見出し画像

21話目 「定価なき社会」の生き延び方 Surviving Method of the List-less Pricing Society

「定価なき社会」の生き延び方 Surviving Method of the List-less Pricing Society

「定価なき社会」の到来イノベーション講座になります。どうも、情報経済思想家のえづれです。

今回は、すこしマクロな思想篇。面白いと思う人がどれくらいいるかわかりませんが、普段考えているようなことをざっとメモやカード起こしのものをnoteに書いてみます。以下、いってみよう。

わたしの予測では、私の考える「定価なき社会(List-less Pricing Society)」になっていくのが、情報文明社会のこれからの必然である。もっというと「あらゆるもののサービス財化」である。

だが、サービスが完全な無形物とは限らない。ソフトウェアやコンテンツを用いたハードウェアや消費財であることも多いからだ。
説明しよう。

わかりやすくいえば、「グーグル」の検索エンジンは、ブラウザ経由での「使用」は現状では「タダ」だ。Googleは世界中で無料で使える
例えば、エンドユーザーに、「子供」がいる「ママさん」が、「安全な食品 添加物」とGoogleで検索する。
しかし、その「情報検索料」で、「探してやったから、1000円はよ、よこせ!」などとちまちましたことは、決して言っては来ない
が、しかし、「そのような安全な無添加・食品」を売りたいと考えた人が、「ネット広告」を出したいとなった時に、広告を出してあげるので、企業クライアントに「広告手数料」をくださいね、と言ってはくる。つまり、Googleの市場価値構築の本質はデータと個人の時間の最適化にある。

しかし、この構造もおそらく10年後までにはGoogleはガラッと変えるだろう。自動運転Waymoだ。行き先と位置情報データさえあればユーザーが検索をわざわざしなくても、「ほしいデータが事前にわかる」ようになる。自動運転ソフトウェアは、そもそものネット接続の「ブラウザ」のように社会に浸透していき、わざわざブラウザやwi-fiを用いて、検索エンジンを立ち上げなくても、Waymoが、無料もしくは定額制の公共バスや自動運転タクシーがそのまま検索エンジンになっていく可能性は高い。

しかし、それでもやはり「広告」という無形情報財はなくならない。

「広告」には、そもそも「定価」なるものや原理はなく、基本的に競争入札制の「オークション」で決められる。テレビや新聞、雑誌広告の時代には、ある程度の「相場」や単価の値動き、変動費はあれど、「定価」に近い市場ができあがっていたが、インターネット広告・メディア媒体の場合はそもそもそういう実際の「もの」の媒体原理は期待できない。(ブランドとしてのテレビや新聞、雑誌広告の市場価値はおそらく残る。また、ネットにおいても、10年後にそのプラットフォームや市場でユーザーがいなくなることは頻繁にありえるが。)

さて、ここで、「定価」とは「何か」という問いが、改めて、やってくる。
一応、2022年の現段階では、東京のコンビニにいくと、「カップ麺」が、「140円」で売っているし、東京では牛丼は「430円」で買える。コンビニでは、「コーヒー」ができたてが「100円」ちょっとで買える。

市場価格において大事なのは、やはり単価よりも、市場のマクロ視点での変動費だ。
「なぜ」140円なのか、売る側も買う側もなぜ「430円」で、いいんだろうか、一方、高級ホテルのレストランのコーヒーは、なぜ「2000円」なのだろうか、という問いを、よりインフレ化においては、あらゆる人が考えていく時代になる。

定価や価格構築の原理にしても、インターネットの覇者の2企業ーーAmazonとGoogleでも、市場のあり方、経済の生態系の設計思想ではここが全く違う。

Amazonはやはりテクノロジーとしては最新のデータサイエンスだが、「市場のあり方」としては「20世紀の拡張するマーケット的」であってほしい企業だといえる。

それが、かえって、かつて無数に消えていったITバブル企業と違って、「成功とイノベーション」につながっている。

Amazonは単なる「インターネット本屋さん」になりたかったわけではないことは今では明確だ。つまり、Eコマースでの「商品の特質」上として、陳腐化しない、在庫管理しやすく、代替化しやすく、なおかつリアル店舗では解決できない「少部数の本の商品在庫流通ロジスティクス」を市場ごと構築できる可能性として、まず「本」のマーケットを選んだことはそこそこビジネスや経営を勉強した人ならわかると思う。

だが、ここに「本」の取次と価格維持制度が根底にあったことは大きかった。アメリカと日本では出版市場のあり方も全く違うが、やはり日本の取次市場と価格維持制度は今だに、大きな問題のある制度だ。

Amazonの「本の価格」はほぼ「定価」で配送料を含めて、定価を維持する枠組みがある。

Amazonは本質的には、100年後でも、「低価格の市場価格マーケット」を「維持・長期経営」したい会社だからだ。つまり、わかりやすくいえば、高い価格の製品よりも「安い(顧客の現在の貯蓄額において「低い」という価値判断)市場価格」において、最も多くのマス顧客にとっての市場での「多様性」商品機能が溢れるマーケットを、基本的に好む会社なのだ。

