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【中編小説】兄弟と遊弋書庫4/4

(これまでのあらすじ)脱出手段たる滑空機械を見つけられないダームダルクは船長と接触する。機械のことは秘密にしたまま、箱船を海賊から救った礼として陸にかえしてもらうつもりだったのだが、目論見は外れた。
 船長もまた秘密主義者であり、船長は船の秘密を守るためダームダルクを軟禁した。
 そんなダームダルクのことは全く知らずに、ツァフ博士が動きはじめていた。動く城壁を海に押し出して、箱船を鹵獲するという計画だ。ダームダルクと乗組員たちが海図にない島に気づいたときには手遅れ。島は円状の壁に変形して、船を捕らえた。

#1 #2 #3 #4 #梗概

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主要登場人物
(別ウインドウで開いたり、スクショを取ったりしてご活用ください)
ダームダルク・博士の弟子
バーキャルク・ダームダルクの弟
ツァフ博士・・島の魔術師
ハトラ・・・・博士の使い魔。刺青
ハルムト・・・博士の小作人。子供
船長・・・・・遊弋書庫の乗員
庭師・・・・・同上

機械

 庭師の部屋は遠くにあるらしく、階段を何度も降りた。ハトラは、急勾配の階段が気に入ったらしく、先を行く二人が一番下についたところで一気に階段を駆けおりると、いう遊びに興じていた。
 そんなふうにして船の中を下へ下へと進むうちに、舷窓がなくなった。明かりは外からの日差しではなく、揺らめく超自然のものに切り替わった。
「お姉さん、おれたちゃいったい、今どこにいるんだい?」ハトラがしっぽをピンと立てて問うた。
「第ナン層の第ウンジュウ番通路、なんて答えが君のお望みとは思えないんだけど」
「山の麓とか、家の玄関とか、そういうやつで」
「そういうやつなら、あたしの工房のそば、喫水より下ってとこ」
 喫水より下と聞いたとたん、ハトラは跳びあがって刺青にもどった。
 ある角を曲がるなり、
「あの扉だ」庭師は走りはじめたが、突然に、
「待て」と、ダームダルクを手で制した。突き当りの前方に扉があって、手前に火の玉が浮かんでいる。
「なんで写字精が?」庭師がつぶやいた。
「写字精?」
『火の玉のこと、船長の話、聞いてなかったな』戸惑っていると、ハトラが教えをたれてきた。
 立体五目並べをしていない火の玉を珍しいとおもったのは、庭師も同じらしい。実のところ、浮かんでいるというより、立ちはだかっているというようでもあった。
 庭師は、一人で歩いていき、写字精となんらかの意思疎通をはじめた。
『あの写字精は、昔のおれたちみたいなものかね』ハトラがいった。
「なら、時宜を待つべきだ」
『いまがその時期じゃないの?』
 どうやら、庭師の命令ないし説得が功を奏したらしく、火の玉は宙をただよい、ダームダルクのそばを通りすぎて、角を曲がってきえた。人間らしくいうなら、無感動な、仕事にうんざりしている水夫のようだった。
「さあさあ、入った入った」庭師が扉を押しあけながら、呼ばわった。ダームダルクは包囲が狭まっていることをおもいだし、いそいで駆けこんだ。
 部屋は広く、翼を広げた滑空機械を余裕をもって置けるほどだった。
「ちょっと試してみな」
 道すがら聞いたとおり、機械は修理されており、竹の構造材も絹の翼も傷一つなく、青銅の螺子は鏡のように磨きあげてあった。翼の折り畳みを試してみると、きしむ音一つなく動いた。
 庭師は、滑空機械をみて何度もうなずいている。
 修理されただけではなく、支柱のひとつにミミズのようなお守りが取りつけてあった。
「疑似餌か?」ダームダルクは眉をひそめていった。
「木の根だよ」
 言われてみれば、ミミズにしてはざらついているし、毛のような根もついていた。
「本物のお守りだよ。きっと役に立つ」
「海から拾いあげたのか?」
「そうだけど?」
「安全飛行のお守りとしては心もとない」
 庭師は額をピシャリと打ち、
「細かいことは気にすんな」背負い袋をおしつけてきた。機械と一緒に回収していたらしい。
 言ったそばから庭師は部屋を出ていた。ダームダルクもあとを追ったが、急勾配の階段を、滑空機械を背負ってのぼるのは大仕事だった。
『さあ、反撃の時間だぁ』ハトラは、胸の中で丸くなって、ごろごろと喉をならしている。
 汗みどろになって階段を踏みしめ、そろそろ露天の甲板に出るのかと期待をはじめたとき、ひと悶着おきた。
 かどを曲がった先から、悲鳴が聞こえたかとおもうと、乗員が一人、仰向きに倒れこむようにして姿をあらわした。片方の腕は肘から先が無い。もう片方で斧を振りまわして、相手を近づけまいとしている。
 相手は、二体の写字精であった。酔漢のように揺れつつ、色を目まぐるしく変化させて瞬く。見ているうちに目が痛くなって、吐き気がしてきた。
「来るな、来るな。助けてっ」
 庭師が駆けつけ、乗員から斧をさらいとり、走り込んだ勢いのまま写字精を横薙ぎにし、返す刀でもう一撃。それでもなお、写字精は健在だった。
「怪我人は任せた」言われるがままに、ダームダルクは倒れている乗員を引きずって戦いから遠ざけた。
「おさえたほうがいいのか」と、傷口をさしてたずねると、相手は首をふった。弱々しい動きだった。
「船長に、報告を…。写字精をおかしくされた。あの壁には、悪意ある文字列がある」
『火の玉野郎は文字という名のキノコが大好き。で、今回は悪いキノコに当たったってこと』
 とりあえずうなずいておくほかなかった。
 すぐに庭師がもどってきた。敵を始末したらしく、怪我もないらしい。
「ちょっとごめんよ」と、乗員を助けおこし、肩をかす。
「あんたは予定通り飛べ。あたしはこいつを連れてく。あの階段だ、いいな」
 ダームダルクは走った。

