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若様のがっこう【第十話】


#創作大賞2024   #ミステリー小説部門

 自分は所謂《問題児》なのだろうーー総次郎にも一応そういう自覚はある。
 先だって保護者が学寮へ呼び出しを受けたこともそうであるし、通算三人目になるという鶴寮の寮監督の顔をぶん殴ってしまったことも自分の記憶には新しい。

 それ以来鶴寮には寮監督がいないのだから、事態は自分達が思う以上に深刻なのだろうと総次郎には思われた。
 思えば、自分はそもそも学寮への出仕からして問題だった。
 元服を済ませ独りで何もかも問題なく出来る丁度いい年頃ということもあり、総次郎には学寮創設当初から出仕の話が出ていた。
 大御所様からのお達しとあれば断る理由もない。
 自分は伊達家の嫡男であるのだし、そういうものを江戸の城へ集めると言われたなら行くのが筋と言うものだった。

 そこへ何かと難癖を付けて今年の始めまで出仕を伸ばし伸ばしにしていたのは、偏に父ーー伊達政宗が原因である。
 父は嫡男である自分が他の大名家の子息らと十把一絡げに扱われるのが甚だ我慢ならないらしく、出仕の話をずうっと断り続けてきた。
 今年の始めにようやく父が折れて自分が学寮へ出仕したその数ヶ月後に同じ寮へ上杉千徳が来たものだから、総次郎も父も何か裏があるのではないかとずっと勘ぐっていた。

「剣術の上覧試合楽しみだのう! もちろん、勝てる算段はあるだろうな?」

 月見草の客間で待っていた父ーー政宗は殊の外上機嫌だった。お気に入りの南蛮製の扇子で風を送っている。
「某は当然負けるつもりはありませんが、なにせ寮対抗の団体戦だそうですから、一体どうなることやら」
「なに? そうなのか?」
「某が勝っても他の二名が負ければ意味がありません。おまけに対戦相手の寮には柳生の門弟がおります。相当な腕前ですよ。免許皆伝目前だそうですから、細川の師範代ぐらいの腕前でないと勝ち目などあるかどうか……」
「柳生……ははあ、新陰流とかいうあれか。秀忠公の指南役……」
 そうです、と言葉を返すと父は
「それはまた名を挙げる絶好の好機。必ず勝てよ! 寮の勝ち負けなんぞどうだっていいわい!」
 と笑った。およそ想像通りの反応である。
「第一、お前以外の鶴寮の連中なんぞてんで剣術が出来るようには見えぬ。上杉の小倅はまだちんちくりんだし、蒲生の若殿はおなごのように軟弱だ。噂じゃ武芸の稽古は全て母親が見学させておるらしいな」
「そうです。身体が弱いのだとか」
 ふうんーーそう呟いた父が悪どい笑みを浮かべているのを見て、総次郎は嫌な予感がした。

「……そう長くはないやもしれんぞ、蒲生の家」
「なんですと?」

「先代から続く家中の騒動は未だ静まる気配がない。あの大御所様の娘子の母親がかえって火に油を注いで更なる大炎上が始まる有様だ。領内で大地震まで起きたというに騒動のおかげで未だその片付けにまで手が回らぬというのだから家臣皆々凄まじい怨嗟の声を上げておるのよ。まったく……統治できぬというなら会津は幾らでもうちが貰い受けてやるのに」

 瞬間、総次郎の脳裏には昨日の忠郷と彼の母親とのやり取りが思い起こされた。
 忠郷の文机に山と積まれた実家からの文。
 あれらが全てそういうものであったとするなら、そうしてそれを全て受け止めることが己の責務であるなら藩主というものがどれほど気鬱な務めであるか――総次郎は想像して胸が悪くなった。

 蒲生忠郷は蒲生家の嫡男で長男だ。
 下には弟もいるという話だが、父親は既に故人であり頼る人間は母親のみ。頼りにしているという家臣の名など彼からは一度も耳にしたことがない。

