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小説を書いていて省いた部分です。多分よく分からないと思いますし、へたくそな文ですけど、もったいないので投稿

僕は夢を見ていた――僕はそのことにかなり自覚的だった。僕は何もない地平を見ていた。それはいつか見たウユニ塩湖のような情景だった。曇りなき空は無限の透過性を思わせるほど澄み渡っている。太陽は緩るかな光を放射する。地面は、まるで鏡のようだ。風立たたず、故に波打つことのない水面は空の合わせ鏡の役割を果たす。地上にもう一つの空を映し出す。境界線は見えない。重力を貞淑に、しかしある種の確信を籠めて嘲笑っているかのようだった。誰に? さあ。まあそんなことどうでもいいんだ。多分この世に天国なんてものがあったら、きっと神様はここを選ぶに違いない。何人の介入も許さない地平になっただろう。いや、地平なんて表現はおかしいな。だってこの世界はまるで球体のように切り取られているんだから。地平なんてちんけな表現では語れやしないんだ。これは一つの世界さ。丸っこくて完璧な世界。物質の配置が完璧になされた世界。僕らの世界もこうであったらいいのに。
僕? 僕っていったい誰だ? だってこの世界には人間なんて存在しちゃいけないんだよ。それなのに僕はどこからこの世界を見ているんだ? 僕の視点はどこにあるんだ? それだとすると、僕は存在しないことになるんじゃないか? いや、でもデカルト風に言うなら僕は存在しているな……それならどこに僕はいる? 素粒子だとかモナドだとか、そういう僕には無縁の存在に僕は生まれ変わったのかな。でも、それでもおかしいな。この世界は完璧な世界なんだよ。僕みたいな人間が、たとえ体の一部だとしても存在していいのかい? だって人間だよ? 愚鈍の象徴で、思考を手に入れたがゆえに考えもしなくてもいいことを手に入れたあの人間だよ? 調和の統御に身を焦がしながらそれでも自由だとか手に入れようとして、その果てに絆だとかそういうありふれたものさえ失って今しそうなあの欲深くて無益なあの人間だよ? 別にそれでもいいんじゃないか。だって僕らはいつか死ぬんだよ。それならばいろいろ経験しといたほうがいい。出会いも別れも。ハイデガー的だね、まあ彼の本は読んだことないから知らないけど……
ところで僕は誰と話しているんだい? だってもしさっきの仮定――僕が素粒子やモナドレベルにまで小さくなったという仮定――に従ったとしても、僕以外の人間はいないはずだろう。思考は僕にだけ与えられた特権だろう? 
おいおい、そうつけあがるな。君が素粒子として存在し、しかも見えないっていうんだったらほかの人間だってそういう形で存在しているかもしれないじゃないか? 簡単な話だろう。
それはそうなんだけど……じゃあ、君は他人? 
変な聴き方をするなあ、君は他人? だなんて。あはは、君のあほずらが目に浮かぶよ。
君には目があるの?
言葉の綾だ、気にするな……そうだな、他人か。よくよく考えてみれば面白い質問だ。強いて言うならば、他人でもあり、君でもあるというのが正しいかな。
……どういうこと? 
つまりさ、君、この世界に自己も他人も大した違いはないんじゃないかってことさ。て言うのは、この世界は総体としてのある一つの終着点を目指しているんじゃないかってこと。
まだよく分からないな。
つまり君は、この監獄のような世界で、個々がアイデンティティを無くして平板かつ無個性な個体になっていく、とかそういうありふれた論調に帰着しようとしているのかい?
 表面的にはそうだが、その核心はもっと根深いところにあると僕は思うね。
というと?
たとえば人権問題だとかマイノリティーの問題だとか非常に具体的な事柄を一つ上げてみるとしよう。ほう。それらは時代の要請であり、これまで降り積もってきたマグマが噴火したようなものだ。僕らはその溶岩を身に染みて味わい、彼らの苦しみを理解し分かち合わねければならない。それに関しては誰もが、温かい血が通ったものすべてが認めるところだ。確かにそれはそうだ。僕らは寛容でなければならない。寛容こそが、世界を救う。
ところがだ、問題はこの《寛容》が一体だれのものであるかが問題だ。僕らは他者すべてに対し寛容であることが求められる。悪意を持つもの以外のすべてを受け入れるよう要請されている。……要請……そう! 《要請》されているんだよ。僕らは寛容であることを《誰か》に要請されているんだ! この《寛容》は果たして僕らの性根から現れた純粋無垢なものなのか、あるいは僕らが《誰か》からそれを持つことを強制されたのか。それが僕は分からないんだ。僕らは本当に《寛容》さなんて持ち合わせているんだろうか? それが、それこそが問題なんだ。だって僕は隣人に右頬をぶたれてから左頬をそっと差し出すような寛容さは持ち合わせていないんだ。僕はきっと隣人の両頬を力の限りぶんなぐってしまう。あるいはそれだけじゃ気が済まず、毎日隣人の庭の芝生に生ごみを投げてしまうかもしれない。そんな僕が、本源的に《寛容》さなんて持ち合わせているんだろうか! 僕は怖いんだよ。だってもしこの《寛容》が誰かに植え付けられたものだったとしたら、僕はもう恥ずかしさで生きていけない。なぜかって、僕は何時だって平等主義者を謳ってきたんだ。僕は何時だって差別される側の人間の側に立ってきたんだ。その時は僕の倫理観を信じていられた。これは僕のものだとね。そんな僕が! もし倫理観なんか持ち合わせていなかったとしたら……もしこの倫理観が誰かからの要請によって僕がしかたなく獲得したものだとしたら……僕はもう生きていけない。なぜって僕は本質的には差別する奴らと同じ性根だってわかってしまうから……
なるほど、君は真面目な人間だね。でも僕は、君の言うことは間違っていると思うよ。だって倫理観は人間が後天的に獲得するものだからね。倫理観は社会の規範に基づいているものじゃないか。だから倫理観が誰かに影響されようが、別にそんな事どうだっていいじゃないか。僕らの心の中には倫理観という慈愛が芽吹いている。それでいいじゃないか。
君は――本気でそう言っているのかい?