飛翔

 階段をのぼるにつれ、戦いの喧騒が聞こえてきた。まもなく、詰め所ちかく、甲板が海にむけて張りだしているところにでた。
 甲板の上は乱戦で、走って離陸しようという目論見は叶いそうにない。ダームダルクは飛びかう火の玉と、白刃をふるう乗員たちの隙間をぬって駆け、詰め所に飛びこんだ。三階まで駆けあがると、屋上へつづくのだろう梯子があった。
 詰め所の中にまで戦火が及びつつある気配を感じとりつつ、一段一段のぼっていき、ついに外へでた。すぐそばに、帆のない鉄の檣が立っている。細引きが二本張ってあることからして、帆柱ではなく旗竿のようだ。
 ダームダルクは檣ないし竿にとりつき、頂点を目指した。滑空機械で離陸するために必要な速度を、水平方向ではなく垂直方向で稼ぐことも不可能ではないはずだ。
 一気呵成に、もうこれ以上は登れないというところまで登りつめたところで、体を柱にくっつける。
 息を吸い、吐きだすと同時に肘をのばして宙に身を投げだす。両足を振りあげ、頭の後ろから海に落ちる。目に映るのは空だけ、直感だけで水面までの距離を読み、体を半分ひねって、翼をひらく。
 背筋をつかうと、絹布が風をはらんでふくらんだ。竹材がきしみ、肝を冷やすような悲鳴をあげたが、折れはしなかった。庭師はいい仕事をしてくれたらしい。手遅れにならないうちに落下から上昇にうつり、失速しないうちに水平にもどした。
 胸の中でハトラがほっと一息つくのを感じながら、気流をさぐり少しずつ高度をあげる。目指すは前方、いまや船を一周ぐるりとかこむ、まき網のごとき城壁だ。
 高度を城壁のてっぺんと同じ高さにしたかどうかというころ、右翼の下を太矢が通過した。後ろから、船からだ。
 左に旋回しつつ首をひねって、船のほうを見ると、張り出しに据えてある弩砲についている人影が見えた。弟のバーキャルクだ。
 密航者の身で休戦破りをして何の得がある?
 右に旋回すると、こんどは左翼の下を矢がとおった。
 一つの可能性が頭をよぎった。もしも、壁をあやつるのがツァフ博士ならば、辻褄は合う。弟は博士に出資したという。ダームダルクが壁に討ち入り、もしかすると中にいるのかもしれない博士を殺そうものなら、弟の投資は台無しだ。となれば、バーキャルクはなんとかして兄を撃ち落とす必要がある。出資したくらいだから、弟は壁のことも小耳にはさんでいたかもしれない。
 ダームダルクは皮肉な笑いを浮かべずにはいられなかった。弟は板挟みだ。兄を殺せば、滑空機械の研究は飛行士を失うことで遅れる。かといって兄を生かしておけば、投資先そのものが潰れる。潰れるよりは、遅れるほうがましという打算をしたのだろう。
 城壁に近づくと、壁面に三人の死体がぶら下がっていた。どれも見おぼえのある顔だ。博士の島にいた小作人である。人足として否応なく城壁に連れ込まれ、歯向かった者が見せしめに殺されたのだろう。
 第三の太矢、あるいは壁からの迎撃を警戒して、ジグザグに飛ぶ。が、攻撃はない。振りかえると、弟は消えていた。前に向きなおる。城壁をかたちづくる石材一つ一つに文字列が刻みこまれていた。石工が目印として刻む印を、壁一面に広げたようなものだ。
 ダームダルクも読める文字だが、内容はといえば支離滅裂で、みているうちに頭が痛くなってきた。文字が写字精を狂わせるという話がなんとなく飲み込めたが、より切実な問題が迫りつつあった。
 高度が足りない。

