運動音痴コンプレックスを叩き潰した夜
スケボー。
前からやってみたかった。
けど深夜のストリートで練習している人たちを見るとなんかオシャレだしカッコイイ感じだし、コミュニティ感も強くて「こんな人たちの中に入れるわけねぇ〜よぉ〜」と思って、やらないままだった。
ただ、理由はそれだけじゃない。もっと大きな理由がある。
運動神経だ。
僕は「運動神経?なにそれ?」という状態でこの世に生まれ落ちた。そして運動の要領を理解することのないまま、すくすくと育つ。中でも「重心」という概念が意味不明だった。
自分の重心がどこにあるのかが体感的に分からない。つまり、重心の移動を伴う運動…ボールを投げる、バットやラケットでボールを打つなどがとにかく苦手だったのである。ドッジボールで「よける専門」だったのは、言うまでもない。
スケボーは重心が大事なので、自分にはできないと思っていた。事実、スノボは5回ほど行ったのに、進行方向に背中を向けるターンが最後までできなかった。つらい。
しかしあるとき、ツイッターを見ていたところ、僕と同じくニューヨークに住んでいる唐木元さんのツイートが流れてきた。
僕はオタクとはいえないけど、ほかはだいたい合っていた。返信したところ、「ぜったい向いてるよ!」と言ってくださったので一念発起し、翌日にスケボーショップへ。まさかニューヨークでスケボーを始めることになるとは。
マンハッタンの南にあるこちらで購入。店員さんはとても親切だった。
とりあえず、最寄りのドでかい公園で何度か練習をしてみた。おお、こわ。ぜんぜん前に進まない。というか転びそうで怖い。とにかく怖い。
後日、唐木さんから基礎を教えてもらえることになった。YouTubeだけだと分からない基本事項から、最低限のことができるようになるまで、とても親身になって付き添ってくれた。
夜のブルックリンで練習していたのだが、スケボーは本当に、人から声をかけられやすい。
広場にたむろしていた若い黒人男性…カマシ・ワシントンを冴えなくしたような感じの兄ちゃんが、親切心で指導してくれる。
最初は、こういう世話焼きな人がいるのアメリカっぽくて面白いなあ、くらいに思って「グランドマスター」と呼んでいたのだが、指導が雑でしつこかったので、だんだん面倒くさくなってきた。
グランドマスターは暇なのだろう。一緒にいた友達をベンチに放置してひたすら指導に熱を入れてくる。彼がスキルフルなスケーターであればまた違ったかもしれないが、素人目に見ても大して上手くない。指導者としてのスキルは、言わずもがなである。
「お前は恐れている。恐怖心があるから重心が前かがみになる。ここの下り坂を滑って克服しろ。無理じゃない、できる」と言って、すぐ目の前に車道(しかも交通量の多い五叉路)のある下り坂を強引に滑らせようとする。「体で覚えろ」的な、スパルタ指導スタイルなのである。
人一倍ビビリで、転んで痛いのなんかマジで嫌だと思っている僕にとって、このグランドマスターは天敵だった。
耐えられなくなり、場所を変えることに。なんとか、グランドマスターから逃れることができた。
僕はよく「プライドが高い」「カッコつけたがる」「人目を気にしすぎ」「自意識過剰」という指摘をされるのだが、練習する中で、まさにそんな自分の姿を自覚した。
「ああ、ふつうに運動ができる人なら、今ごろとっくに要領を得て次の段階に進んでいるんだろうな」とか、謎に誰かと比較して生まれる劣等感が、心をジワジワと侵食してくる。
唐木さんの励ましを支えに、「最初はみんなこんなもんのはず!大丈夫、大丈夫」と自分に言い聞かせて劣等感の侵食をせき止める。体はスケボーをしながらも、心の奥底では自意識との熾烈なせめぎあいが勃発していた。スケボーは、内省なのかもしれない。
腹の底からグツグツ湧いてくる、出来るはずないとかミジメとかのネガティブな感情を頭で必死に抑え込みながら、無心を装って滑り続けた。
3時間の練習が終わる頃には、脚が攣ってしまって板に乗ることができないくらいヘトヘトだった。
けれど、僕に取り憑いていたマイナス思考は、ボロ雑巾のようにボッコボコにされて心の掃き溜めで潰れていた。
代わって心を満たしていたのは、すがすがしいまでの達成感と、爽快感だった。
自分の中に、全く新しい風を吹かせるのは久しぶりだった。それも、最も苦手とする分野で、だなんて。苦労や努力を伴うようなチャレンジを、僕はずっと避け続けてきたのかもしれない。
仕事のスキルやキャリアを考える上で、「苦手なことをするより得意なことを伸ばしたほうがいい」みたいな意見がある。合理的だと思う。
ただ、合理性に囚われすぎて、あるいはそれを逃げ口上にして、いろんな世界が覗けるはずだった、たくさんの窓を塞いでしまっていたような気がする。
練習の3日後、また滑ってみた。少しだけだけど、でも明らかに、練習前とは違っていた。
人より成長が遅くても、前の自分より滑れるようになったんだからいいじゃないか、と思えた。
高校時代、部活を辞める意思を顧問に伝えたとき「周りよりも成長ができなくて下手なので」と言った自分に対して「1年前のお前より上手くなっとるやんか」と言われたのを思い出した。まあ、けっきょく辞めたんですけど。
一概には言えないけど、自分の場合、コンプレックスを克服するには、コンプレックスと戦い続けるしかなさそうだ。
放っておくとコイツはまたムクムクと蘇ってくる。それを潰しては蘇り、潰しては蘇り…、何度も繰り返しボコボコにして追い込むしかない。
もしかしたらコンプレックスは不死身で、僕の戦いは単なるいたちごっこに過ぎないのかもしれない。
だけど、それでもいいや。スケボーは楽しかった。
滑れるようになった先の、新しい世界にもすごく興味がある。
とりあえず目下の目標は街乗りをこなせるようになることだ。相変わらず恐怖心がすごいので、ヘルメットとか買って痛みに備えればもっとビビらずにできるかもしれない。とか、そういうことを考えながら過ごしている。
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なんかアメリカに来てから書いている文章が自分語りばっかりで、僕はアメリカに内省しに来たのかと思ってしまう。
こちらにも書いたけど、完全に自分探しの様相である。
染み付いた童貞の、あのツンとしたイカ臭さが拭えないまんまここまで来てしまった。
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