見出し画像

ヒロイック・ファンタジー小説「兄弟と追手達」

騎馬遊牧民の兄弟が怪物を退治したと、証拠なしで言い張り賞金をせしめた。ところが、兄弟には追っ手が差し向けられた。仕留めたはずの怪物が実は生きていたのだろうと推測した兄弟は、騎馬遊牧民の騎射術を活かせる山の狭い桟道を、逃走経路に選ぶ。

第一幕

 アーク兄弟は山道を登っている。蒸し暑い南国の密林が、高燥たる北国の草原育ちの二戦士に、大きな試練を与えていた。
 兄弟が引いている二頭の馬には、重そうな箱が二つずつ括りつけてある。
 山の高さと険しさをおそれて猿も鳥も引き返すという伝説は、所詮伝説に過ぎなかった。聞こえてくるのは野生動物の鳴き声と自分たちのたてる音だけ。二人に驚いて、大小さまざま、色とりどりの生き物が逃げ出した。
「兄者よ、なぜ俺たちは追われている?」
「仕留めたはずの例の怪物が実は生きていたとか、そんなとこじゃろう」
「俺たちは首も取っていないのに賞金をせしめた詐欺師扱いをされている。どうしてこうなったと思う?」
「アレには首がなかった。おまけに、霧みたいに消えおった」
「俺が思うに、兄者ご自慢の魔法の分銅とやらがインチキだったせいだ」
「いいや、おぬしが人買いの口車に乗せられたのが先だ。おかげで怪物騒ぎに首を突っ込むはめになった」
「あのぽん引きに騙されたのは、兄者とて同じだろう」
「過ぎたことをいちいち言うな。金をもって逃げるのが先じゃ」
「だからこんな狭い山道を通る羽目になったのだ」
「そのうち敵さんが同じことを言う羽目になるさ」
 枝をうるさそうに払えば、跳ね返った枝は後ろをゆく馬の額を打つ。馬が抗議の嘶きを上げれば、極彩色の孔雀が羽根をちらして飛び立つ。熟練の野伏は気配を悟られることなく野山をゆくと噂される。両者とも未だその域には達していない。
 いまは青鹿毛をひいた兄が先、白鹿毛をつれた弟が後ろになっているが、順序は二人の力関係を意味してはいない。先頭は日替わりにしている。
 日が西に傾きつつあるころ、二人がたどり着いたのは桟道だった。

読者の皆様へ
 「兄弟〜」とタイトルが始まる本シリーズは一話読み切り形式です。たしかに、本シリーズ内の他作品で起きた事件は、本作に関わっています。しかし、他作品を購入されていなくても大丈夫なよう、説明を入れてるのでご安心下さい。単行本にまとまる前のエルリックやディルヴィシュみたいなことがやりたいんだなと、思っていただければ幸いです。
 210313追記のお詫び:上記に事実誤認があり、お詫びいたします。エルリックもディルヴィシュも、作中の時系列と同じ順番で発表されていました。
 まず、単行本にまとまる前のエルリックは作中の時系列と同じ順番で雑誌に発表されていました(『この世の彼方の海』早川書房、2006の「解説」による)。また、ディルヴィシュについてもほぼ同様です。「《氷の塔》」(1981発表)のあとに「血の庭」(1979発表)がくる点をのぞけば、作中の時系列と同じ順番で発表されています(『地獄に堕ちた者ディルヴィシュ』東京創元社、1988の「解説」による)。
 以上のように「要するに(中略)幸いです。」の箇所は誤りでしたので、訂正いたします。事実確認を怠っており申し訳ありません。

