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33話目「二大政党制(保守二党論)」はなぜうまくいかないか?「保守連立・党内政権交代」式がうまくいくための「少数野党」とIT産業法案

 保守系野党である「国民民主党」が「戦後」野党では異例の「政府・予算案」に賛成した、と話題だ。玉木先生ほどクレバーな政治家は戦後いない。おそらく「福田総理以来の経歴・学歴」「田中角栄以来の頭脳」や「ケネディレベルの社交力」を兼ね備えた「スーパー代議士」だと心から思う。

だが、「戦後政党政治史」を見れば、保守系野党は悲惨な運命に合っている。そして、異例なことは全く起こっていないし、異例なことは起こらない。

国民民主党とポジションで似ているのは、野党「民社党」だ。

 結党当初は「日本社会党右派」の国家社会主義者らが主流だったが、社会党から分裂し、当初は「民主社会党」を名乗っていたが、「日本社会党」との違いを鮮明にするために党名を「民社党」にした。

なお、「民社党の社」は「社会主義の社ではなく、会社の社」というのがけだし「名言」である。

「民社党」の特徴は自民党よりも右と言われた。社会党が「自衛隊・原発・安保」は絶対に認めない「左派政党」かつ、実質「総評(「連合」の発足以前の日本の大手労働組合)」の率いる政治政党だったが、民社党はその逆で「原発・安保」に積極的擁護である、いわゆる当時の「右派政策政党」でありながら、国家社会主義的福祉とタカ派の外交政策、そして社会党と違う現実保守主義路線の政党的政治を終始貫いた。そして、反共、とくに「日本共産党」とは徹底的に相容れなかった。

では、なぜそんな政党が「自民党ら保守系」と「違う」政党だったのか?

ずばり答えは「労働組合政党だから」である。民社党の本質は「総同盟系」のいわゆる経営者と結託を組む労組系政党なのである。ある意味で社会党よりも「労働組合貴族」の本質を隠せなかった政党であった。

だが結局90年代の政界再編の中で、小沢一郎らの「新進党結党」によって解党された。

「国民民主党」もおそらく「民社党化」していくはずだが、いずれ解党される日が来てしまうだろう。

・「N国党」は日本では珍しい「単一論点・単一政策(シングルイシュー)政党」である。これは日本の政治史では、本当に珍しくN国党以外に政党要件を満たせた政党はない。

かつて80年代に「環境政策・脱原発」を掲げた「緑の党」、ピル解禁要求を掲げた「日本女性党」などがあったが、どれも落選して、短期的に解党されている。

榎美沙子(日本女性党元党首)



日本での少数政党・ミニ政党、いわゆ泡沫政党は数かぎりない。新しい政治や政策を反映させる、といっても現実的には「自民・公明」の国政与党しかないのが現状だ。

かつて国政で議席獲得ができたのは、「新自由クラブ」「社民連(社会民主連合)」「税金党」「サラリーマン新党」「第二院クラブ」「スポーツ平和党」。2004年以降はほぼ「自民・民主・公明・共産・社民」が主要政治政党プレイヤーになり、以降は少数政党で議席獲得ができたのは「N国党」と山本太郎率いる「れいわ新撰組」だけになる。

いうまでもなく小選挙区制度では、「左派票」が「分裂」してくれた方が与党に有利である。自民・公明は閣議で選挙協力を結んでいる。したがって、小選挙区では左派や無党派が分裂してくれればくれるほど、与党候補者が当選しやすい。結局、小沢一郎が導入した小選挙区で一番勝ち続けているのは「当時反対」していた自民党で、「当時導入」した小沢一郎がそれによって2021年ついに「落選」したのは歴史の皮肉である。

・以下、伝説の政党をラベリングしておく。

永六輔や田原総一郎、横山ノックなども一時期いた「革新自由連合」。

タレント政治家候補の時代、という感じ。

雑民党 今でいう早すぎた「LGBTQ政党」であり、性的マイノリティーのための左派政治政党なわけだが、党首「東郷健」さんには今でもシンパは多いと思う。

東郷健さんは、生まれの家はいわゆるエリート議員の息子だが、結局地元の兵庫には戻らなかったそうだ。政権演説も極めて、いわゆる「泡沫候補」感よりも、哲学をヒシヒシと感じる。凄い人だな。

今回は手を動かしただけだが、

・インボイス伝票法

・ベンチャー企業育成支援減税法

・自由学校教育制度法

・自由福祉法案制度設計

などは通さなければならない。



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