まさに新進気鋭のインターネットビジネスでありつつ、倹約性高き米「ウォルマート」の経営をそのまま後発模倣したといえる。「エブリデイ・ロープライス(毎日低価格で販売しております)」と「市場の多様性」を一致させてきた。そしてそれは、インターネットにおいてはそもそも毎日日々無数に出版・製造・企画・生産・消費されていく「本(出版物)」というコンテンツ商品との相性が極めてよかった。

この意味において、Amazonのミッションである「地球一の顧客セントラル企業」は嘘ではない。顧客は安いもの、かつより良いもの商品点数が毎日増え続ける自由市場で、欲しがり続けるのだから。それはAmazonが手数料はほとんど取らず、販売し続けますよ、なわけだ。

一方で、Googleの場合は明確に異なる。

インターネットの検索エンジン開発、ブラウザ開発、メール開発、地図・移動情報、動画プラットフォーム、モバイルos開発、自動運転ソフトウェア開発など、一貫して行なっていることはすべて「広告収益」につながっている。今ではサブスクやハードウェア販売も手がけているが、2022年現状では8割以上今だに広告収益依存であり、おそらくEVのウェイモやスマートグラス、VR・AR・サブスク化が進んだ10年後でもGoogleが「広告プロダクト」メインであることは変わらないだろう。

この広告原理による、「インターネット」を通じた個々人経済圏の「構造革命」とイノベーションは、今後10年、もっともっと進む

問題はAmazonやGoogle一私企業の話ではなく、この2社によって、ありとあらゆる商品の売り場面積自体が変わり、「定価」が構造的になくなる社会がくる可能性にある。

日本の戦後の市場主義社会が極めて良かったことに私は、「固定定価の徹底化」があると思っている。この原理を作り出した人は多くいるが、企業でいえば、三井物産、伊藤忠商事、三菱商事、セブンイレブン、ダイエー、イオン、松下、ソニー、ファストリテーリングらだろう。

東京と大阪、都心部と地方、原産地・農産地と都心輸送先の販売地で、価格が違うのは当たり前である。しかし、日本においては全く「当たり前」ではなく、「奇跡」が当たり前のように毎日実現されている。事実、観光客はコンビニや家電量販店、化粧品販売店の価格構築力に驚く

生産工場や農地の近い場所の方が輸送費(人件費も)は安い。したがって、製品や商品の価格は安く販売できる。

しかし、どうだろう。東京の都心部、渋谷のコンビニ福井のコンビニでカップラーメンの価格はほぼほぼ変わらない。本来は、「300円」以上違ってもおかしくはないのだ。

特産品やサービス財、人件費は違うが、「一般消費財商品」の価格はほぼ定価なのである。

正直いって、本当に資本主義の「奇跡」だと何度も思う。輸送費は?労働生産力は?人件費の投入は?

いろいろ考えても、企業経営者に聞けば、「顧客主義のための、企業努力でそうしている」だろう。しかし、本当は、おかしな話なのだ。

ホリエモン(堀江貴文氏)が最近始めたパンのFC「小麦の奴隷」はここらへんにメスを入れた面白いアイデアだ。

・最も「定価」原理・「市場固定価格制」が効かないものとしての「ブランド費」

「定価なき社会」というのはある意味で、「コミュニティ原理」ともいえる。ブロックチェーンを使ったNFTのクリプト市場にもこれはいえる。

だが、これはいわば「アート」のかつての旧来型(サザビーズやクリスティーズ型)のオークション市場とは構造が違う。

いわば、「SNSの個々人発信力」の「ブランド」市場というのが本当のところだろう。フォロワー数が3万人よりも10万人の方が影響力が強いかというと、必ずしもそうは言えない。事実、炎上リスクもある。

私たちもフォロワー数が多いインフルエンサーやクリエイターに案件をお願いしたが、必ずしも結果的に良好な結果ばかりとは言えないことも多かった。

しかし、「ブランド価値」というのは確実に未来のインターネットでも残る。起業家「家入一真」がフォローしたアーティストは、たった250人しかフォロワー数がいなくても、作品の質としては高いかもしれない。アートでは、画商やキュレーターの存在が市場価格の決定力においてはきわめて強いわけだが、それは「目利き」の市場原理が導入されるからである。

石田ゆり子さんが、フォローしている陶芸作家は、たとえあまりマスに売れなくても、市場としては生き残る。これが無数に起こっていく。

・「定価なき社会」というのは一般消費財の徹底的な定価固定の上に成り立つ原理だということもできる。

「コンビニエンス・ストア」ーーーセブンイレブンやファミリーマートが10年後、完全に店舗がなくなっている未来は、あまり想像できない。

「AMAZON GO」のように無人店舗になる可能性は高いが、そうはいっても、販売店に人がサービスとセットで売ることがコンビニの付加価値の源泉になっている事実にもう少し目を向けるべきだろう。私が気になるのは、むしろあそこまで安い人件費であそこまでこなせる労働力の美徳化だが、これは少し話がずれるのでまたこんど。

とにかく、東京では、「コンビニ」は、5年後、10年後、20年後も、各町や新宿、渋谷に残るだろう。淘汰はされるかもしれないが、消滅はおそらくないだろうと思う。

だがしかし、そこに積まれている在庫商品の「定価」はどうだろうか?