「まっこと大した馬たちよ。よくぞここまで登ってくれたわい」
「それはそうと兄者よ、東に逃げ切るのは難しそうだぞ。一戦交えねばなるまい」
 断崖に打ち込んだ杭に、板を張り渡して作られた道が伸びている。通ってきた道程にくらべると、ほとんど傾斜はなくて平坦だ。いくらか高いところに来たから涼しくなったが、故郷の草原とちがい随分と湿っぽい場所だ。向かい風が吹いている。
 追っ手たちとの間隔は縮まっていた。耳ざとい兄弟たちは、さきほどから馬の嘶きを耳にしていたが、いまは兵隊独特の悪態も聞き取れた。
 鷹のように鋭い兄弟の目は、木々の隙間からも敵の姿を捉えていた。
「だいたい二十人といったところじゃな」
「待ち伏せで全員斬り倒すわけにもいかんな」
 自分たちの足元からは、道をなす板がきしむ音がした。気持のいい音ではない。とはいえ、敵に追いつかれて槍だの刀だのを突き立てられるのも御免だ。
「ああ、大金槌なりツルハシなりあれば、道を落としてしまえたんじゃが」
「そんなものはない。どのみち、道を壊したら詐欺だけではすまんぞ」
 両人はひらりと鞍にまたがると、左横に提げていた弓を手にとった。鐙に押し付けて曲げ、弦輪を弓弭にかける。弓は南方で作られたものであり、北の彼方にある故郷のものとは大きく仕様が異なる。それでも、二人は慣れた手つきであった。両手は武器のためにあけて、脚だけで馬を操っている。戦の仕度は整った。
 馬二頭がぎりぎり並んで通れるだけの狭い道だ。右も左も絶壁である。違いと言ったら、右にそれても服を汚すだけで済むが、左だと谷底へ真っ逆さまということくらいだ。
 二人は韮の葉のごとく狭い道をゆく。
「さながら葉っぱについた朝露じゃな。わしらは」
「朝露なら、落ちたところで翌朝にはまた現れるがな」
「崖下の河には、飽食を知らぬ溯上鮫が棲んでいるというぞ」
「俺たちの後には、女王様に忠誠を誓う追っ手がきているぞ」
 道のカーブはおおむね緩やかで見通しは良い。投槍はもちろんのこと、弓矢が届く距離でも射線が通る。
「逃げながら射って始末するにはうってつけの道じゃ」
「それしかないな。狭い道とはいえ、大勢相手の斬り合いはさけたい」
「問題は、上じゃ」
「厄介だな」
 二人のいる場所から、人の背丈にして三人分ほど上にいったところにも道がある。急斜面を削り出した道で、片側の壁が無いトンネルといったところだ。手すりがないのは同じだが、落ちても運が良ければ、桟道が受け止めてくれる。
 上の道と兄弟のいる桟道は、山を抜けたところで合流する。
「先回りされて挟み撃ちされてはな」
「上でもどこでも仕留めてみせるさ。兄者はせいぜいまじないでも唱えておれ」
「弓弦の音が何よりのお祓いじゃ」
「とにかく撃てるだけ撃って、あとは成り行きさ」
 弟は十二本きりの矢筒を叩いた。兄と合わせて二十四本の矢があった。
 敵の喇叭が山々を揺るがした。

 矢頃にいる追跡者は三騎。めいめいが投槍を構えて、道の真中を縦一列の駆け足でやってくる。
 逃亡者たる二騎も同じようにして、相手に対する投影面積を減らしている。
 追手の先鋒が拍車を入れた。撃たれるよりも早く、投槍の間合いに入ろうというわけだ。兄弟とは違い、敵は左手で手綱を握ったまま、右手で武器を構えている。
 弟のバーキャルクが動いた。前傾すると左に身を捩って後ろ向きに矢を放つ。
 一射一殺。敵に躱す暇など無かったはずだ。追跡者の後頭部から三角の鏃が突き出た。右目のあったところに矢筈があった。
 追っ手は馬から落ちて崖下へ消えた。
 すこし間をおいて、犠牲者のたてた水音がした。
 結果を見届けるより早く、弟は馬を右へ寄せた。兄の射界を確保するためだ。
 即座に兄のダームダルクが矢を放つ。
 飛翔経路は弟の耳を切り落とさんばかりのところだが、弟は首をピクリとも動かさなかった。
 二人目の追跡者は、信じられないものをみたというように、目を見開いて絶命した。
「うまいぞ、兄者」
 音だけで結果を知った弟が、兄に称賛を送った。
 こんどは弟が、腰を捻って後ろに弓を向ける。敵の二頭の馬がもつれ合って道を塞いでいる。二人目の死体は鞍に乗ったまま、暴れる馬に揺られて下手くそな人形劇のような動きをしている。三人目の追っ手は、暴れ馬たちに慄いて脚を止めたところだ。
 弟は無造作に矢を放つ。
 敵の額に矢羽の花が咲いた。
 双雄の哄笑が山々に響き渡った。

