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ゲット・オン・ザ・バス 〜バスの中の社会

ニューヨーク市バスについて

ニューヨーク市のバスはロックダウン後から現在に至るまで無料で開放されている。地下鉄が夜間運休を決めた一方でバスは変わらず24時間運行しており、人々に重宝されているのはその混雑具合からもよくわかる。

ロックダウン以前は前方のドアから乗車し、そこで料金を払うしくみになっていた。で、降車のときにはバスの中腹にあるドアから降りる。

しかし今は運転手のソーシャルディスタンスを確保するために前方1/3くらいはカバーで遮断され、原則使用できない。

乗るときにも中腹の降車口を使うようになった。

6月26日、バスの中で起きたこと

バスに乗り込んだ私は、席が埋まっていたので中央からやや後ろ寄りに2〜3歩進んだあたりのところで立っていた。

次のバス停で、また人が乗ってきた。

最初に乗ってきた黒人のオバちゃんAから「後ろに行ってちょうだい」と言われた。

確かにその後には5人ほどのお客さんが続いており、スペースがないと思ってのことなんだろうと、素直に従って後方へ進んだ。

ところがオバちゃんAはこっちに詰めてくるわけではなく、そのまま乗車口付近で立ち止まったままだった。

えっ、あんたがジャマじゃん。

と思ったら、オバちゃんAは続いて乗ってくる人たちにも「私と距離を取れ。私は大声を出すがちゃんとマスクをつけている。あんたたちは距離を保て」と強い口調でまくしたてたのであった。

言われた一人目は何も言わず前方へ進み、オバちゃんAから距離をとった。

続いて乗り込んだ若い白人カップルも言われかけたが、カノジョさんのほうがすかさず「エクスキューズミー!」と遮って「車内は混んでいる! それに、私達はマスクをつけているでしょう!」と反論した。

すると直後、最後部にいた黒人のオバちゃんBが「そうよ! いい加減にしなさい。あなた、彼に後ろに行けと言ったのはチャイニーズへの偏見からでしょう! それはステレオタイプよ。全くの無知! 無知そのもの! 学びなさい!」と大声で追撃したのだ。

ジロリと睨むオバちゃんAに対して、今度はオバちゃんBの前にいた黒人のオバちゃんCが、そうだそうだと同調した。

黙って目をそらしたAを脇目に、真ん中あたりにいたヒスパニックのオバちゃんDが「もうやめな」と言って話は終わった。

その後も最後部のBはステレオタイプとか教育とかについてCと話していた。Cは感心した様子で聞き入っていて、それに気を良くしたのかBはカバンから香水のようなものを取り出し「とてもいいものだから」と言ってCにプレゼントしていた。ホッコリである。

私は途中まで「私のこと言ってんだよな? たぶん…」くらいの感じでオバちゃん同士の応酬をキョロキョロと見ていたのだが、それから程なくしてバスが停車すると、降りようとしたヒスパニックのDが私に「気にすんな。良い一日を」と言って親指をグッと立ててきた。それで「ああ、やっぱ私が話の的だったんだ」と確信した。

ゲット・オン・ザ・バス 〜バスの中の社会

この狭いバスの中で、まさに社会ってものを目の当たりにしたような気がした。あの数分間、あの空間に、これだけのことが詰まっていたのだ。

●いろんな人種
話に登場したのは、黒人、白人、ヒスパニック、アジア人(私)と、人種的には実に多様だった。

●「チャイニーズ」への警戒心
最初に断っておくと、ここでの「チャイニーズ」とは中・韓・日系全般のことを指す。その上で、私は別に差別されたとかを思ったわけではない。大統領があんだけ「チャイナ!」「チャイナ・ウイルス!」とか言ってれば、警戒する人がいるのは自然だと思う。

●警戒なのか、偏見なのか
警戒心が偏見を助長し差別につながるという考えをもつオバちゃんBのような人から見れば、オバちゃんAが情報に流される無知な人に思われるのもまた自然なことだろう。

●予防意識の差
オバちゃんAはマスクにビニール手袋という完全防備で乗車してきたので、予防意識がほかの人よりも高かった。もしかしたら身近な人を亡くしたとか、そういう事情があったのかもしれない。

だけど混雑したバスの中で難しい要求を強い口調で迫るのは理解が得られなかった。4月ならいざ知らず、今はコロナ収束ムードや暑さのせいもあって警戒が緩んできているのが現実だ。

●言い返した白人女性
そんなわけで、オバちゃんAの言い分よりも白人女性の反論のほうが真っ当だった。だからオバちゃんB、Cも追随した。

●NYCでのマスクの着用率に人種は関係ない
私は、人口の65%が黒人、20%がヒスパニックで構成されたフラットブッシュというエリアに住んでいる(参考:Race and Ethnicity in Flatbush)。

たまに「マスクしない人の多くは白人」という意見を見るけど、個人的な体感では、マスクの着用率に人種は関係ない気がする。もちろんバスにはマスク非着用の乗客もチラホラいたが、一方で白人カップルはマスクを着けていた。

当たり前のことを忘れないために

まさにスパイク・リー監督の映画「ゲット・オン・ザ・バス」のごとく、バスの中にいるみんなの世界の見え方は面白いほどに違っていた。まあ、そんなことはめっちゃくちゃ当たり前のことだけど。

そう、当たり前のこと……のはずなのに、報道やTwitterで流れた途端、互いの世界観が織り重なった鮮やかな社会の姿にはブワッとモヤがかかり、細かな違いは覆い隠されがちだ。

なんかこう、社会が人種でザックリと分断されているような単純なイメージで切り取られていて、そのわかりやすさについ飲み込まれてしまいそうになる。

別にこのバスの一件から無理くり教訓を導き出そうとしてるわけじゃないけど、自分がじかに触れた経験と情報とを突き合わせることが、単純化の沼にハマらないための一つの有効な手段にはなる気がした。

にしても、何気なく乗っただけのバスで、ずいぶんとまあ考えさせられる出来事に出くわしたもんだなあ。

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