壁のなか

『溺死、衝突死、どっちが猫らしい死に方?』
 答えなど持ちあわせていない。
 視界のうちで壁の占める割合が刻一刻とましてくるなか、妙に息苦しく感じるのは、自身の緊張のせいか、それともハトラが足で心臓を押さえつけてでもいるのか。
 頭から突っこむくらいなら。衝突寸前に機体を引き起こした刹那、支柱にぶら下がっていた木の根のお守りが閃光を放った。まぶしさのあまり目をつむる。
 激突ではなく、着地していた。堅固な床の上に立っている。薄暗い空間だった。深緑色で熱のないあかりが床と天井に規則正しくならんでいる。
 左右を見わたすと、光源は弧を描くようにならんでいた。曲線を描く通路のような場所にいるのだ。背後を手探りすると空洞だった。気のせいかと振り向いてみたら、壁には大穴が開いていて、空と海と、船とが見えた。
 お守りのおかげなのだろう。木の根が時として岩をも穿つようにして、壁のなかに入り込んだのだ。滑空機械も、からだも傷一つない。
 通路の幅は大人が四人ならんで通れるほどだ。いたずらに軍議に時間を費やしたり、機械を取りにいったり、弟に殺されかけたりしているうちに、壁は分厚くなったようだ。
 もしかして、と歩いていった先の壁を引っ掻いたり、押したりしてはみたが、何もおこらない。壁を打ち砕くどころか、指くらいの穴さえあけられなかった。このまま網の外へ逃げてしまえと、いうアテは外れた。お守りのご利益は一回きりらしい。
 ため息が出る。滑空機械を壊さないように静かにたたんだ。右か左か、どちらに踏み出すべきか。
 そのとき、侵入者に感づいたかのように、床が傾いた。頭の後ろから転びそうになるのを、身を捻って腕から先におちる。腕にあざをこしらえたかもしれないが、頭と滑空機械は無事だ。
 床が反対に傾いて、またすぐもとの側に傾いた。なんとか身体の平衡を保ってたちあがったところで、揺れの方向が変わった、さきほどが横波なら、今度は真正面からの大うねりだ。
 もはや立つことはあきらめた。両手両足を広げてうつ伏せになり、床にへばりつく。
『ヒトデだ〜』
 ようやく揺れが収まった。うつ伏せから四つん這いになって、このまま立ち上がるかと迷っていると、ハトラが飛び出して前方に歩きでた。
「こりゃ船みたいなもんだね。きっとまた…」と、示しあわせたかのように横揺れがきたが、猫は平然としている。
「大将も猫になってみないかい?」
「獅子や虎にたとえてはくれんのか」ダームダルクは四つん這いでハトラを追いかけた。
「子猫だね。生まれたての」
 四つ足生活の長い猫にかなうはずもなく、しばしばハトラは立ち止まってダームダルクがついてきているか振りかえり、そのたびにせかせかと手足をうごかすという絵面が続くこととなった。
 不意に揺れが襲いかかるたびに、頭をぶつけかけたり、突き指をしそうになったりした。
「ぎにゃあっ」もう何度目かも分からない揺れのなか、猫が悲鳴を上げた。
「どうした」駆けつけようとしたが、動揺がひどくてままならない。
「爪がもげたあぁ」
 悲鳴は通路にこだました。聞いているほうまで痛くなってくる。ダームダルクは、自分でも気づかないうちに、床に爪を立てるような形にしていた手を、ヤモリみたいに大きくひらいた。
 城壁は身をくねらせ、侵入者たちに揺さぶりをかけつづけた。
「鳥になりたい。猫に食われるかもしれないけど、鳥になりたい」
 ハトラは、壁と通路の交わるところから、もう一方の交わるところまで、お手玉にされていた。
 ひときわ強い、大三角波のごとき動揺がきた。ハトラは爪をもう一本折り、ダームダルクは背中の機械をかばうために打ち身をつくった。長い揺れが続くかと思ったが、急に揺れが止まった。一瞬だけ、はずみで体が宙に浮く。が、さらなる怪我はせずにすんだ。
 いつ揺れが始まってもいいよう、用心しつつ立ちあがる。平行な地面というのが、これほどありがたいと思ったのは初めてだ。
「鳥より蜘蛛になるほうがよかったかなあ」ハトラは足先を舐めている。
「手当はいらなそうだな」
「要るよ」猫は言いかえした。
「足でもくじいたか」
「採れたての魚五匹」
 ダームダルクは猫を無視して駆け足になったが、すぐにハトラが追いつき、追い越した。
 やがて、一枚の扉の前にたどり着いた。磨き上げた花崗岩のようなもので、表面のあちこちに赤、緑、青の四角い光が浮かんでは消えていた。しらべてはみたが、蝶番も取手も見つからない。
 屈みこんでいるダームダルクの前に、ハトラがやってきた。扉のにおいを嗅いだかとおもうと、
「総員突撃」と、胸に飛びこんだ。
 ダームダルクは、ため息をぐっとこらえて扉を押す。重厚な戸が向こう側へとうごいた。

