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「我慢するのが偉い」という呪い


この通知久しぶりにもらいました。
ありがとうございます。
当該記事はこれ↓

またも耳下腺が腫れているような痛みが発生して、これは病院に行かないとまずいやつだな…と、思っていたけど、今日は祝日だった。
手元にある痛み止めを飲むかどうしようか迷っているうちに、痛み自体も姿を消してしまっていた。
なんだったんだ、一体。

前にも少し書いたけど、性風俗にいた頃、保険料がまともに払えなくて保険証が失効していた時期がある。
さらに自分をケアするという発想が貧弱になり、実際に病名がついたり悪い部分が明確になることで休まねばならなくなるのが怖くて病院に近寄らなくなっていた。

その反動なのかもしれないけど、病院には気軽に行くようにしている。
花粉症とか、結膜炎とか、皮膚炎とか、腰痛とか、歯痛とか。
不調があったらすぐ病院に行く。
どれも、以前ならせいぜいドラッグストアで市販薬を買ってどうにかしていたことだ。なにも対策しないこともあった。
身体に不安があったら病院に行く、という当たり前の行動をとれるのがたまらなくありがたい。
悪いところが見つかっても、安静にしているようにと言われても、今はなにも怖くない。

わたしは生活保護受給者なので、病院にかかるにも処方薬をもらうにも、保険診療であればお金はかからない。
全部タダだ。
時間もあるし、医療へのアクセスという点では、普通に仕事をして保険料を払っているひとよりもずっと快適で“得”なように思える。

でも思うのだけど、体調不良になった時、それが誰であろうと、いつであろうと、スムーズに医療にかかれるほうがいいじゃないかと思う。
普通に働いていようが、一時的に働けず生活保護を受けていようが、風邪を引くことはあるし、思いがけない怪我をすることだってある。
自分で言うのもなんだが、わたしは今の暮らしになってから健康には気を遣っている(気を遣うことができるようになった)。健やかであることに、とても意欲的だ。それというのも、体調がいいと快適で心地いいという、基本のキに気づいたからだ。
自分をいたわって暮らし、不調になったら素早く医療にかかる。
そうすることで、大げさじゃなしに、生きるのがものすごく楽になった。
弱った時に助けてもらえる保障があるというのは、とても生きやすいことだと思う。
「負担を分け合う」というこの国の医療保険制度にわたしはすごく扶けられているし、今後も引き続き扶けてもらう。
まだ少し先だけど生活保護を廃止した後も、もちろん扶けてもらうのだ。

「忙しくて病院に行く時間がない」
「お金がないから病院にかかれない」
「病院に行くほどのこととは思えない」

医療へのアクセスが困難になっているひと達がいることを考える。
かつての自分同様に、性風俗の現場にいて性感染症の危険に晒されながら、医療を忌避せざるを得なくなっている女性のことも。
自分の健康を二の次にしなければ生きられない社会など、おかしいと思うのだ。

「いちいち病院にかかるよりも、痛みや苦しみを我慢するほうが偉い」という、クソくだらないバイアスがこの社会から消えてなくなってほしいと、考えないではいられない。


参考:日本医師会


では、また。

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