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役に立たない先端でもない「知」の効用ーー『哲学と宗教全史』を読んで

哲学や神学は、誤解を恐れずに言えば、今の社会でもっとも役に立たない学問だと思われている。明らかに実学ではないし、経済活動の知恵とは程遠い。そんな領域の「全史」を紹介する本書『哲学と宗教全史』は、「巨人の肩に乗る」という言葉が使われる、人間の知が積み上がってきた系譜を紹介する本とも言える。

ユニークなのが、著者が学者でも宗教家でもなく、出口治明さんであることだ。
立命館アジア太平洋大学学長の出口さんは、もともと実業の人だ。大学卒業後に日本生命に入社。同社のみならず生命保険業界の自由化に向けて奔走し、グローバル化を進める先頭に立った。その後ネット時代になると還暦で自ら、ライフネット生命を創業し、一躍生命保険業界の風雲児になった人でもある。そんな実務バリバリの世界で生きてきた出口さんは、数々の歴史本の著書もある歴史オタクとして知られるが、今度は哲学と宗教を語る。それが本書だ。

歴史上の賢人が身近な存在に

冒頭から面白い。この分野にかなり疎い筆者でもついていける。第4章ではソクラテスとプラトンが登場する。弟子であるプラトンが描いたソクラテス像は、哲学という学問を築いた知の鉄人というものだが、実際のソクラテスはもっと人間味溢れた人物だったようだ。朝から晩まで街に出て人々と問答を繰り返す。おそらく主だった稼ぎもなかったのではないか。そのためか、ソクラテスの家庭では夫婦喧嘩が絶えなかったという。そこにはパートナーから小言を言われ、頭の上がらない亭主としてのソクラテスが浮かび上がる。

中国の諸子百家のところでは、当時のインテリ層に禅が受けた理由を次のように語る。
「目の前にある石を指して、『これは何だ』と問う。石に決まっているのですが、このように正面から問われるとインテリは必死に考えたりする。石とわが人生とは?などと考え始め、そこに深い真理があると、勝手に思い込んでしまう」
という具合だ。

哲学や宗教の礎を作った、歴史上の賢人たちや当時の人たちが、著者の筆致にかかれば、隣の叔父さんのような親近感が湧いてくる。

思想は時代がつくる

そしてこれら新しい思想が生まれる背景に時代があったこと本書は語る。
例えば、旧約聖書が誕生した背景には、ユダヤ人のアイデンティティが失われる時代であったという。それは、バビロン捕囚のあとエルサレムに戻るユダヤ人は少なく、ディアポラ(散在)が始まった頃だった。このままではユダヤ人はペルシャ帝国に埋没してしまい、消滅しかねない。そんな危機感が、自らのアイデンティティを確認するために旧約聖書は生まれたという。

19世紀の欧州では、フランス革命が成就して国民国家が完成しはじめる。一方で産業革命による大量生産と工場労働が生まれるなど史上類を見ないような進歩と革新の時代を迎える。この時代に登場する、キルケゴール、マルクス、ニーチェについて、著者は、ヘーゲル哲学に立ち向かったヘーゲルを父とする「三兄弟」と名づける。そして、
「父の考えに反抗し神に救いを求めた、繊細な長男キルケゴール、父を尊敬しその理念をもっと科学的に推し進めようとした、次男マルクス。そして父の絶対精神を認めず神とも絶縁して、一人で生き抜いた三男ニーチェ」と3人の思想家の特徴を示す。神が絶対的な存在から道を譲ることになった経緯には、このような時代の背景なくして語れない。

イスラーム教の教えとは

本書で一番驚いたのが、著者がイスラーム教について独自の解釈をしていることだ。
例えば、ISなど過激派のテロ行為を「ジハード」という表現することがあるが、本来のジハードの意味は全く違うという。本当の意味は「自分が立派な行動を取れる人間となれるように奮闘努力すること」である。そして、ここで書かれている立派な行動とは寛容と慈悲である。もちろん異教徒と戦うことがなかったわけではない。しかし本来のジハードとは、寛容と慈悲の世界を実現するための、個々人の内なる大いなる聖戦、自分自身との闘争を意味している、という。
また、一夫多妻制についての誤解も書かれている。イスラム教では4人までに妻帯を認めているが、それは男性の一方的な権利ではなく義務も存在する。2人目、3人目の妻を迎える際には、それまでの妻の了承を得なければならない。女性に拒否権が認められているのだ。そして、複数の妻に対して経済的にも肉体的にも、平等にしなければならない。そのためイスラムの世界では、実際に複数の妻を迎える人は限られているという。このように、特に女性蔑視とジハードについて、イスラーム教は観念的な偏見を受けすぎていると著者は言う。

過去の賢人の思想を学ぶとは、彼らの言ったことを覚えると言うことでなく、自らの見解にまで昇華させること。その姿勢こそ本書の学びかもしれない。

哲学の時代は終わったか

20世紀は哲学にとって不作の時代だと著者は言う。それは自然科学の発展により、世界の仕組みが急速に解明し始めた時代と呼応する。フロイトが唱えた無意識の存在も、今は脳科学が明確に証明している。本書の最後に登場するのは、レヴィ=ストロースである。構造主義を唱えたレヴィ=ストロースは人間の自由意志を否定し、「社会の構造が人間の意識を作る。完全に自由な人間はいない」と説く。

時代とともに変遷を続けてきた哲学と宗教だが、著者は人間の思考パターンはほぼ出揃ったのではないかと締めくくる。「世界を知る」という意味においても、主役は宗教から哲学へと移り変わり、20世紀からはその役割は自然科学が担うようになった。「かつての宗教や哲学の果たしてきた役割は小さくなってきているかもしれない」と著者は言う。

21世紀は、世界的には難民問題やテロが多発し、ネットやAIによる新しい時代の到来において、哲学や宗教はどのように役立つのか。著者は「はじめに」で「人間に夢や希望や理想を紡ぐ理性(思考力)があり、愛や憎しみなどの感情がある限り、悩みや煩悩が尽きることはありません。そうであれば、いつの時代にも哲学や宗教は求められるのではないか」と問題提起をする。

そういえば、アンドロイド開発の第一人者でもある大阪大学の石黒浩先生は以前、AIが高度化する時代に人間がやるべきことは何かという問いに「哲学」と答えられていた。知識を蓄えることはもはや人間は機械に敵わない。そこから瞬時に判断する領域も、機械はますます人間を超えていく。それで僕らの悩みや煩悩はなくなるのか。老化や死への恐怖にどのように向き合えばいいのか。そして私はどのように生きるのか。これらの問いに機械が答えを与えてくれない以上、僕らは当分、考えることを止めることはできそうにない。

考えるとは何か。思考する意味は何か。習う、学ぶを超えて、人が「考える」ということの意味を問いかける読後感である。それにしても、人智の原点とも言える哲学と宗教の全体的な見取り図を歴史背景とともにまとめあげる著者の頭の中は、どどれだけ知が詰まっているのだろうと、改めて想像さえできない。


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