扉の向こう側

 腰の短剣を抜きながら踏みこみ、扉を背にしてあたりを探る。
「誰だ!」
「あいつだ。博士の手先だ」
「どうする」
「武器を持ってるぞ」
 いくつもの声が響いた。
 ダームダルクの死角から飛びだした者が二人。
 二人が走りよったさきには椅子がある。
 男たちは誰が座っているかを、隠そうとしたらしいが、ダームダルクの目のほうが早かった。
 武器を捨てて、部屋の男たちに呼びかける。
「こちらは丸腰だ。武器はない。事情を聞かせてほしい。丸腰なんだ」
 扉からはなれて奥へ進むと、反対側にも同じような扉があった。
 部屋の壁は、これまで通ってきた道のものとはちがう。からくり仕掛けのような壁だ。梃子みたいな棒を突きだしていたり、握り手の付いた輪っかを生やしたりしている。
 男たちはダームダルクに敵意ある視線を注いでくる。それでいて、誰も行く手を遮ろうとはしなかった。無理もなかった。全員が、博士の島の小作人だった。ダームダルクが博士の下にいたことを知っている者たちだ。
「事故だったんだ。わざとじゃない」ある男が叫ぶと、他の者達も味方した。「そうだ」「本当なんだ」「揺れのせいなんだ」
 椅子に腰掛けているのはツァフ博士だ。頭から血を流して、ぴくりとも動かない。椅子には布の帯がついている。座っている人間の体を椅子にとどめておくためのものらしい。椅子そのものも、床に鎖で固定してあった。
 博士の足元には小作人が一人倒れていて、やはり頭から血を流していた。
 生き残っているのは六人で、全員がダームダルクの一挙手一投足を注視している。
「そのジジイが」汚い言葉を使ってみたが、誰も表情をやわらげなかった。「揺れを起こした。そのさなかに、二人の頭がぶつかった。二人とも死んだ。こういうことか?」
 向こうは一斉にうなずいた。
 ダームダルクは、まだ武器を床に転がしたままにしておいた。
「教えてくれ。何人いるんだ?」
「六人」
「他にいないのか?」
「六人」
「かばわなくていい。外は船を待たせてあるんだ」
 詭弁だとわかっていたが、動き回る壁のなかで袋叩きにされてサメの餌にされるのは、願い下げだった。
「もう六人しかいないんだよ」
 一人の男が、一歩前に出た。
 たしかハルディドという名だが、他の小作人たちには、ハンマの夫と呼ばせていた。男が名乗りをかえたのは、妻が博士の館に請願にいき、戻らなかった日からだ。男は手首に、女物の手巾を結んでいた。
「その船が、博士の船ではないと、どのように証明する?お前が、あのジジイの野心を受け継いでいないと、私たちを騙してふたたび島に閉じこめないと、どうして信じられる?」
「ハンマの夫よ」と、呼びかけたが、相手に遮られた。
「ハンマの夫にしてハルムトの父だ。息子から、お前のことは聞いている」
 ハルムトと、聞いてダームダルクは言葉を失った。目の前の男は、一週間足らずのうちに妻と子を失ったのだ。
「私は息子を信じているから、お前を生かしておくべきだとは思う。だが、お前は魔術師の手先だろう」周りの男たちがうなずいた。「血が足りない、そう考える者も多い」
「見ろ」別の男が、ダームダルクに指を突きつけた。五本の指のうち、もとの長さを保っているのは二本しかない。「あいつ、背中のからくりで逃げるつもりだ。俺たちを奴隷船にでも売り渡して、自分だけトンズラする気だ」
 薄暗い部屋に怒気が広がった刹那、地響きがした。
 小作人たちが不安そうな顔になり、互いに顔を見合わせていた。なかにはダームダルクの顔を見るものもいる。疑い、恐怖、驚き、困惑、さまざまな感情がうずまき、消化しきれていないようだ。
 もしかすると、ダームダルクの顔にも、この揺れに対する驚きが現れていたのかもしれない。」
 また地響きだ。転びそうになる揺れではないが、ぞっとする音だ。どのようなときに、この腹の底まで響くような音がするのか、ダームダルクは知っている。
 攻城戦で城壁が崩れるときの感触だ。
「逃げるんだ、早く!」小作人たちは動かない。罠を疑っているような目だ。
「聞いてくれ。ここにいたら、生き埋めか溺れ死にだ。外に出れば、泳いでなんとかできる」
 男たちが互いに顔を見合わせるなか、ハンマの夫、ハルムトの父が静かに片手を上げた。
「一列になって、あの入口から出る。走るな、だが早く歩け。順番は」と、ダームダルクが入ってきたほうとは反対側の戸口をさししめすと、次々に名前を呼んでいった。
 呼ばれた者たちは、不安が和らいだような表情をして、列をつくって順番に出ていく。誰一人として押しあったりもしないし、我先にと駆けだすものもいない。
「そっちで合ってるのか?」
「大丈夫だ」家族を失った男は言った。「螺旋階段がある。なんどか、使わされたんだよ」男は、倒れている博士に一瞥をくれた。
 どこか悲しげな声だった。もしかすると、壁に吊るされていた仲間のことかもしれない。博士なら、殺した手下の始末を、生きている手下にやらせるだろう。
 男はダームダルクを一瞥すると、出入り口へ向かった。
 ダームダルクも後を追った。もはや小作人たちの視線はなかったが、血を流して倒れている小作人の体を、歯を食いしばり両手で抱えあげた。もっとも、博士の手から柘榴石の指輪を抜き取って胴着にすべりこませておくことも、忘れはしなかった。