第二幕

 二つの亡骸と三頭の馬が桟道を塞ぐ。追っ手との距離は広がりつつあった。
 青鹿毛と白鹿毛が再び道の真中で一列になった瞬間、逆棘のついた投槍が崖上から降ってきた。突き立ったのはさっきまで弟がいたところである。
 板に刺さった衝撃で、柄がしなってウッドベースのような音をたてる。兄弟は変幻自在に馬を駆って狙いを外しにかかる。蹄鉄が桟道を打ち鳴らし、無数のビートを刻む。
 馬を操りつつも、二人は敵の動きを探った。
 弟は振り返って上の道を探る。兄は耳で蹄の音を聞き分ける。
「四騎じゃ」
「お見事」
 ところどころにある右コーナーが、兄弟にとって有利に働いた。右曲がりになるたびに二人は駆け足をして、アウトコースたる桟道を先行した。インコースに相当する上の道にとどまらざるを得ない敵の進路と、矢の軌道が平行に近くなる状況を作り出したのだ。
 狙いもつけにくく、距離のために矢の勢いが削がれることもあり、ワンショット・ワンキルとはいかなかった。八本を費やしてようやく三騎仕留めると、上の道で動くのは一騎だけとなった。

 死してなお崖の上に留まる追っ手たちを見て、兄弟の顔には感心したような、落胆したような表情が浮かんだ。
「南方の馬術も、バカにしたもんじゃないの」
「桟道に落ちて板を叩き割ってくれればいいものを」
 二人は、残る一騎が栗毛の馬から降りて伏せるのを見た。当てるのは難しい位置だ。
「死に損ないの介錯かの」
「矢が足りなくなってきたぞ」
「じゃが、先回りされる心配は減った」
「まだ分からんぞ。それに…」
「後ろが心配か?」
「矢もだ」
 残る矢は二人合わせて十三本である。長い弧を通るたびに数えたところでは、残る敵は上下あわせて十四騎だ。
「すこし歩調を緩めてもいいか?わしの馬がへばってきた」
「ああ、いいぞ」
 兄弟は馬を並足にした。殺し合いの最中には意識にのぼってこなかった絶景が、いまになってようやく二人の心を捉えた。左手の弓も、右手の矢も忘れて、ただただ絶句していた。腹の底からこみ上げてくるものを言葉にするには、しばらく時間が必要だった。
「いい眺めだ。ああ、いい眺めだ」
「酒と音楽が無いのが残念じゃ」
 清々しい山の空気が鼻孔をくすぐる。いくつもの鳥のさえずりや、猿の鳴き声が胸に染み入る。二人とも、誰のせいで追われているのかという話題を蒸し返す気にはなれなかった。
 谷川を挟んで反対側には、西日を浴びている山々がある。紫のもやをまとうのもあれば、頭一つ飛び抜けた奇巌もある。長年の風雨に晒されてきたような岩山もあれば、黄金や赤銅に輝く木々で着飾った山もある。滝もまた陽光にきらめいている。階段のように落ちる滝もあれば、突き出た崖の唇から一直線に流れ落ちるのもある。貴婦人の髪のように長くさらさらと揺れる滝には虹の髪飾りがついている。大箱いっぱいの真珠を撒き散らしたような大瀑布もある。
 滝にも峰にも一つ一つ名前がついているそうだが、兄弟たちにはどれがどれにあたるのか分からなかった。
「探せばきっと、下界の蒸し暑さから逃れるにはうってつけの場所が見つかるぞ」
「雲で隠れたところには、隠者が草庵を結んでいるじゃろう。滝の裏にもいるやもしれん」
「俺が欲しいのは王者の館よ。なんなら王宮の庭に兄者の庵を拵えてやってもいいぞ」
「わしとて目指すは王よ。八方を統べる大王さ。清貧の隠者など願い下げじゃ」
「王になるのは俺さ。どんな山でも見下ろせるような城を作ってやる」
「口だけならどうとでも言えるわい。だいたいそれだけの石をどうやって集める」
「三つ四つと国をとれば簡単さ。魔法を見つけるよりもな」
「石も人足もよりどりみどりというわけか」
「ああ、そうだとも」
「しかしだな…」
「どうした、まだやるか、兄者?」
「国を長くもたせるには魔法が必要だと思えてならんのじゃ」
「王になっても早死してはつまらんな」
「おい、はぐらかすな」
「国を一つにまとめておくためには、王は長寿であるほうがよいなあ」
「ああ、だからな…」
「要するに、われらが父王、永遠の若さを持つ大王のことだろう」
「そうじゃ」
「俺に聞かれても困るよ。せいぜい魔法が実在する証拠だと思ってありがたがっておけ」
「慰めにもならん慰めじゃ」
「気休めを欲しがる兄者ではあるまい」
「ああ、そのとおりだ」

