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若様のがっこう【第九話】


#ミステリー小説部門 #創作大賞2024

 剣術の上覧試合が行われることが決まってから、授業の予定がいつもとは少し変更になったよ。
 いつもより剣術の授業が増えたんだ。僕らは中食を食べて再び道場へ戻った。
「うーん……稽古はずいぶんしてると思うんだけど、やっぱりまだまだ総次郎には勝てないよなあ」
 稽古を終えた僕は竹刀を見つめて呟いた。何度か素振りを繰り返して首を捻る。
「当たり前だろ、くそちび。お前みたいなガキに負けるほど落ちぶれちゃいねえ」
 僕は頬を膨らませて総次郎を睨み付けた。
 そりゃあね? 総次郎は僕より四つも年上なんだかさ? しかしそれにしたってもうちょっと柔らかな言い方ってものがないんだろうか。

「もっとも? 世の中にはああいう奴もいるから、稽古をするだけまだましだろうぜ」

 そう言って総次郎が指したのは道場の端っこだ。
 そこには忠郷が一人で座ったまま扇子を広げている。客間へ母上が来たので呼ばれた彼だけど、母親は先に学寮の上役たちと話をするからとすぐに部屋へ戻ってきた。
「忠郷って……本当にずうーっと武道の稽古をしないのかな?」
「お前がくる前からそうだぜ。武芸授業はほとんど見学だ。馬術だって参加しねえじゃねえか。身体が弱いからそういうことはさせるなって、お母上さまに言われてんだとさ」
「へええ……」
 そういう話は何度か忠郷本人からも聞いたことがある。自分は身体が弱いんだって。
 目眩がするとか、胸が苦しくなるわ――とかそういうことを。
 だけどそういう事を言った途端、
「だから一人部屋にしろ!」
 ――と、勝丸に詰め寄るのがいつもの彼のパターンだったけど。
「でも、本当に具合が悪そうにしてるところは見たことないけどなあ。総次郎はある?」
 僕は具合が悪い人が傍にいるとなんとなくわかるのだ。病を患ったり具合が悪かったりすると人の気配にも影響があるからね。
 だけど忠郷からそういう気配はあまり感じたことがなかった。どちらかと言うと身体の具合より感情の揺らぎの方が強いように思える。病は気からと言うし精神的に落ち込んだりすると身体の方にも影響があると父上も言っていたっけ。
 先刻のひどく落ち込んだ暗い気配の忠郷ばかりが思い起こされて僕はとても心配だった。
「どうせ全部仮病だろ」
「まあ……忠郷はもう会津の藩主だもんね。僕らとは違うのかもしれないよ」
 総次郎は舌打ちをして言った。
「まったくいいご身分だぜ。大御所さまのご一族なら何もかもが思うがままだ。他の御殿にいる息子どももぶっ殺してえぐらいにやりたい放題……どいつもこいつもふんぞり返って偉そうに」
 すると、剣術の師範殿が忠郷に声を掛けている光景が飛び込んできた。二言、三言何かを話している。
「大体、この学寮は将来の藩主を育てるための場所なんだろ? それなら、もう藩主であるあいつがここにいる意味って何なんだ? こんなところで暇そうに授業も見学しやがって、一体会津藩主の仕事は誰がしてんだよ?」
 それはそうだ。僕は忠郷の文机の上に山と積まれた文の事を思い出して総次郎に尋ねた。
「ねえ……会津の国は……大丈夫なのかなあ? もしもだよ? もしも忠郷が会津藩主の仕事をなーんにもやってなくて、国がとんでもないことになっちゃったら……」
 すると、しばらく考えこんだように黙っていた総次郎が、
「これは親父に聞いた話だが」
 と、前置きしてから話し出した。

「……蒲生家ってのはあいつのじいさまが急死したもんだからそれ以降家中の統制がてんで上手く行ってねえらしい。あいつの親父の時代もてんで酷かったらしいぜ。あいつは上杉に会津を簒奪されたなんて言ってやがったが、実情は家中がしっちゃっかめっちゃかでどうにもならなくなって宇都宮に左遷されたんだろ。そうして家中がまとまらねえまんま会津にまた引き戻されて、何一つとして改善されねえうちにあいつの親父は死んじまったんだ」