壁の上

 巻き網と呼んではいたが、胸壁に出てみるとやはり、城壁という感がある。いまやとぎれとぎれの輪っかになっていて、ダームダルクたちがいる場所が崩れさるのは、時間の問題だった。
 船の上では、いまだ戦いがつづいていた。写字精たちが不利になってきているようだが、まだ甲板上には戦う者たちの姿がある。
 小作人たちもまた船のほうを見ていたが、ダームダルクがやってくるなり視線の向きをかえた。男たちは汗みどろになったダームダルクの顔をみた。
 ついで、両手で抱えている仲間の亡骸をみた。
 ダームダルクは精一杯の力を振りしぼり、遺体をそっとおろした。
「あれがお前の船か?」小作人の一人が、まき網の内側の海にうかぶ灰色の箱船をさしていった。
「そうだといって信じるのか?」
「あっちの仲間を引っぱりあげたら、お前を信じてやる」別の男がいった。
 投げ槍が届くくらい先のところに、三人の男が吊るされていた。吊るされた男たちとダームダルクたちのあいだで、城壁は途切れている。切れ間の幅は、跳べなくはないといったところだ。昨日も今日も、満足に食べられずにいる体には厳しそうだが、ほかに方法はない。
「分かった」
 踏み切ったとたん、遠くで石材が崩れ落ち、海になだれ込む音がした。
 反対側が迫る。着地点は崩れなかった。
 跳びうつった勢いを膝でころす。男たちを吊るしている綱には、用心しながら近づいた。
 一つの綱だけでなく、三つ全てに注意を払う。どれもひとりでに動くような気配はない。普通の綱なのだろうか。
 小作人たちの視線を背中で感じる。ダームダルクは、すばやく屈んで片手で綱を鷲づかみにした。大丈夫そうだ。両手で力を込めて、だが遺体を揺らさないように、引き上げる。すでに腐敗しかけているが、顔には出さないようにして、綱をほどきにかかった。
 どの亡骸もやせ衰えていて、穏やかな死に方をしたとは思えない表情だ。
 仲間の元へ連れもどさねばならない。幅跳びは無茶だが、三本の綱と小作人たちの手を借りればなんとかなるかもしれない。
 綱を輪っかにして腕に通したあと、遺体を持ちあげて切れ目のそばまで運んだ。同じことを後二回繰り返した。
 すると、反対側にいたハンマの夫、ハルムトの父が、切れ目めがけて走りだした。
 こちらへ跳んできて、降り立った。
 続く五人も、同じようにした。
 最後の一人だけ、一歩足りなかった。
 空中で振り回される手を、なんとかしてダームダルクはとらえた。
 手を貸してくれと、頼むよりまえに、他の小作人たちがかけつける。
 一丸となって、引っ張り上げた。
 助け上げたあとには、みなが笑顔だった。
「落ちたらどうするつもりだった」
「落ちないさ、お前が助けるから」ハンマの夫、ハルムトの父が答えた。
「なぜ助けると思った?」
「お前は行動で信頼を勝ち取った。私たちは、信頼を行動で伝えた」
 ダームダルクは苦笑いして、ため息をついた。目が船のほうに動いたことを、隠し通せたかはわからない。
「とりあえず、縄の点検を手伝ってくれ」
 胸壁から海面までの落差が、よけいな説明をする手間を省いてくれた。全員が綱にとりつき、ほつれがないか真剣な眼差しで確かめにかかる。ダームダルクも同じようにしたが、まき網の内と外を眺めずにはいられなかった。
 内側には箱船がある。小作人たちでも泳ぎつけるくらい近くにある。
 輪の外側には、一隻の船もない。
 背中には滑空機械がある。
 縄の点検という名目で時間をかせぐには限度があるし、遠くでは石材が次々に海へと崩れ去っていく。ダームダルクたちのいる場所も、ときおり音を立てて揺れ、切れ目の端から石塊が墜落していき、水柱を上げた。ときには強風が水しぶきを巻き上げ、七人に降り注がせることさえあった。