 総次郎には父がいる。母もまだ健在で下には弟が山程いる。頼りにしている家臣もそれなりには大勢いる。
 家中は統率も取れているし、父は天下には手が届かないまでも、軍神などとまでは呼ばれないにしても、六十万石の領国を賜るくらいには大した武将と思う。
 自分がいなくても弟の誰かが父の後を継ぐであろうし、自分も彼等も父の言うことを聞いてそつなくこなしておればお家に大事はないだろう。

 けれども――

「それよりもお前、池田家の娘とは上手くやっておるのだろうな? 文は送ったか?」

 父は地獄耳だから油断ならないーー総次郎は心中で舌打ちを繰り返していた。
「……ええ、まあ。とりあえず。学寮には兄上もいますからよろしく伝えて貰っています」
「まったく……学寮というのは外からは何をしておるのか皆目わからん。いつまで斯様なところへお前を預けねばならぬのか……それはそうと、総次郎。なんぞ面白いことでもわかったか?」

 ほら、きた――総次郎は父の隻眼の奥に光るものを感じて諦める。

「父上が満足されるような面白い話ではありませぬが……同寮の上杉の御曹司は怪しげなものを飼い慣らしていますよ」
「怪しげなもの?」
「ええ。傍に始終不思議なけだものがくっついている。だからなのか、なんなのか……幽霊だの怨霊だのという類のものが見えるそうです。自分の傍にもそういうものがいると言われました」
「けだもの? 化物の類か? ばかばかしい! 何が幽霊だ……上杉の小倅にナメられておるのだ、お前は。でなきゃ頭がいかれておるのよ」
「……小さな女の子の幽霊だと言っていました。綺麗な着物を着ているから、お姫さまに違いないと」
 総次郎は庭に目をやった。池の周囲の植え込みに白い蝶が舞っている。ひらりひらりと宙を舞うそれを目で追いながら、

「……彼女かもしれない。現世への未練か自分への恨みか……もしかすると、まだ成仏できずにいるのやもしれませぬ」
 と呟いた。

 刹那、政宗は勢いよく総次郎の左頬を叩いた。
「まだそのようなことを言っておるのか、お前は! 馬鹿なことを申すな!!」
 客人に振る舞われる茶碗が倒れ、白湯が畳にこぼれている。総次郎はずっと俯いたままでいた。頬の痛みはそのままに、視線は決して合わせない。「お前の嫁は池田輝政の娘だ。大御所様の孫だ! 文を書き、花でも送ってやれ。せいぜい仲良くなることだ。子供は多ければ多いほどよい。上杉の家など、あの小倅一人死ねば即改易よ」

 政宗はにやりと笑い、
「……蒲生も上杉もこの世は何が起こるかわからぬ。子供など容易に死ぬものだからな」
 と続けた。
「……他所の家の心配より、我が身の心配をなさるべきではございませぬか。やはりあれは中止すべきです」
「……あれとは?」
「禁教令が強化され、学寮の生徒らの中でも切支丹を非難する声がある。信仰を理由にひどい仕打ちを受けていた南の御殿の生徒もおります。そうした世情を鑑みれば、今、南蛮の国などに船を出しても徳川へいらぬ疑惑を受けるだけ」

 父・政宗が領国の仙台でイスパニア人の船を真似てガレオン船を作っているという話は当然総次郎も聞いている。そうしてその船で以て、遠き西方の異国――イスパニアを目指すのだということも。

「昨日江戸にも知らせが来たぞ! 全て滞り無く進んでおる。美しく壮麗な船よ……この日ノ本で未だかつて誰も見たことのないような船が出来る。これまで日ノ本へやって来たどの南蛮船よりも大きく、そして素晴らしい船よ。イスパニア人も度肝を抜くであろうな!」