「えええ……そうなの?」
 会津は大きな領国だ。
 北の要であるから、滅多な大名には任せられない――そういう理由で上杉が太閤殿下に会津の領主を任されたと聞いたもの。
 会津がおかしくなったらその余波が米沢や仙台にまで及ぶような……ことにだけはならないでもらいたい。
 僕ら二人はけだるそうに立ち上がる忠郷を、ただただ不安な気持ちで見つめていた。
「それにしたって……俺達の試合相手は柳生師範の弟子がいる寮なんだぜ? あの様子だと勝丸は忠郷を試合に出させるつもりかもしれねえが、竹刀を握ったこともねえんじゃ戦力になりゃしねえ」
「だけど、忠郷が出なかったら僕の寮一人不戦勝になっちゃうよ?」
 僕らがため息をつきながら忠郷を見つめていたら彼に駆け寄る人が現れた。
 僕らのお部屋番の鈴彦!
 現れた鈴彦から何やら小声で話を聞いた忠郷は、取り乱したようになにやら叫んで道場を出て行ってしまった。
「な、なんだろう? どうしたんだろうね」
 僕と総次郎は顔を見合わせた。

「ねえ、鈴彦! 何かあったの?」
 僕らが近寄ると、鈴彦は青い顔をしたまま言った。
「それが……た、忠郷さまのお母上さまが勝丸殿とひどくもめているんです」
「はあ?」 
「なんでも……忠郷さまを、江戸のお屋敷へ連れて帰るとかで……むりやり御殿の中にまで押し入ってしまわれたんですよ」
 僕と総次郎はもう一度顔を見合わせたよ。これはとんでもないことが起きているかもしれない!

 忠郷は武術も苦手だし、運動も今ひとつだ。
 だから足も遅いし、身体も固い。
 廊下をあわてて駆けていく忠郷に僕らは難なく追いつくことが出来たよ。
 まあ、ちょっと廊下を全力疾走しちゃったけどさ。
 忠郷は呆然と部屋の入口前に立っていた。
 僕は忠郷に声を掛けようとしてしかし、部屋の中から聞こえてきた声に驚いた。喉まで出掛かったそれを思い切り呑み込むくらいにはね。

「お黙り! お前ごとき学寮の下僕にあれやこれやと指図されるようなことではない。これは蒲生の家の問題じゃ。外の人間が口を挟むことではないわ!」
「ですが、生徒を突然連れて帰るなんてことは、いっくらあなたが大御所さまのご息女であろうとも到底認められることではございませんぜ、忠郷のご母堂さま。一度ここへ出仕した生徒が学寮を休んで実家に帰るには届けを出してもらう決まりになってる。そうしてそれが受理されねえことには家へ帰すことは出来ねえんだ。もう何度もそうご説明申し上げたはずだがね」
 僕と総次郎は部屋の入口からこっそり中の様子を伺った。
 鶴寮の部屋の中——今日もけっこう散らかった鶴寮の部屋に、僕が見たこともないほど綺麗な打掛を羽織った女の人の後ろ姿が見える。彼女に勝丸が必死に話をしているんだ。
「休学を申請するにはそれなりの理由が必要だし、それが寮監督はもちろんのこと、学寮長や上役達、果ては将軍様にだってお認めいただかなけりゃあならねえんだと聞いてますぜ。突然学寮へやって来て生徒を連れて帰るだなんて……それじゃあ、生徒を攫うも同じこった」
「何を言う! 実の母親が実の息子を実の家に連れて帰ろうと言うのに、それを……攫うとは一体どういうことじゃ!」

「あ、あれは……お前の母親か?」
 総次郎が忠郷に小声で尋ねたよ。忠郷の横顔は引き攣っていた。引き攣った表情で部屋の中を見つめていたよ。顔は真っ白く、表情は固まって動かない。
「だから……その申請とやらがちっとも受理されぬのだと申しておるだろうに! 兄上様にも駿府の父上様にももう何度もお願い申し上げておる! だのにちっとも忠郷がわらわの元へ戻らぬ理由は一体どういうわけじゃ。忠郷は会津の藩主。わらわの元へ帰り、藩主の仕事をするのが道理であろう! 学寮へは弟の忠知をやる!」
「だから、ここは藩主となるに必要なことを学ぶところなんだからあんたのご長男にいてほしいというのが学寮長様や将軍様のご意向なんですよ。俺も弟君ではなくご長男の忠郷殿こそをこの学校に居させるべきだと思いますがね」
 すると、忠郷がふらふらと部屋の中へ入っていった。
「た、忠郷……」
 僕は引き留めようと手を伸ばしたけど、すぐに彼が母親に声を掛けたのがわかってその手を引っ込めた。僕らの存在までバレたら更に話がややこしいことになるに違いないもの。