§

 不幸中の幸いというべきなのか、どの縄も丈夫な、一級品だった。
「なあ、あれは船なのか」とうとう、小作人の一人が言った。
「ああ、バカでかいけど、船なんだ。今はわけあって止まってる」
「止まってる?じゃあ、あのちっこいのは?動いてる」
 写字精や乗員のことをどう説明すればいいのかと、悩みながら小作人のしめしたほうを見ると、見たこともないものが動いていた。
 航跡を残しながら、こちらに近づいてくることからして、船といってもいいようではある。十人こぎ程度のガレー船の船首を鏃のように尖らせて、帆柱も櫂も取りはらったような見た目だ。つまりは、灰色の箱船と同じように、ひとりでに動く船ということだ。
 船体の中ほどに、男が一人、弓をかまえて立っていた。
 バーキャルクだ。矢は番えてある。
「やあ兄者。俺の船はどうだ?書庫にこれがあると、知ってたか」
 弟が甲板を踏み鳴らすと、船をぐるりと円を描いてみせた。海は淡青と純白の航跡に彩られた。
「この嘘つきめ」
「俺の投資先は無事か?」
「次はもっと堅いところにしろ」
 ダームダルクは柘榴石の指輪をかかげるとすぐ、横ざまに倒れこんだ。
 さきほどまで頭があったところを、矢が通過した。
「大金だったんだ。空飛ぶ軍団を、どうしてくれる」
「いずれ他のやつが、もっといいのを作ってくれるさ」
「そのころには俺がジジイだ」
「ならおぬしがつくれ」
 小作人たちは、恐れをなしたように固まっている。彼らの足元から、石が三つ四つと崩れおちた。
「弟よ、差し迫った話がある」
「黙れ」立て続けに二矢が飛来した。伏せたままでなければ、やられていた。
「この男たちを見ろ!」
 弟からの返事は無かったが、射撃もなかった。
 小作人たちは、いずれも痩せてはいるが健康であり、水夫の仕事なら難なくつとまりそうな体つきだ。船酔いはするだろうが、いずれ慣れてくれるだろう。
 小作人たちは互いにささやきかわしながら、ダームダルクと弟をかわるがわる見くらべた。
「なあ、聞いてくれ。あの船に乗ってるのは、わしの弟だ。とにかく、あいつの話を聞いてくれないか。撃ってこないということは、あいつも話をする気があるということだ」
 小作人たちは、疑わしい目線をダームダルクに向けた。
「男たちよ」下の方から、弟の声がした。「海賊稼業をやらないか」
 小作人たちの返事がないのを見ると、ふたたび弟は叫んだ。
「お前たちの家まで、連れ戻すこともできる」
 今度は反応があった。小作人たちはどよめき、期待と不安の表情を浮かべて互いに小声で話し合っている。
「あの人の話を信じて大丈夫なのか」一人がダームダルクに尋ねた。
「安心しろ、いざとなれば六対一だ」
 こんどは小作人のほうが呼びかけをはじめた。ツァフ博士に買われ、本来の住民がいなくなった島まで連れてこられてからの顛末をかたり「お前が博士の仲間なら、ただじゃおかない」と啖呵まで切った。
