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早稲田らへんをウロウロしたこと

上野で絵を見た後、池之端のあたりを根津に向かって歩いていたら、ちょうど停留所の前で早稲田行きのバスとかちあった。
完全な出来心で、そのままバスに乗ってみることにした。
根津駅前を通過して、団子坂下に来たあたりでちょっと迷ったが、そのまま終点まで乗り続けることにした。
谷中銀座はずっと気になってるんだけど、まあまた今度行ってみよう。

バス路線の端から端までって、よく考えたら乗ったことがない。
電車と違ってバスは狭い区域を細かく走るから、そこに住んでるか勤めてるかしてない限り、あんまり乗らないもののようにも思う。
わたし自身、長く東京に暮らしているが、バスを使うようになったのは生活保護を利用するようになったここ2年のことだ。

都内の生保受給者は都営交通の無料乗車券というのをもらえるので、現在わたしはこれを活用しまくって移動している。

電車よりうんと時間がかかってしまうが、電車で移動していたらまず見られないような風景に出会えるので、バスは結構面白い。
バスで走った道を憶えておいて、あとで歩いたりもする。停留所を目印に歩けば迷うことも少ないし。

池之端から乗ったバスは神田川を突っ切って終点の早稲田に着いた。
広い車道の向こう側に、都電荒川線の線路が通っているのが見える。
路面電車の駅?停留所?が、わたしはかなり好きだ。車道の真ん中に浮かぶ小島という感じがすごくいい。
そこに立って電車を待っているひとを見るのも、なんだか好きだ。
普通の電車の駅のようにしっかりした駅舎も改札もなく、駅員がいるわけでもないのに、利用客達は平然かつ整然としている。あのこなれ感というか、生活に密着した感がたまらない。
バスと一緒だ。その土地に用があるか、その土地をよく知っていないと、乗りこなせない。
広島と函館と東池袋で、路面電車に乗ったことがある。どの時もものすごくわくわくした。

憧れの眼差しで都電の停留所を眺めていたら、ちんまりした電車がやってきて、去っていった。
せっかくなので、電車を追いかけるようにして歩いてみる。
大きなオフィスビルやマンションが立ち並び、時々ラーメン屋やカレー屋があって、このへんで働くひとはここで昼食をとるんだろうかと推察する。
そんなふうにぼんやり歩いていると、不意に、マンションとマンションに挟まれた路地に嘘みたいに傾斜のきつい階段があるのを発見した。
階段の向こうは全然見通せない。
しばし立ち止まって、ごつごつしたコンクリート色の階段を見上げる。神社の境内に上がる階段みたいだ。
迷うかも。
そう思った時には、でももう階段をのぼっていた。
下から眺めていた以上に傾斜がきつい。段差もなかなか大きい。
このあたりに暮らすひと達は、この階段を使うんだろうか。小さな子どもや年寄りも。雨の日は大変だろうな。長いスカートを履いて上り下りする気にはなれないなあ。
階段をのぼりきった先には、住宅街が広がっていた。
なんということのない、道幅の狭い住宅地。
昼間っからうろついていることが気まずく感じるほど、のどかで静かだ。
街道沿いや幹線道路をうろつくことはへっちゃらなのに、住宅街に迷い込むと途端にうろたえてしまう。
よそのひとの生活が、ぐっと近くなるからだと思う。
元来が野次馬なので、コンクリート塀に沿って並べられた水入りペットボトルの群れとか、きれいに手入れしてある庭とか、室内から出窓をふさぐように積まれたぬいぐるみとか、猛犬注意のシールとか(どれほどの猛犬がいるのか)、いつもめちゃくちゃ気になってしまう。
とはいえ他人様の家をジロジロ見るわけにもいかないので、目についてもサッと目を逸らすようにしている。めっちゃ気になる、と、思いながら。
目のやり場に困るので、住宅街はちょっと苦手だ。
とはいえ、せっかく難儀して階段をのぼったのだし、せっかくだからそのまま進んでみることにした。
通りには全然ひとがいない。
しかし当たり前だが、多分立ち並ぶ家々の中には誰かしらいるのだろう。
ありがたいことに道はまっすぐ伸びていて、途中に古めかしいながら住宅地図などもあり、迷うこともなく住宅街を抜けられた。

抜けた先は早稲田通りだった。
高田馬場駅への方向が示されていたので、そっちに向かって歩く。
都電と並走していた通りとは打って変わって、ひと通りも多く、店も多い。
雑多で、情報があふれかえっている。
その雑多さにほっとする。懐かしさすら感じた。早稲田通りをこんなふうに歩くのははじめてだったにも関わらず。
見かける飲食店がどこも盛況であるのに気がつく。時間を確認したら12時を回っていた。
駅前のコーヒーチェーン店に座ると、肩から全身にかけてくったりとした疲労が覆いかぶさってくる。
上野を出てから2時間近く経っていた。山手線なら20分の距離だ。
電車って速くて便利だなあと改めて思う。
そして、駅と駅の間にもひとが暮らしているんだなあ、と、当たり前のことにしみじみする。
あの急な傾斜の階段があるあたりに住んだら、都電の停留所のどれかが最寄り駅になるのだろうか。
あの住宅街に住んだら、早稲田通りは生活圏内だな。
そんなことを考えながら、紙コップのカフェオレを飲む。
帰りはどうしようか。今日はもうこれ以上歩きたくないぞ。
自宅までのバスを調べながら、車窓の向こうに見るであろう景色に早くもわくわくするのだった。


では、また。

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