「……こんなところまで何しに来られたのですか、母上」

 部屋にいた二人が同時に振り返った。勝丸は困ったような顔をしていたよ。女の人は軽く息を吐いて忠郷に近寄った。
「おお忠郷! 屋敷へ帰ります。いつまでもこのような場所におってはお前のためにならぬ」
 忠郷が「母上」と呼んだその女の人は、忠郷の手を取ると勝丸に背を向けて歩き出そうとしたよ。
 だけど、忠郷は動かなかった。

「忠郷?」

 忠郷は俯いて固まっていたよ。動く気配が全くない。足の向きが変わる気配も、長い髪の毛がゆれる気配もなかった。
「この部屋の荷物ならすぐに家の者に取りにこさせよう。お前が大事にしている着物も、鏡台もみなすぐに運び出して屋敷に……」

「一体何をしに来たのかと聞いておるのですよ、母上!」

 忠郷は勢い良く母親の手を振り払って叫んだ。一瞬、忠郷の母上は目を丸くして驚いていたけれど、すぐに彼に言った。
「お前のことは、この母がいちばんよくわかっておる。伊達や上杉の家の人間なんぞとかような狭い部屋で息の詰まる暮らしをしておるだろうに……可哀想にのう。不憫なことじゃ。わらわと引き離されたことをいいことに、会津の裏切り者の家来どもが学寮のお前のところに山程手紙を送り付けておると聞く。よからぬこと、ありもせぬろくでもない領国の噂をお前の元へ届けておるのだろう? この母はみな知っておる。わかっておるとも……」
 僕と総次郎は声は出さずに視線を合わせたよ。
 忠郷宛に山のように届く手紙……彼が読む気配も見せなかった、机の上の手紙の山を、僕らは遠巻きにじっと見つめた。
「……裏切り者かどうかはまだわかりません。母上が家臣たちの言葉にちっともお耳を貸さぬので皆私に宛てて直接文を送ってくるのです。わかりますよ……そんなことは……中身を見ずとも」
「おお……忠郷。なんということ……母の言うことを聞いておくれ。さあ、こちらを見て」
 忠郷の母上は彼を一度抱き締めてから膝を付き、頬を優しく撫でて言った。
「皆、お前がまだ若く幼い子どもであるのをいいことにわらわから引き離して自分のものにしようと企んでおるのじゃ。皆、お前のことなど誰もちゃんと考えてはおらぬ。お前のこと、蒲生の家のこと……誰よりも一番ようく考えておるのはこの母じゃ」
 僕の母上は僕を産んで百日で死んでしまった。僕を産んでからずっと具合が悪かったと聞いている。
 僕が《母親》と思っているその人は本物の母親ではなくて、死んでしまった母上の代わりに母親代わりをしてくれている人なんだ。だからきっと今目の前にいる忠郷の母親と僕が思う《母親》は色々な部分で違いがあるだろうと思う。
 僕は本当の母親がいるみんなが羨ましいと思っていた。
 けれどもどうだろう? 
 僕は今、眼の前の忠郷の母上を見てそうは思えずにいる。何だかとても不思議な気持ち悪さ、違和感が心に湧き上がる。 
「だからこそ。お前はわらわの言うことを聞いておればよい。会津にいる家臣ども、ここにおる人間の言うことなど徒にお前を惑わすだけじゃ」
 忠郷の母上が彼の頭を優しく撫でていた。何度も、何度も。僕は本物の母上がいないのでとても羨ましいはずなのに。
 忠郷の表情を見たらますます寒気は強まった。忠郷はおよそ喜びとは遠い、感情のない表情でぼんやりと彼女を見つめている。
「父上様のようになってはいけませぬぞ。そうとも……わらわがそうはさせぬ。蒲生の家はわらわが必ず立派な会津の太守にしてみせる。なればこそ、お前はわらわの言うことだけ聞いておればよい」
 すると、再び忠郷は母親の両腕を振りほどいた。ふるえる両手が彼の母親の身体を突き放す。
 そうして忠郷は自分の文机に駆け寄ると、山のように積まれた自分宛ての手紙を彼女に向かって投げ付けた。