「投資、という言葉の意味くらい分かってるぞ」小作人は弟に指を突きつけて叫びたてた。
「仲間じゃない。むしろ被害者だ。空飛ぶ機械を作りたいというから金を恵んでやったのに、そんな石細工にうつつを抜かしていたんだからな。俺はな、あのジジイが『どんな僻地にも名薬師の調合した薬が届くようになってほしい、そのためには空を飛んで物を運べるようになるのが一番だ』と、いうから金を出したんだ」
 弟の詭弁は、小作人たちをうなずかせていた。
「本当に家族のところに連れ戻してくれるのか?」
「天に誓って、本当だとも。たしかに俺は海賊稼業だってやる。だが、いずれは草原の大王になる男だ。誓いを裏切る、なんていう悪名を広めて何の得がある?」
 真実と願望の混ざった言葉が、男たちの心を虜にしたらしい。弟がたのむのは鋼鉄と筋肉、自らの頭脳であって魔法ではないが、弟の演説はまさしく魔術的魅力をたたえていた。
 嘘つきめと、ダームダルクは太矢のことで舌打ちをしたが、小作人たちは気づきもしなかった。
「よし、そちらの船に乗せてくれ。ツァフの島には、まだ人がいて、男手が必要なんだ」ハンマの夫、ハルムトの父が代表してこたえた。
 あとは兄弟そろって、縄使いになるだけだった。綱の片方をダームダルクがつかみ、もう片方をバーキャルクがつかんだ。宙に張られた綱をにぎりしめ、雲梯のようにして男たちは降りていった。念のため二本つかった綱は、六人分の移動に耐えてくれた。
 降りていったさきで、小作人たちは弟にむけて口々に何事かをうったえたり、胸壁に残るダームダルクを指差したりしていた。
 胸壁に身をかくしながら様子をうかがったが、ふたたび矢が飛んでくる心配はなさそうだった。命の恩人を殺すなとでも言ってくれたのだろうか。どこかひとつ歯車が狂ったら、ダームダルクは奴隷商人になりさがったというのに。
 まもなく話がまとまったらしい。
「兄者、例の名簿をくれてやる」弟が呼びかけてきた。
「いらん。おぬしに貸しはつくらん」
「いいから受け取れよ」
 断りたかったが、足場の揺れは強くなるばかりだ。
 無言を肯定とうけとったのか、弟はニヤリと笑うと、さっそく綱に名簿をくくりつけた。
「ほうれ、濡らさずに引きあげろよ」
「分かってるとも」読んではおきたかったんだ、その名簿とやらを。
 弟の狙いは読めていた。乗客名簿というのは、書庫に入りこむ密航者たちにとっては垂涎の的なのだろうと想像はつく。世の中には、密航してでも箱船の乗客から話を聞きたいやつがいるのだ。
 だから、弟は名簿をダームダルクがもっていると触れまわるにちがいない。そうすれば、あちこちから刺客や盗賊がよってたかって、ダームダルクを殺しにかかるというわけだ。
 それでも、母の名前が名簿にあるのかどうかは知りたかった。

