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【読書感想文】「ベルゼン急行」フリッツ・ライバー著

雑誌掲載オンリー幻の短編「ベルゼン急行」は、まさにライバーな名品だった。一週間で二回読んだ。

収録誌は以下の通り。

フリッツ・ライバー(金子浩 訳)「ベルゼン急行」1975(『S-Fマガジン』1998年11月号に所収)

分量はというと、約14700文字の短編。ざっと以下のように計算した。

28文字*25行*2段*12頁-(28*25*3)=14700

あらすじ

(全体で三分の一くらいのところまでのあらすじを書きます。本記事は、未読の人の興をそがないように-ネタバレ注意を添えた-感想文でもあり、もう亡くなった作者ライバーへの一方通行なラブコールでもあります。)

どこが舞台?

アメリカ(合衆国)で、鉄道のある都市部、土砂降りのときもあると、いうことは分かるが、地名は見当たらない。

私が想像したのは、出版年のことはさておき、とにかく20世紀後半の都市である。その都市には、何の前触れもなく閉店してしまう古道具屋があったり、クラーク・アシュトン・スミスの日記が隠れ潜んでいたり、ツェッペリンの巨大な影が通りを覆っても驚かない人々がいる。

主人公はどんな人?

そんな舞台で、ある夜、会社員ジョージ・シミスターは、暖炉の前で水割りをすすっていたが、スコッチでさえ彼の繊細な神経を鎮めてはくれない。

シミスターは、自宅へのいたずらノックに悩んでいたが、犯人だろう若いチンピラたちの姿を捉えられずにいた。

彼は繊細かつ激烈な性格だ。安酒では我慢できない味覚と嗅覚を持つ一方で、子供だからという理由でイタズラを許す気はない。

そのうえ『鉤十字の禍い』という読む気になれない本が差出人不明で届けられたことが、シミスターの秘密国家警察ゲシュタポへの恐怖を煽っていた。

彼の恐怖は第二次世界大戦の前から始まっていたが、戦争は終わったし、ここはアメリカ、病院以外で痛みに苦しむはずのない土地だった。

それでも、恐怖は止まらなかった。人々の行列、ぎゅうぎゅう詰め、排気ガスといったものが、シミスターの想像と、公共交通機関での通勤という現実の両方で、シミスターを苦しめた。頼んでもないのに届いた『鉤十字の禍い』が追いうちをかけた。

感想

あらすじの通り、シミスターは苦しんでいるが、社会的にはそれなりの立場にあるらしい。シミスターは結婚していて、会社では秘書がつく立場にいる。子供がいるのかどうかは、言及が無い。

ここからは私の想像だけれども、シミスターは苦しんでいても、成人男性として強がらざるをえないのかもしれない。また、自分のストレスを他の人にうまく説明できない人なのかもしれない。

たとえば、錠前をめぐる妻とシミスターのやりとりから、シミスターの性格を読み取れると私はおもう。

「玄関にもっと大きな錠を」という妻ジョーンの頼みを、シミスターは「ばかばかしい」と一蹴する(p55)。ところが、翌日夕方には錠を買ってきて、ジョーンには何も言わずに取りつける。妻に声をかけられたシミスターは「おまえが頼んだんじゃないか」とか「これでお前が安心できるならけっこうなことだ」と返す(p57)。

このあと、シミスターは誤配された本の処分をめぐってジョーンと揉めるが、なぜ『鉤十字の禍い』にそこまでこだわるのか、説明をつけようとしてつけられずじまいである。

このように、シニスターは妻の前では強がりで、仕切りたがりだ。

わざと主語を大きくすると、説明をほどこすことなく不可思議なことを記述すると、いう行為は近代人には難しいんだろうなあと、私は思う。

感想(ここから下はネタバレを含みます)

(多少ぼかして書いてますが、それでもネタバレです)

