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生きよう。

NHKの土曜ドラマ「ひきこもり先生」を観た。

ドラマを観て泣いたのは久しぶり。

かつてはひきこもりで今も人との距離がとても遠い主人公、上嶋陽平が市立中学校の非常勤講師となって不登校の子どもたちと共に歩んで行くドラマ。

テレビを点けたら偶然放送していて、しかも第一話だった。

「生きよう」

終盤、彼はこの言葉を自殺を試みる中学生に何度も何度も言っていた。

自分にも言い聞かせているようだった。


自分は生まれてこないほうがよかった。

そう思ってしまった人間に「生きよう」という言葉をかけるのはどれだけ勇気のいることだろうか。


私は高校時代軽い不登校だった。高校一年生のころは週一回休んだりしていた。特に月曜日は辛い。

頑張ろう。そう思うほどに頭痛が酷くなり、学校に行って何になるという気持ちが込み上げてきた。死にたいとは思わなかったけど、死んだらどうなるかなぁとは思ったりした。

自分で決めて、一生懸命勉強して勝ち取った合格が全て水の泡になったようだった。

進学校に通うとはそういうことだ。最初からわかっていたことなのに。それでも受験のときだけ頑張っていたわけではなかったから、余計に、自分はこんなにできないやつだったのかと悲しくなった。苦しくなった。


今では高校時代は暗黒時代だったと、笑って話せるようになったし、大学に入学して自分の好きなことを突き詰めていけるのはとても楽しい。


私の不登校は自分の気持ちの問題だった。

だから、家庭環境や人間関係が原因で不登校になっている、ならざるを得ない子どもたちとどう向き合っていけばいいんだろうと考えている。

虐待なんかされたこともないし、偏頭痛には小学生の頃から苦しんでいるけれど大きな病気になったこともない。

こんな私に何ができるんだろうか。



「生きよう」

結局さいごはこれしか言えないんだろう。

生きる価値、意味なんて誰にもない誰も持ってない。

それでも生きようと。

だから、こんな世の中でもとりあえず生きてみるかと 思える瞬間を一緒に考えてみようと。


これが今の私が考えている言葉だ。

これから変わっていくかもしれないけれど。



今回のまとめ

綺麗事を現実にしたい。













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