 政宗は扇を翳して笑った。白い蜘蛛の巣のような美しい織物のそれはまあ……自分も嫌いな趣味ではないし、イスパニアにはもちろん興味もある。    
 しかし――
「されど……イスパニアはキリシタンの国ではございませぬか。禁教令がこれ以上強められれば、幕府も我らが誼を通じることを良しとするはずがない。せっかく六十万の領国を賜ったのに、幕府の不興を買っては……」
「心配はいらぬ。別に儂が切支丹になろうという話ではないし、船の件は既に大御所様にも話をしておる。近い内に許可を得られよう。さすれば早速出港だ!! 見たこともない南蛮の品々を持って帰ってくるに違いないぞ。お前も楽しみであろうが」
「しかし、禁教令はますます強められるばかり。姉上が切支丹であることが表沙汰になれば某の縁組とてどうなるかわかりませぬ。ただでさえ義兄上はお身内の評判がよろしくない。父上の評判にも関わります」
「そういうものはな、総次郎。バレなければ良いのだ。あれもそうそう愚かではない。お前よりもずっと賢いわい。それと、婿殿の悪口は許さぬ」

 これ以上は無駄だろうーー総次郎は唇を固く引き結んだ。
 
 他人より恵まれた環境にあっても、例え頼る味方が大勢いるとて、領国や実家に不安要素は少なくたってままならぬものはある。
 それを「贅沢」と総次郎は思わない。
 我が身にとっては我が身の問題こそが最も深刻だ。

 総次郎はもう特に父に話をすることもなくなって、ただぼんやりと白湯を被ってしなびた最中を見つめていた。

「……女というのは面倒な生き物だ。執念深く嫉妬深く、そうして妙に勘が鋭い……お前も十分注意を払うことだな」

 不意に視界の中に入ったそれには見覚えがあって、総次郎は顔を上げた。今日初めて父と視線が交わる。
 父が自分に差し出しているそれは、自分がここから書いて出した文である。それも、ふたつ。
 どちらも自分の兄に宛てて書いた文であり、こっそり本人へ届けて貰うために江戸屋敷にいる自分の小姓をわざわざ客間へ呼んで手渡した。

「どうしてお前が持っている……とでも言いたげだが、お前の小姓からこれを取り上げたのはお前の母だ。儂からお前に返すようにと預かった。兵五郎へ文を出すのはもうやめろ」
「……一体何故ですか。実の兄へ文を書くことを何故咎められねばならぬのです」

 父から受け取った文を思い切り握りつぶして総次郎は尋ねた。しかし父は冷静である。

「女というのはそういうものだ。お前にとっては実の兄でも、お前の母には赤の他人……お前のためを思ってのことであろう」
 総次郎は強く掌を握った。本当はもっとずっと別の何かを握りつぶしてやりたいのに叶わないその苛立ちが、ますます掌の力を強めている。

 総次郎は次男であり、上には腹違いの兄が一人いる。
 彼は実家の跡継ぎの座を自分に奪われた憐れな身の上だった。
 豊臣家隆盛の頃には幼くして伊達家の人質として暮らし、豊臣性を下賜され、今なお大阪城に暮らす秀頼の側小姓をしていたという。自分が跡継ぎとなったのはそうしたことも理由にあるし、総次郎の母が父の正室であることも関与している。 
 母の心配は無理もない。
 そういう豊臣にも縁の深い兄と徳川の治世下で仙台藩・六十万石の跡を継ぐであろう自分とが親しくするということが母には気に入らないのだろう。  そのようなことは自分にも容易に検討が付く。女のことなんてちっともさっぱりわからない自分にも。

「母上はともかく、父上にとっては兄上も同じ息子ではありませぬか……自分や弟たちとも何ら変わりなどございませぬ」

 それなのに、という言葉はいよいよ出てはこなかった。

 しかし、心のどこかで安堵している自分がいることにも総次郎は気付いていた。
 待っていた文の返事がなかったのは、本人の手元にそれが届いていなかったからだというのがわかったからである。

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