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石焼きイモ顛末

いつも横目で眺めていた石焼きイモを、ひとつ買ってみた。
マルエツの店先で売ってるやつだ。

石焼きイモは、たいてい店の外の保温器もかねた焼き台に載せられて売っている。
焼きたてだと、いい匂いの煙が上がっていたりする。
立ち止まってジロジロ見るのはなんとなく意地汚いような気がして、いつも通りすがりに横目でチラッと見るだけだった。
家から距離があるのでマルエツで買い物はしないのだが、今日は買うものがあったので立ち寄ったのだ。
買うものは餃子の皮で、25枚入りというのを無事に見つけることができた。
せっかくめったに来ないマルエツに来たんだし、これはもう石焼きイモを買ってみるしかないだろう。
餃子の皮25枚入りを手にし、いざ石焼きイモ…!と考えたところまではよかったが、石焼きイモの屋台は店の外にあるのだ。
しまった。店に入る前に取るべきだったか。
精算前の商品を持ったまま外に出るのは結構気が引けるが、かといって一度手に取った餃子の皮をわざわざ売り場に戻しに行くのもめんどくさい。
やっぱり今日じゃなくてもいいかな…石焼きイモ…
そんな心弱いことを考えながら、まったく用のない文房具が陳列された棚の間からおもての屋台を見つめる。

しかしだ。
今日ばかりはどうしても石焼きイモが食べてみたいのだ。

よし、手にした餃子の皮は一度売り場に戻してこよう。
そう決めた時、タイミングよく店員がすぐ横を通りがかった。

「すみません!おもての石焼きイモが買いたいんですけど」
「あ、はい。お取りしますよ~」

天使!
店員さんはきびきびした動きで店頭に出て、紙袋入りの焼きイモを取り出してくれた。しかもイモは焼き上がったばかりだったようで、温かいを通り越してちょっと熱いくらいだった。

そのままレジで精算をすませ、20分の道のりを意気揚々と歩いて帰った。
餃子の皮はエコバッグに入れ、焼きイモは紙袋のままコートの胸に抱えて歩いた。
あつあつの石焼きイモを抱えて歩くのは、たいそう気分がよかった。
紙袋というのが、またイイ。
焼いて柔らかくなったサツマイモの手触りが、厚紙越しに感じられる。
そして歩いていると、胸元の温かい紙袋から不意にいい匂いが上がってくる。
ふっふっふ。
マスクの奥で含み笑いしそうになる嬉しさだ。

帰宅して、さっそくお茶を淹れ、石焼きイモを食べてみた。
茹でたイモや蒸したイモは時々食べるが、焼きイモというのはものすごく久しぶりだ。石焼きともなると、もしかしたらはじめて食べるかもしれない。

石焼きイモは、想像していたよりずっとおいしかった。
粘り気のあるサツマイモがねっとりと甘い。
外側に近い部分はしとしとに水分をたたえており、芯のほうはほくっとしている。
冬の空気に20分も晒されたというのに、中はまだ温かく、割るといい匂いの湯気が立ち上った。
そして皮がパリパリで香ばしくて、ものすごくおいしい。
イモの皮をおいしいと思ったことがないので、はじめは全部はがそうと思っていたが、ためしに噛みしめてみたら、思っていたほどいやな歯ざわりもなく、味わい深くて驚いた。

この冬一番の出来事かもしれない…

一体なにをどうすれば、石焼きイモひとつでここまで葛藤し感動することができるのか。
大きなイモ一本をぺろりと平らげ、しみじみと余韻を噛みしめた。

なお、当初の目的だった餃子の皮は、翌日の夜に調理した。
ひき肉とネギとキャベツだけの餃子は、こちらも皮がパリパリもちもちに仕上がって、大変おいしいのだった。
石焼きイモというのは皮がおいしくて、晩ごはん一食に匹敵するほどお腹が膨れるのだと知った2023年冬である。

では、また。

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