違うの?
違うに決まっている! 社会の規範に基づくのは法律だ。あるいは暗黙的な習慣も含まれるかもしれない。でも倫理観は違う。それは僕らの先天的な《心》に基づくものなはずだ。もし倫理観が心の底から現れるものでないならば、もし僕らが無個性の塊にすぎず僕らの信念が誰かに左右されるものならば、僕らはきっとあの時代に戻ってしまう。人間たちが特定の人種を差別していた、人間たちが特定の思想を嘲笑しけなしていた、あの時代に……だってそうじゃないか。僕らは誰かに操られているんだ。誰か……そう! 僕らは時代にただ飲み込まれているんだ。僕らの倫理観は所詮、時代の倫理観にすぎないんだ。少なくとも僕はそう感じている。でももしそうならば、僕の中の倫理観が時代の倫理観にすぎないとするならば、僕があの時代、つまり暴力と差別が蔓延っていたあの時代に生きていたとして、僕が暴力と差別に加担しなかったとどうして言える。罪もなくとらわれた哀れな人々に対し、僕が唾をかけたり些細な理由で殴りつけたり、果ては顔を無くした上司の命令で彼らを殺したりしやしないなんて、どうして確信できるんだ!……僕はね、恐ろしくて仕方ないんだよ。僕はとっくに平衡感覚を失ってしまっているんだ。僕はもう誰かに許しを請うしか道はないんだ。でも誰も僕には見向きもしてくれない。僕の疑問なんか誰も気にしちゃくれない。だって僕はこの時代の、この時代の《寛容》の倫理観を無批判に受け入れるこの世界にただ飲み込まれるだけの、泡沫にしかすぎないんだから……
そう言い終えると彼はすすり泣くようなぐすぐすという情けない音をだした。しかし僕には彼は見えなかった。この世界において空は極限の透過性を持つ群青がどこまでも行き渡り、地上は空の合わせ鏡となり光を屈折させ反射する。それら完璧な情景だけが存在することを許され、汚い僕ら人間は目に見えない存在に堕とされてしまっているから。彼の存在も、ましてや彼の懊悩も、もはやないに等しいのだ。僕ら人間の心に抱いた情念は正義であるか否かを問わず、時代にかき消されてゆく。この世界も同じだ。この世界は完璧だ。自然法則を知り尽くしており、すべてが調和にあふれている。すべてが論理的だ。結局この世界が正しいのだ。しかし……しかしだ。果たしてそれでいいのか。僕らは倫理観を一つに集約して、この世界を完璧なものに仕上げるべきなんだろうか。今僕らの世界は転換点に着ている。彼の言うところのこれまで抑圧されてきたマグマがとうとう噴火し、世界は怒りとそれに伴う同情に満ち溢れている。世界に正義の審判が下ろうとしている。別にそれはいい傾向なのだ。しかしそもそも、僕らは絶対の正義なんか掲げられる存在なのだろうか。僕らは自分の倫理観に従って誰かをさばけるほど完璧な存在なんだろうか。ここのところ、僕ら人間は付け上がってきてはいないだろうか。巷を歩けば出くわす有象無象の意思表明たち。画面を覗けばあふれる自愛に満ちた正義たち。彼らはおそらく正しい。だけど人間は他人に対して正義の矛を突き立てられるほど正しい存在なのだろうか。これこそが問題なのだ。あるいは、この僕自身の意思表明も誰かに対して正義を突き付けたものなのかもしれない。だからこそ、僕たちは考えなけらばならないのではないか。自分たちの存在について、自分たちの正義について。何も考えずどちらかにつくのはやめるべきなんじゃなか。僕らの言葉は人を殺す力だって持ち合わせているんだ。僕らはもっと自覚的であるべきなんじゃないか。
しかし僕の思念も、結局は音一つ立てることなく消えてゆく。これは夢だ。僕はそのことにようやく気づく。いやもっと前から気づいていたのかもしれないが、僕はもう起きなくちゃいけない。そして僕という素粒子は心の中の眼を閉ざし、眠りにつく。


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