあたりを見回した。
「ビビってないで切り込もう」庭師がいった。
「海兵隊長は殉職なされた」水夫長が否定した。
「あたしがやるよ。待ってるうちに巻き網が狭まって、あたしらを絞め殺すかもしれない。だから切り込んで、なんとかして網を開かせる」
「反対だ」船長もいった。「いまさら役職のことはいわない。だが…、切り込んだあと、どうにかして壁を開かせる能力が、我々にあるだろうか?乗員は損耗しつづけている。一方で…、再生までの間隔は長くなるばかりだ。機関は老いている、加護がどこまで及ぶか分からない」
 重苦しい沈黙が流れた。
「わしもいいかな?」ダームダルクがいうと、いっせいに注目が集まった。
「何かな?」
「船長に賛成だ。城壁の幅は人ひとり分だそうだが、そんなところによじ登って切りこんでどうなる?たとえ数で勝っていても、有利にはなるまい」
「あのぉ」航海長が手を上げていた。「城壁の内部のことは未だ不明でして…」
「楽観論だ」まだ発言していなかった者が、口をはさんだ。おかげで議論が紛糾しかけた。
 絶好の機会だった。手をうんと高くあげると、船長がダームダルクを指名した。
「わしらを斥候にしろ。空飛ぶからくりで、壁の仕掛けを暴いてやる」
 詰め所が静まりかえった。
「からくりとやらは、どこにあるのかな?」船長は窓の外と、ダームダルクとを交互に見た。
「どこにあるか?そんなことは問題ではない。かんたんだ。絹布と竹でいい。竹に布を張って、たわんだ形の翼にする。下面で空気を受けとめて、上面では受けながすような翼だ。背負って、風上にむけて走って踏みきれば、トンビのように飛べる」
 青銅の螺子のことは誰も気づかなかった。
「そんな仕掛けが本当にあるのですか?」航海長がいった。
「あるとも。正式名称を滑空機械という。お主の部下が梟の目を持っていれば、昨日の夕暮れに羽を持った戦士が、この遊弋書庫を救うべく降りたったさまを見ることができたはずだが、報告は受けていないのかな?」
「ええと…」
「戻るあてはあんのかい?」庭師が肩をつかんできた。
「わし『ら』といっただろう」胴着をはだけると、ハトラが最寄りの卓へ足をおろした。いつもよりゆっくりとした動きだった。
「大将、まさかとおもうが…」
 猫がしゃべりだすと、乗員たちのあいだにどよめきが広がった。静かにさせる役目は、またしても庭師だった。
「安心しろ、二人とも壁に降りるんだ」
「それで?」ハトラが不安げに見上げてくる。
「うまくいけば万々歳、もし駄目だったら、おぬしだけでも逃げろ。どんな仕組みで壁を動かすのか、どれだけ敵がいるのか、斥候として伝えるべきことを持ちかえれ」
「泳ぐくらいなら死ぬ」
「死ぬとはかぎらんだろう。この船の連中がうまくやれば、おぬしは船の猫としてなんとかなるだろう」
 ハトラは声にならないような声を上げると、入れ墨にもどった。
「君『たち』の合意は形成されたと見ていいのかな?」船長がいった。
「大丈夫。わしが囚われ人になっても自害しなかったように、こいつも水が嫌いだからってだけで黙って敵を待つようなタマじゃない」
 船長はゆっくりと、深くうなずいた。
「よし、成功の暁には金貨で…」
「解放だ。わしらを自由にしろ」
 船長は腕をくんで窓の外を見つめた。次の言葉が出るまで、しばらく時間がかかった。
「今すぐにでも自由にするとも。対価さえ払ってくれれば」
「何が望みだ?」
「滑空機械の場所だ」船長は、顔のない顔を、まっすぐに向けてきた。
 機械が失われたことを白状して、新しく機械を作るよう進言して、螺子だったところを紐でなんとかする、これでうまくいくだろうか。修理ならなんとかできそうだったが、博士抜きで新造できるだろうか。
「あたしの部屋にある」庭師が一歩前に出た。船長も驚いたが、ダームダルクもだった。
『やっぱりね』ハトラがいった。

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