離昇

 真向かいの石材、というより壁そのものが、雪崩をうって海に落ちた。大波が生じて、しばらくしたのちに、弟の船を木の葉のようにゆさぶった。ほかの六人は悲鳴を上げたが、だれも落ちずにすんだ。
 壁の崩壊は、いよいよ終局に入ったらしい。建材が海へと崩れおちる音が絶えまなくつづき、鼓膜を打ち破らんとする。はじめは円環を描いていた城壁は、いまや破線と化していた。北東からの風が耳や鼻、手にぶつかってくる。足の裏から膝へ、崩落の振動が伝わってくる。
『早く飛べ』ハトラがせっつく。
 逃げ出したいのは山々だが、羽を広げたとたんに太矢で穴をあけられるのは願い下げだ。
 弟はもちろんのこと、書庫の乗員たちが約束を守るとはかぎらない。
 乗りこむときにやったように羽を広げずに飛びおりて、城壁を遮蔽にしたところで羽を広げるのも良い手かもしれないが、構造材に二回も悲鳴をあげさせたくはない。
 いまだ動けないらしい書庫を観察したところ、船体の張り出しにある弩砲に取りつくものはおらず、甲板に出ているのは庭師だけだ。片手を高く掲げて振っていたが、戦友との別れを惜しむというより、厄介な仕事が去ってくれてありがたいと言っているようにも見えた。どのみち表情はわからない。
 弟と解放された小作人たちはといえば、針路を北西にとって去っていくところだった。末広がりの航跡を、大海原に取り残された連中に見せつけるようにして、遠ざかっていく。目を凝らすと、弟が歯を見せつけるような笑みで手を振っていた。ほかの男たちまで同じようにしていて、中には泣いているものまでいた。
『早く、早く』ハトラの訴えと、ひときわ大きな揺れがきた。
 ダームダルクは翼を広げた。
 飛ぶ。向かい風に向かって。
 自由だ。さらば鋼の箱よ。海鳥の動きを目印に、上昇気流を見つけてのる。一刻もはやく弩砲の射程から逃げるため、旋回するかわりにジグザグに飛びつつ気流をとらえる。
 緩降下して速度をあげると、あとにしてきた方角から腹の底まで響く音がやってきた。振りむくと、もはや城壁はなかった。蒼海は沸きたち、淡青緑と白の帯が生じていた。思わず笑みをこぼして見とれていると、箱船の詰め所にそびえる鉄檣に、旗が上がるのが見えた。
 旗は全部で三枚、白地の布に赤や青をほどこしたものである。何の意味があるのかはわからないが、だまし討ちには遅すぎる。別れの挨拶として受けとっておこう。
 布地がひらめくのをみて、弟からの贈り物を思いだした。乗客名簿だ。翼を揺らさないように体を動かし、懐に押し込んでいた名簿を取りだす。
 風に注意しつつそっと開く。
 開いた頁はまったくの白紙だった。思っていたより乗客も船室も少ないのかと、前のほうへとめくるが、おなじく白紙である。めくる方向を間違えたのかと、逆のほうをさぐるが、一文字さえかいてない。
 かすれて消えたのでもなく、ページを破りさったわけでもない。ただただ無地の頁だけがある。苦いものがこみ上げてくるのを感じつつ、あちこちめくると、ようやくインクの色が目に飛び込んできた。書いてあるのは文字ではない。らくがきだ。
 あっかんべえ。
 偽名簿を手ばなして、落ちるにまかせる。本物の名簿はあいつがもっているのか、そもそも初めからハッタリだったのか。再会したときに問いつめる事柄がまた増えた。
 ありったけの悪態をぶちまけるが、すべて向かい風がかき消す。胸の中でハトラが喉をごろごろと鳴らした。了

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