「――聞いた結果がこれでもか!」

 山の下の方から一つ取り出して投げ付けたそれは、手紙の封が開いていた。蛇腹折りの手紙が宙を舞って、ふわりと彼の足元に落ちる。

「……うんざりだ。もううんざり! 会津の領国の様子を考えただけで胸が痛くなる! 吐き気がする!」

 空気を震わせるような忠郷の悲鳴はなおも続いた。
「家来たちは誰一人として、何ひとつとして会津の領国がうまく行ってるとは言ってこない! 言ってくるのは、お母様への不平不満と家来同士の争いのことばかり。どうして自分は何もしてくれないんだと……そう文で私を直接罵る奴もいる! 家来たちがこんな有様で……国が上手く行ってるはずなんかないじゃない!」
 髪を振り乱し、喉をかきむしる彼の姿はまるで毒を宿した身体の激痛に身悶えする病人のように見えた。二言三言獣のように絶叫し倒れ込んだ忠郷の瞳からは涙が溢れている。 
 僕は思わず部屋の中へ飛び込んだよ。
「なんにも上手く行ってない……ちっともよくなんかなってない……お母様のいうことを聞いたって蒲生の家は、会津は……わたしは……ちっとも、さっぱり……なにもかもぜんっぜん……何一つ……上手くなんか行かないじゃない!」
 忠郷は懐から取り出した文の一つを、思い切り握り潰した。
「今日ここへやって来た理由だって予想がつくんだよ! 剣術の試合だろ!? 上覧試合のことを聞いてそれでやって来たんだ。自分を家へ連れ戻すために。そりゃあそうだろうよ。ふだんの授業も見学しているような自分みたいな奴が剣術の試合になんか出たって負けるに決まってる。蒲生の家の恥になるだけだ。将軍様の御前で派手に負けて恥をかくくらいなら……いっそ学寮になんか居ないほうがいいに決まってる! だから私を迎えに来たんだ!」
「忠郷……おまえ……」
 勝丸が忠郷を見つめて呟いた。
 忠郷の叫びは普段の彼の喋り方とはぜんぜん違っていたよ。僕らにはどちらが本当の彼かはわからなかった。
 今、こうして彼が自分の母親の前にいる時の忠郷と、いつも僕らと一緒にいる時の高飛車でワガママな女々しい彼と。
「だけど……自分は帰らない! 会津にも、江戸の屋敷にも帰りません。ここでみんなの文を読んで、何かあれば直接自分に言うように……これからはそうみんなに返事を書きます。会津藩主として」
 涙を湛えた両方の瞳で母親を睨み付けたまま忠郷は叫んだ。

「――もうお前の言いなりにはならない! 言いなりになったっていいことなんか何一つだってなかったもの! 何もかも全部間違いだった……あたしなんかが藩主なんて土台無理な話だったのに!!」

「お前……どうしてそんな風に……どうしてそんなことを言うの……忠郷……」
 うろたえた様子でそう呟く母親を見もせずに、忠郷は勢い良く駆け出した。それ以上には何も言わず、寮の部屋を飛び出してしまったよ。

「忠郷!」

 僕はもう一度彼を追い駆けようとしたけれど、総次郎に止められてしまった。
 忠郷の母上が後を追うように廊下へ出てきたけれど、彼女も僕らと同じように次第に小さくなっていく彼の後ろ姿を見つめていただけだった。

 ***

 忠郷の母親はそれからすぐに学寮の偉い人達が迎えに来た。 
 そうして一緒に表の方へと静かに歩いて行ったよ。みんなで何か話でもするんだろう。
「今回に限ったことじゃねえや。度々学寮へ怒鳴り込んでくるような母親なんだよ。これでわかっただろ? どうしてお前らの寮の監督官を学寮長さまが兼任なされているのかさ」
 勝丸は、慣れているとでも言う風に首を振ったよ。そうして彼もまた学寮の上役たちが消えていった方へ歩いて行った。

 忠郷はそれからしばらく戻って来なかった。
 ようやく戻って来たのは、僕らの部屋に夜の食事が運ばれてきた頃だ。

 部屋にいた僕らを見るや、忠郷は

「あたしも出るわよ!」
 
 と言ってふんぞり返った。

 部屋へ戻ってきた忠郷は、僕らが知ってるいつもの彼に戻っていたよ。
 鈴彦はごはんが入ったおひつを持ったまま固まっている。
「ど、どうしたの帰ってきて早々……」
「これ以上お母さまの言いなりになんてなってたまるもんですか。あたしも上覧試合に出るわ!」
「お前……泣くほど嫌がってたくせに、一体どういう心境の変化だ?」
「嫌がるもなにも、今でも嫌よ剣術の試合なんて! だけど、これまでのことを考えたら……ここでまたお母さまの言うことを聞いたら、どうせまたろくなことにならないに決まってるもの。だから逆の戦法を取ることにしたの」

