見出し画像

「教育方法」の視点で自分の人生を振り返ってみる 高校時代

文教地区と言われながらも不良の多い中学校に通っていた私は、中学3年間で、授業も行事も不良に合わせていた学校にうんざりしていました。高校はぜひとも男子と机を並べる必要がない学校に行きたいものだと思っていました。そしてこの中学の学区に引っ越してくる前に卒業した小学校の友達と高校で再会しようねと約束していた女子高に無事入学できました。

この高校は県立高校なのですが、基本的に勉強が好きな女子が集まる学校ということもあって、先生方は生徒を信頼し、自主自律を尊重してくれていました。学校の中で先生の存在感は薄く、授業もひたすら源氏物語を読んでいくなど、先生が好きなように進めるものが多く、大学受験向けの勉強はほとんどない学校でした。

また、休講がある場合は、他の時間の先生と交渉して授業をずらしてもらい早く帰れるようにしたり、時代に合わないと思う校則は議題に上げて全校生徒の意見を吸い上げながら変更したり、など何でも自分たちで考え実行する学校でした。先生による管理は全くないので、遅刻早弁は普通のことで、制服の改造もあれば、好きな先生を追いかけて他のクラスの教室でも授業受けている子も。雨の日は必ず休む子もいたり、体育祭は自分の順番が来るまで教室にいていいのでマンガ持ち寄り大会になっていたり。物理の慣性の法則を体感すべく「東北本線にローラースケートで乗ってみました」という子もいました。とにかく「自分で考えて行動して失敗したらまた自分で考える」という学校でした。

このように先生が一つも管理しないので、自然と自律する必要が出てきて、結果、他人も尊重することになり、いじめのようなことはある訳もなく、噂話をする人もいなければ、他人と自分を比較して悩むというようなこともありませんでした。「私は私、あなたはあなた」という態度です。先生がおっしゃっていたのですが「この学校は、新入生は下を向いて廊下を歩いているのに、1年生の2学期からは皆顔を上げてまっすぐ前を向いて歩くようになる」というのは良く覚えています。確かにその通りで、私も入学して時間が経つにつれ、「自分で自分の道を歩む態度」になっていったように思います。

このように個人主義的な校風だと行事が盛り上がらないのように思うかもしれませんが、全く逆で、自立した者同士が協働するので、何をやっても熱く盛り上がり、いいものができました。私はアイデア出しをするのが好きなので文化祭や体育祭、創作ダンスの授業などで、アイデアを提案することが多かったのですが、出したアイデアに賛同してもらえたら、その後は私があれこれ伝えなくても知らず知らずのうちに高いクオリティのものができあがっていました。今思い出しても皆の優秀さに感心します。

例えば、文化祭では、他校男子と交流したかった私は「学校クイズ」を思いつきました。教室内にクイズブースを複数設けて、正解したらキャンディがもらえるようにして…、という仕組みなのですが、その学校クイズのために「男子校の生徒会に連絡してインタビューしに行くのはどう?」と提案。賛同を得て、みんなで訪問したい男子校を出し合い、あとは知らぬ間に誰かが各学校の生徒会とアポイントとってくれていて、インタビューに行きたい面々が行きたい学校に行き、楽しくインタビューできました(文化祭にも招待し男子との交流目的も果たしました)。クイズもインタビューをもとにしたものだけでなく、資料をもとにしたものもつくり、備品製作も部屋の飾りつけの大工仕事テキパキ正確に無駄なく進みました。当日もスムーズに進み、小学生から大人まで来てくれて楽しんでもらいました。達成感もあり、楽しい思い出です。

この学校では、一事が万事この調子だったので、社会人になってからは「あれはあの学校だからできたことだったんだね」という話になったり、母親になってママ友付き合いがはじまると「あれはかなり特殊な環境だった。互いに気を使わずクオリティの高いアウトプット出せるなんて奇跡だったんだね…。」と、遠い日の青春を懐かしむことになりました。

自主自律による経験ができたのは、先生が生徒を信頼して、先生中心主義ではなかったからというのもあると思います。ただ完全に生徒自治だったわけではなく、今思えば、当時で約90年の歴史(今年で120年)は重く、伝統による規律の中での自治だったように思います。先生も先輩だったりで、全校集会では「私の頃は云々」の話をしていただく(聞かされる)ことも度々あり、自由なのに窮屈な感じはありました。この窮屈さは次に書こうと思っている「女子の教育」視点でまた考察してみたいと思います。

先生が私たちを信頼してくださっていたのは、ほぼ満点のテストの点をとって入ってくる生徒だったからなのでしょうが、テストの点は関係なく信頼してみたらどうなのだろうか?とは思います。今まで通った学校では色々な生徒がいたので「自分で考えて行動して失敗したらまた自分で考える」のプロセスで、歩みが遅かったり、見当はずれな行動をして失敗して、また失敗するようなことしか考えられない生徒もいるのは想像できます。でも、その時に「会話」できる仲間や先生がいたらどうだろうか?と思ったりもしますし、小学生のうちから先生中心主義ではない学校で「自主」を尊重し「自律」を促し「会話」できる仲間のいる環境だったらどうなのだろうか?とも思います。

それにしても、自分たちで校則を変える経験ができたのは良かったです。ルールは何ためにあるのかを身近な題材でリアルに議論することができたし、現状に則さないルールは変えていくとストレスが減るのも体感できたからです。ただ「伝統だから変えてはいけなのでは?」というものもあり、今の日本を思うと、そこが良いところでもあり弱点でもあったったような気はします。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?