 長い休息はとれなかった。自分たちのものではない蹄の音が、だんだんと大きくなってくる。どれも桟道を踏み鳴らす音で、まとまった数だ。
 敵の隊形は厳密な縦一列ではなく、やや横に広がっている。
 兄弟は縦一列の隊形をとった。兄が先で、弟が後ろだ。
 弟は、自分の馬が並足のままでいることに、舌打ちをした。乗り手と違って乗騎の方は、まだ休憩気分でいるようだ。兄の背中が遠ざかっていく。後ろからは蹄の音が近づいてくる。追っ手が九騎、前後の間隔を取りつつ間合いをつめてくる。
 弟は歯噛みして弓矢を引き絞る。
 間合いは急激に縮まり、矢と槍は同時に放たれた。
 弟の矢が一人を仕留め、もう一人も兄の矢が射抜いた。槍はどこだ?
 腰骨を砕くような勢いで飛んできた投槍は、弟の馬の背にある箱に突き立っていた。収めてある金の延べ板に、鋼の穂先が食い込んでいる。
「くそっ、金に傷がつく」
「いいから早く撃て」
「わかってるよ」
 兄弟は左右に広がった。投槍の間合いに入れさせることなく、弟が三人目を射抜く。兄が四人目を討ち取った。
「あそこの五人目も仕留めてくれるわ」
 不敵な笑みを浮かべて兄は宣言する。気合を込めて弓を引くと、プツンと音がした。
 兄の弓弦が切れていた。
「もたせろ」
「わかってるさ。早いところ代わりを出せ」
 兄が作業しているあいだ、弟は一人で残り五人の追っ手と対峙する羽目になった。弓弦の切れたことが知れたらしく、敵はいまが好機とばかりに拍車を入れて突進してくる。
 相手はこれまで以上に勇敢であった。一人か二人殺せば桟道が塞がって時間が稼げるだろうと弟は思ったが、そうそう上手くは行かなかった。誰もが巧みな手綱さばきをみせた。死んだ味方をうまくかわしながら、ときには射線を遮るための盾にしながら、着々と間合いを詰めてきた。
 それでも弟は四人を射抜き、矢が尽きた。


 弟のバーキャルクが奮戦しているあいだに、兄のダームダルクもまた必死になっていた。まずは切れて使い物にならなくなった古い弦を捨てた。予備の弦は巻いた状態で提げている。軽く緩めてから、弓に引っ掛ける小輪をつまんで引っ張り出せば済む。
 前に向き直った弟は、苦虫を噛み潰したような顔で、再び振り返る。残った九人目は手強そうだ。転がる死体と戸惑う馬を、かわして近づいてくる。馬の背中で育ったも同然の兄弟から見ても、巧みな馬術である。
「兄者。早くしてくれ」
「いまやっとるわ」
「要領の悪い飯屋か」
「文句なら敵さんにいえ」
 まだ兄は手こずっている。熱帯仕様の弓矢一式には慣れたつもりだった。いまの弓に替えてから、弦は何度か張り替えた。普段なら馬を御しながらでも出来る。とはいえ、追われながらの交換は初めてだった。なかなか予備の弦を引き出せない。格闘するうちに手汗が滲んでぬるぬるしてきた。
 ようやく取り出した弦を弓の下端につけたあと、いつもどおり鐙を使って弓をたわめようとした。左手で弓柄を握りしめて下に向ける。手応えが無いと、思ったら路面に弓をぶつけてしまった。路面の板の継ぎ目が弓を一瞬だけとらえた。あわや落馬するところであった。
「おい、兄者、コケてくれるなよ」
 兄は弟の声を無視して弓と格闘を続ける。眉毛と睫毛、二つの砦を乗り越えた汗が目に入り込んで痛い。口にくわえた手綱をぐっと噛み締めてこらえる。
 弟の背後に、追手の蹄の音が迫る。拍車を入れて疾走させているかのような勢いだ。振り返ると、相手の顔がはっきりと見て取れた。勝利の美酒と叙勲を確信している表情で、投槍を構えている。
 敵が上体をそらして槍を振りかぶった、その瞬間、弟の頭の脇を何かが飛んでいった。
 追っ手の眉間に飛び込む鈍色の塊。
 怪物退治で役立たずだった魔法の分銅だ。兄が苦し紛れに投げつけたに違いない。
 額を割られた敵は、苦悶の雄叫びを上げると、体の平衡を失って鞍から放り出され、桟道に頭を打ち付けて、静かになった。左足は鐙にはまったままで、馬が大人しくなるには少し時間がかかった。
「どうじゃ、あのインチキの分銅も役に立ったじゃろう」
「なに、俺なら適当な石ころで同じ事をやってみせるさ」
 兄弟に、戻って死体を検分するほどの余裕は無かった。もし戻っていたら、分銅が魔法かインチキか、結論が出たかもしれない。
 実際には、矢頃には敵が見えないのを確認してから歩調を緩め、落ち着いて弦を張り替えるくらいの時間しか無かった。兄が弦に取り組んでいる間に、弟も金の延べ板に刺さった槍を始末した。