 忠郷がいつもの定位置に座る。鈴彦が部屋のすみに置いていた忠郷の分のお膳をさっそく彼の前に置いた。
「……剣術の師範殿にも、試合には出るのか出ないのかと色々聞かれていたの。でも、ちゃんとそう話をしてきたのよ。それで、少し稽古をつけてもらっていたわけ」
「そっかあ! そうなんだ! じゃあ忠郷もこれからは剣術の稽古の授業に参加するんだね」
「……だけど、今から稽古したくらいで何とかなるわけねえだろ。試合はもう目前なんだぞ?」
「だから、師範殿に教えてもらってたんじゃない! 萎えること言うわねあんたも!」
「それこそ、それくらいでどうにかなるわけねえーだろ! お前……わかってんだろうなあ? 俺達の試合相手には学寮最強の生徒がいるんだ!」

 ほうらね……鶴の寮はいつもこうだよ。忠郷と総次郎が顔を突き合わせて口論を始めている。
 さっそく始まったいつものケンカ。だけど僕はなんだかちょっぴり安心したよ。
 だって忠郷がいつも通り、元気な彼に戻ったんだからさ!

 ***

 次の日の朝、僕が今朝も独りで朝餉を食べていると再び鈴彦が申し訳なさそうに急な面会の話を伝えにやってきた。
 今日は総次郎の番だったよ。
「はああ? 面会ってのはもっと前もって知らされるんじゃあなかったのかよ! きのうのこいつの母親に続いて、うちの親父殿まで……」
 総次郎は朝は苦手とあって初めは寝ぼけ眼で聞いていたけれど、次第に表情がこわばりだしたから、ああ、やっと目が覚めてきたんだなと思った。
「はあ……おそらく、剣術の上覧試合の話が江戸屋敷にいらっしゃる保護者の皆様の元へ届きはじめているのではないでしょうか」
「冗談じゃねえぜ、まったく……顔を合わせるなら色々と準備があるんだっての」
 総次郎は寝間着で座り込んだまま面倒臭そうに項垂れた。
「政宗殿も今江戸にいるんだね」
「あんたの父親って派手好きなんでしょう? 恥ずかしい応援はしないでよ?」
「はああ? 試合結果が恥ずかしいことになりそうなお前にだけは言われたくねえよ!!」
 二人がいつものようにまた口論を初めたので、僕はとりあえずそっちは無視して鈴彦に声を掛けた。
「ああ、ご飯のおかわりですか?」
「ううん。ごはんはもういいよ。ねえ、学寮に将軍さまのご家来って人が来ていない? ほら、学寮の目付役っていう人……」
 知らない? と僕が尋ねると鈴彦は
「前から来ている人ですか? それとも今朝見えられた方ですか?」
 と逆に尋ねてきた。
「今朝?」
「ええ。上条と名乗る御方は少し前からいらしていて学寮の中のこととか色々調べておいでなんですけれど、今朝はまた、今後は駿府の大御所様のご家来だという方がお見えになられていましたよ」
「じょうじょう……」
 なるほど――そいつが長員だと僕は思った。
 長員はうちの家を出奔してはいるけれど、一応上杉姓を名乗ることを許されている。
 しかし《上条》というのは長員の父上が昔うちの家臣であった時に使っていた姓であるから、それを名乗るということはつまり、自分が上杉の一族であるということを学寮では伏せたいということなのかもしれない。
 僕に仕事の手伝いを頼んだりするくせ、上杉の一族とは思われたくないなんて――一体なんなのだ、うちの従兄弟は。
「その人にさあ、この文を届けて欲しいんだよね」
 僕は朝起きて一番に書いた文を懐から取り出すと、鈴彦に差し出した。「そいつは僕のことを知っているはずだからさ、北の御殿の上杉千徳からって言えばこれを受け取るよ」
 鈴彦は二つ返事で文を受け取った。
「すぐに渡して参ります」
 と言うと、僕が食べ終えたお膳を下げて部屋を出て行ったよ。


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