シミスターは秘密国家警察ゲシュタポへの恐怖を持っていると、冒頭で語り手は述べた(p53)。

私が想像するに、主人公はゲシュタポではなく「その先にあるもの」を恐れるべきだった。

たしかに、『鉤十字の禍い』という本の登場や、ノックの音の繰り返しは、シミスターのゲシュタポ恐怖症を強調しているようでもある。とはいえ、このあと語り手は排気ガスと喫煙車(すなわち火と煙)に繰り返し言及する。

それなので、ゲシュタポは恐怖そのものではなく、恐怖を構成する一部に過ぎなかった、という読みもできると思う。

私は、こうしたライバーの地の文のテクニックがたまらなく好きだ。

敵は存在するのか?

シミスターを苦しませる存在、すなわちストレス原因は実在しているのだろうか?

たとえば、いたずらノックにやってきた子どもたちの姿を、シミスターは一度でも診たことがあるのだろうか?本文中に明確な記述はない。ただ、音を聞くだけだ。

車内に漏れ込む排気ガスの臭いについても、気にしているのはシミスターだけのようだ(p57)。

そこで、ストレス原因は実在しないと、いう読みをするとどうなるか?どうしても説明のつかないことが出てくる。もし原因となる「何もの」かが存在しないと仮定すると、クライマックスでシミスターを見舞った事象に、反論の余地がない説明をつけられなくなる。

敵は何者なのか?

(ここから下で、私は「面白い誤読」をやったつもりですが、スベってたら大変申し訳無いです)

ストレス原因が実在する、という読みをするとどうなるか?それは、複数人がいる部屋のうち一人だけを毒ガスで殺害するという極度にピンポイントな攻撃手段が、私達読者が生きている世界に、人知れず存在していることを意味する。

本記事の筆者は、シミスターの生きている小説世界と、読者の世界が同じであるかのように書いた。

『鉤十字の禍い』という図書が創作ではなく、実在するという事実こそ、二つの世界が同じである証拠だ。

原文で『鉤十字の禍い』はどう綴られているのか?The Scourge of the Swastikaと書くらしい。

(グーグルブックスのプレビューで”Fritz Leiber Selected Stories”, Night Shade Books, 2010を確認しました。グーグルブックスのトップページで、Belsen Expressと検索すると、The Scourge of the Swastikaと書いてある箇所にたどり着きやすいです)

次に、Library of Congress(アメリカの議会図書館)で「The Scourge of the Swastika」と検索。同名の図書がヒットした。1954年にニューヨークの出版社から出たらしい。アメリカ人であるシミスター氏の手元に届いても、不思議ではない。

ちなみに、「The scourge of the swastika」で国立国会図書館にあたると『人工地獄』という邦訳が1957年に出ていると分かった。

なお、本作「ベルゼン急行」の舞台が1954年以前である可能性は、冒頭でシミスターが手にしている新聞記事から否定できる(p53)。

「一九五六年のハンガリーと同じような暴動がプラハで起きたと報じる見出し」から1968年(プラハの春)と推測できる。さらに「イスラエル周辺で国境紛争が勃発したという記事」から3月下旬が、本作の舞台と推論できる(注:下記を参照しました)。

3・21イスラエル軍、ヨルダン領を攻撃.パレスチナ抵抗勢力、カラーメの戦闘でイスラエル軍を撃退。

"1968年〈昭和43 戊申〉", 誰でも読める日本史年表, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2022-04-16)

北米の三月下旬だから、日本列島(の一部)より寒い季節の話なわけだ。

おわりに

とにもかくにも読めてよかった。生きてたらファンレター送りたかった。

最後に引用するなら、このセリフ。

「どんなに静かに暮らし、どんなに注意深く計画を立てても、人にはどうしても逃げられないものがあると思うかね?」

フリッツ・ライバー(金子浩 訳)「ベルゼン急行」1975
『S-Fマガジン』1998年11月号 p61

読めるうちに読んでおくものだと私は思う。


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