これは、ガラッと変わっている可能性がある。

AIによる価格変動プライシングの値札プレートの導入でも変わるだろうが、そもそも時間帯による商品価格変動制はおそらく起こらざるを得ない。

「深夜帯」のカップラーメンと「早朝時間帯」では売れ行きが違うのは当たり前だ。お弁当やおにぎりでは逆のことがいえる。

これが商品だけではなく、サービス財、労働力、貨幣価値(暗号資産)、エンタメやクリエイティブといったコンテンツ市場でも起こる可能性は高い。

Amazonが「本の価格」をインターネットのEコマースで極めて、「低価格市場」を構築することによって、世界中で「コンテンツ消費財」市場の基礎的な枠組みができた。

結果的にあらゆる人、末端のエンドユーザーの「本探し」の時間を問題解決し、それによる構造変革が起きた。そして「物流構造」で常にあった問題をAmazonのデータビジネスが普遍的に解決し続けている、というのは名著「コンテナ物語のストーリー」ともかぶる。

となると、次に起こるインターネット上のソーシャル・コミュニティのストーリーは、やはり「定価なき社会」の到来にある。

定価なき社会は消費財の安定的定価市場価格維持社会の上にのみ、咲き開く

「定価」を英語では「List Price」という。

「リスト(名簿情報)」が事前に閲覧できるから、「定められた価格」なわけだが、このリスト=情報が事前に閲覧できない場合は、どうなるだろうか。これを考えると、「定価なき社会」をイメージしやすい。

例えば、本の価格であれば、これはAmazonで一覧できる。

大抵の「漫画コンテンツ」はワンコインかせいぜい1000数百円で購入可能だ。

最も事前閲覧・事前検証できない商品が「労働力」(人件費)「サービス財」だ。

ここはおそらくこれから先も変わらない。ここの定価は変動が激しく、たとえ人材派遣業やマッチング、HRテック領域がどんなに入っても、やはりあらゆる「労働力」の一律コモディティ化は原理的に、できない

そして、あらゆるものに「ネット広告」の原理が浸透してきたのがスマートフォンとSNS以降のインターネットだ。そして、今後10年で、より浸透する。広告費の定価変動相場は常に変わる。そして個人はますます強くなるだろうから、クリエイターエコノミー上で、個々人は発信力が上がり、広告費の市場価格構築ができる。

例えば、仮面YOUTUBERの「ラファエル」は、単価200万円以下の案件は引き受けないらしいが、これは「生産側」の「意見」や「ポジション・トーク」であって、仮にラファエルがフォロワー数「0人」になるアカウントBAN、SNSやYOUTUBEでのエンゲージメント率0.00001%以下になれば、同じことは言えなくなる。また長期的に見れば、今のままでも、単価は当然下落していくために、やはり市場価格構築はできなくなる。

「インフルエンサー化・タレント化」よりもコミュニティ内での広告ブランド費や企画費に資源投入されていく。

・「定価なき社会」化による「700兆円市場」の内訳

定価が導入できないプレミアムな「サービス財」に「教育」があげられる。コンサルティング費、企画費、メディアや映画への出演料もそうだろう。

「定価」・「固定価格」構築維持市場の商品類群は変動していくが、情報媒体はガラッと変わっていくことだろう。

=「本」

=「新聞」紙のニュース・報道メディア媒体

=「地域不動産」

・定価なき社会と「クリエイター」の定価

=例えば、YOUTUBERは10年後、価格化する?

YOUTUBERも、10年後には、「動画1000本以上アップロードする」あるいは「5GB以上の動画コンテンツアップロード」には、有料サブスク会員・Premiumに加入しないとできなくなっている可能性が高い。広告収入依存よりも、クリエイターからある程度月額会員費をとった方が利便性が高いからだ。そのかわり、クリエイターが折半ではなく、自分で企業の広告収益をそのまま取れる機能などが実装され、よりクリエイターと企業が結ばれる動画ストック・コミュニティになっていく。

もともと「動画コンテンツ」には「価格」や「定価」といった概念がない。映画館の入場料やVHS/LD/DVDのパッケージ販売の時代には、多少「定価的」にはなっていたが、ネットの時代における定価価格維持制度は難しい。そのため、広告収益の原理市場とその消費財部分の個々人への広がりは、ますます拡大していくだろう。

続きは今度になります。

よければスキをお願いいたします。


よろしければサポートお願い致します。いただいたサポートはこれからの投資のために使わせていただきます。