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甘いものと甘い考えと甘やかすこと

おかげさまで、多くのひとにnoteを見てもらえているようです。
さっそくハートやコメントやサポートをいただき、とても嬉しく思います。
Twitterからここに来た方も、noteの検索からたどり着いた方も、よく来てくださいました。ありがとうございます。
今後もこのnoteでは、生活保護受給者としてのわたしの暮らしや、考えたこと思い出したことなんかを、ユルめに書いていければいいなと思います。
あと、1記事1,000文字くらいってのはどう考えても無理だったんで、今後は2,000文字以内くらいを目安にやっていこうかなと考えています。
ひとに読んでもらうテキストっていうのは難しくて楽しくて、しみじみ好きだなと思います。


甘いものが好きだ。
クッキーやスコーンが特に好きで、ケーキや甘いパンも好きだ。
バターのしっかり効いた焼き菓子はそこそこイイ値段がするので滅多に食べないが、たまに食べる時は身も心も解放してその香ばしさと甘さを味わう。
甘い焼き菓子やパンを食べる時のお供は、なんといっても紅茶が好きだ。
スーパーで買ってきたティーバッグを、しっかり沸かしてふんだんに空気を含ませたお湯70mlくらいで、しっかり抽出する。
茶葉を取り出したところに好きなだけハチミツを入れて、レンジで温めた牛乳を倍量くらい加える。
こんなに手軽でさらには安価なのに、香り高くて美味しい紅茶ができるのだからティーバッグというのは偉大な発明だ。
紅茶はフタ付きタンブラーに作る。ちょっと揺れたくらいではこぼれないし、冷めにくいのがいい。

うんと甘くした紅茶と、ちょっとイイ甘い焼き菓子あるいはパン。これは誰がなんと言おうとわたしの贅沢で、自分を甘やかすための大切な時間だ。

文章を書いている時や、人間関係について考えている時、人生の残り時間と今後の生き方について考えている時、なにもかもが行き止まりに突き当たってしまい、どうにもならないのではないかと辛くなることがある。
そういう時には、日記に思いの丈をわーっと書き出して、外に歩きに行く。
歩いているうちにぐちゃぐちゃな頭の中が整理されて、次第に気持ちが治まっていく。
気がすむまで歩いて自分を宥めたら、家に帰る。

わたしは何事につけても考え込む性質で、少し前まではそれが短所だと感じて、考え込む自分を疎ましく思っていた。
けれど考え込まないで文章は書けない。
思っていることは思っているまま勝手に文章にはなってくれないので、出力するためには一度考え込むという手順が必要なのだ。
ということは、何事につけても考え込むという性質は、文章を書くための手順に適っている。
考え込む性質は、わたしの長所でもあるといえるだろう。
そうやって甘い判定をつけるようになったら、考え込む自分を疎ましく思わなくなった。

性風俗で働いていた頃、わたしは商品として売れ行きがいい時の自分しか甘やかさなかった。
もしくは、商品としてたくさん売れるようになるためにしか自分を甘やかせなかった。
決まった人数の客をとったらゴハンが食べられるよ、とか。
お礼メールを全部返したら寝ていいよ、とか。
乳首をちぎられそうになって痛くてしょうがないからお酒を飲もう、とか。

今のわたしは、なんの条件もなしに誰はばかることなく、自分を甘やかすようにしている。
そうしたほうが楽しく、心地よく、生きやすいと知ったから。
それが普通だと気づくまで、結構な時間がかかった。

わたしは日々、自分を甘やかす。
自分以外の一体誰が、ここまで的確にわたしを甘やかしてくれるだろう。
今のわたしは、ちょっとイイ値段のする甘いお菓子やパンを毎日は食べられないが、紅茶にハチミツと温めた牛乳を入れるくらいの贅沢はできる。
そのささやかで甘い積み重ねが、もうちょっと生きていてもいいかと、安易に思わせてくれるのだ。


では、また。

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