 集まってきた禿鷹の目を拝借して、視点をいくらか後ろにずらそう。
 栗毛の馬を駆って、上の道を急ぐ者がいる。騎手の顔には疲労の色が濃く滲み出ていた。予定では定例の訓練だけで、こんな物騒な遠乗りをするはずではなかった。
 共にいた三人の部下たちは、みな死んだ。左手には首級をあげると誓った長槍を抱えている。右手には国運の守護者たる将軍から賜った黄金の腕輪がある。懸崖を彫り抜いた道に蹄の音を響かせるのは、もはや彼一人だった。
 もうじき敵に追いつく。名誉挽回の時は近い。

 兄弟は足並みを緩めて、追手の動静を伺った。
「兄者、桟道にのこってる四騎はまだ遠い」
「当てられるか」
「当てられるとも。だが、こう遠くては致命傷にならん」
「上の一騎も遠いな?」
「ああ、大丈夫だ、いまのうちに矢を分けてくれ」
「分かった」
 矢を受け渡すため、並足にして兄が左、弟が右にずれた。
「二本でいい」
「なんだ、遠慮か?」
「違う。俺が余分に働いたからだ。兄者は三本分働け」
「こっちの気もしらんで、憎まれ口を叩くやつには二本で十分じゃ」
 軽口をたたきながら、兄は矢筒から二本選んだ。
「そういえば崖下の浜にいた悪党どもに、上から攻めかけてやったことがあったな」
「そんなこともあったな。あれはどこだったかな」
「いや、あれは浜じゃなくて沢じゃったか」
「俺の記憶では浜だと思ったが」

 兄弟は、崖上の追跡者が歩調を速めたことにも、尋常ではない動きを馬に命じたことにも気付きそこねた。
 兄の頭上めがけて馬が降ってきた。
 兄は絶壁を見上げると同時に馬を捨て、己を右前方へ投げ出した。右肩を桟道へしたたかに打ち付けた。槍の穂先に貫かれるよりはましだ。磨き上げた乗馬靴が、鐙からなめらかに外れてくれた。左手の弓と右手の矢は握りしめたままだ。落馬の恥と肩の痛みを、歯を食いしばってこらえる。
 敵の乗り手は長槍を稲妻のごとく突き下ろしてきた。
 栗毛が青鹿毛を押しつぶすかのように衝突する。桟道は急な衝撃に耐えられなかった。己の運命を悟った馬同士がもつれ合う。二頭は嘶き、悲痛な調和を奏でると、砕け散った木材や積荷とともに消え去った。
 眼前の光景に、弟は急いで手綱を引いた。白鹿毛が棹立ちになる。
 敵は板に突き刺した長槍がしなって崖側に傾く勢いと、膝のバネとを使って見事に桟道の上に着地した。命知らずの突撃をした騎手は光を反射しない黒の鞘を払いながら立ち上がると、倒れ伏しているダームダルクへと無言で飛びかかっていく。
 西日が敵の刃をぎらりと光らせる。
 自分たちを上から見れば、さながら「く」の字のような位置取りになるだろう。
 崩れ落ちた桟道のそばに倒れている兄が起点だ。剣二本ほど左下へいったところに、敵が立って今まさに踏み込まんとしている。弟は「く」の字の終点にいる。左前方の敵には新月刀を向けづらい。馬の首が邪魔になるからだ。
 黄金の腕輪の男が剣を振り下ろす。
 時同じくして、弟のバーキャルクの手から鋼の閃きが飛んだ。数本の指と一緒に剣と短刀が崖下へ吸い込まれていく。続けて兄が跳ね起きて虎豹のごとく獲物に飛びかかり、左右の手に握りしめた矢を敵の頸に突き立てた。
 桟道が紅に染まった。

第三幕

「さっきの助太刀、感謝しているぞ」
 返り血で前がよく見えないのか、兄は手探りで桟道をさぐっている。
「俺の手柄を増やしたかったまでよ」
 弟は兄の目を盗んで敵の腕輪をくすねてから、桟道に転がっていた兄の弓を差し出した。
「おい、兄者。弓だ」
「かたじけない」
「そんなことより兄者、もしいま父王が身罷ったという知らせが来たらどうする」
「決まっとるわ。草原に一番早く戻って兄弟皆殺しよ」
「俺も同じことを考えていた」
「では、なぜ目の前の兄弟を真っ先に殺さない?腹違いの兄弟を放っておく手はないぞ」
「決まっとるわ。共倒れになるのが目に見えている」
「兄弟相手に謙遜とは、水臭いぞ」
「では、なぜ逃げながら俺を撃たなかった?どっちに避けるのかわかるのだから、射抜くのは簡単だろう」
「決まっているわ。矢が足りなくなってわしがやられてしまう」
「兄弟相手に謙遜とは、水臭いぞ」
 まだ兄弟にはやるべきことがある。仕留めていない残り四騎、勇猛に戦った槍騎兵の弔い、砕けた桟道を越える手段。追っ手の蹄の音が少しずつ近づいてくる。何が起こったかは、遠くからでも敵に見えたことだろう。
「丁重な弔いは、敵に任せるしかなさそうじゃ」
「ああ、向こうの流儀にまかせよう」
「四つあった箱も、いまは二つだけ。箱が邪魔で二人乗りはできんぞ」
「金だけ持っていこう。箱は捨ててしまえ」
 箱そのものも、南方の銘木に彫刻を施した一品なのだが、二人には箱を作り上げた職人の労苦を思う余裕はなかった。白鹿毛から重いものや、かさばる荷物をおろしていく。金の延べ板は背嚢や靴の中、服と肌着、肌着と肌の隙間など、あらゆるところに詰め込んだ。
 後から蹄の音が近づいてくる。
「宝はこれでいい。どうやって逃げる?棒高跳びか?」
 弟は桟道に突き立つ長槍を指さした。
「あれは戦士の墓標じゃ。みだりに動かしてはならん」
 こうなったときの兄の説得が難しいことを、弟は何度も思い知らされてきた。
「わかったわかった。走り幅跳びはどうだ。一人が綱を持って向こう側につけば、もうひとりはその綱を使えるだろう」
 兄は弟を胡散臭そうな目で見た。
「すまんが、金を詰め込んだ服で走るのは厄介そうでな、崖登りはどうじゃ?」
「早くしないと串刺しにされるぞ。どのみち歩きでは逃げ切れん」
「たしかに、越えたところで、敵さんは馬で飛び越えて追いすがってくるな」
「くそっ、最初から馬と言えばよかった」
 兄弟は残った二枚の金をひとつずつ手にとって二人乗りをした。
 敵の蹄の音と叫び声が聞こえるなか、財宝で着ぶくれした二人を乗せた白鹿毛が跳躍した。大凧で飛び上がったような一瞬の浮遊感が訪れたあと、二人と一頭は再び桟道に降り立った。
 兄弟は投槍の間合いから外れるだけ進むと、馬から降りて振り返り、敵を待ち構えた。
 やってきた四騎を出迎えたのは、血染めの桟道に転がる死体、突き立った槍、自分たちに向けられた鏃だった。
 追っ手たちは曖昧な笑みを浮かべると、全ての投槍を下手投げで崖下に捨てた。
 兄弟は狙いを敵の腰につけると、弓矢を上下に軽く揺すった。
 追跡者たちは佩刀を捨てた。雑用に使う小刀もだ。
 一連の流れを、兄弟は歯を食いしばって見届けていた。戦うつもりがない相手を前にして、なぜ肩の力をぬかなかったのか。油断大敵だからか。いや、違う。二人は荷物に入りきらなかった金の延べ板を、口にくわえていたからである。
 落日を背景に大きな鳥が、一本の線を引くように滑空している。こころなしかゆっくり飛んでいるようだ。

ここから先は

0字

¥ 100

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?