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若様のがっこう【第六話】


#創作大賞2024 #ミステリー小説部門

 
 朝露煌めくよく晴れた皐月のとある日、江戸城の西の丸の庭には茶席がひとつ設けられていた。
 学寮に出仕している大名家子息らの中でも、特に"問題あり”と見なされる生徒らの保護者が集められる茶席——いわゆる《呼び出し》である。

 呼び出されていた客人は、

 蒲生忠郷の実母(会津藩主生母)
 伊達総次郎の実父(仙台藩主)
 上杉千徳喜平次の育て親(米沢藩・執政)

 ――の三名。

 いずれも学寮の北の御殿、鶴の寮に出仕する生徒の保護者である。
 招かれた鶴寮の保護者達は、城内の西の丸にある庭園の脇に設けられた大きな緋色の傘の下にいた。
 それを少し離れた場所から暇そうに眺めているのが鶴寮の主務、保科勝丸である。
 主務というのは生徒の護衛役を務める学寮の役人だ。
 生徒とも顔を合わせる事が出来る"お目見え以上”の役人としては下っ端だが、彼らも学寮においては一括りに「教師」と呼ばれる一人である。
 勝丸が自らの受け持つ生徒の保護者達を遠巻きに眺める限り、少なくとも彼らの息子たちが一同に介して仲良しこよしうまくいくとは思えない。
 
 子供は親を真似て育つという。
 集められた保護者たちの騒ぎは、なるほど――勝丸には既視感しかない。

「若君の寮へ新しい寮監督殿が来るらしいという噂を耳にしておりましたが……如何しましたか、利勝殿。てっきり今日の茶会はその顔見せで、直にご挨拶が叶うものと思っていた」
「申し訳ございませぬ、山城守殿。彼は少々人格に難ありと判断され、急遽お役目を解任され申した」
「そうでしたか。若君の教育の場に御わすお方だ。さぞ聡明で高潔なお方が選ばれたことでしょうから、某も主人も楽しみにしておったのです。直々にご挨拶の文をしたため既にお送りしていたのですが……まあ、人格に難ありでは致し方もない」
「只今別の人物を選定中にて、もうしばしお待ちを……」

 茶会の主が深く頭を下げる。客人たちはそれぞれため息を付いて顔を見合わせた。

「そもそもの話にはなるが、大名家の跡取りを人質に取り上げ、三人もまとめて一つの部屋に押し込めるというのは甚だ疑問。大切に大切にお育て申し上げておる当家唯一の跡取りです。兄弟もおらぬゆえ、他所の家の御曹司らとの生活は当初から某も主も心配で仕方なかった。その上更に鶴寮にはそうした生活の面倒をみるという寮監督までおらぬという!!」 

 学寮長――土井利勝は小さく頭を下げた。もっともな意見ではある。

「ご心配には及びません。次の寮監督が定まるまでの間、鶴寮の寮監督は某が勤めております。護衛役を兼ねた副寮監も配置しておりますゆえ、中納言殿もどうぞお心安らかに。大層腕の立つ男です」

 学寮長がひらりと掌を翻した刹那、血走った目をギロリと向けて声を荒げたのは上杉千徳喜平次の保護者である。
 彼は名を直江兼続といい、かつては陪臣の身でありながら個人で米沢に三十万石という大名並の禄をもらっていたという上杉家の執政である。
 彼は学寮に出仕させている主人の一人息子を案ずるあまり、今日の茶会にも陪臣の身で自分が参加するというのだから末恐ろしい。
 
(さすが、今日の天下人にケンカを売る人間はやることが常人の理解を越えていやがるぜ。養育任されてるとはいえ……どういう神経がありゃ保護者の呼び出しに涼しい顔しててめえが顔を出せるんだ)

「心配には及ばぬなどとはよくも申せたものだ、利勝! 当家にたった一人しかいない大事なお世継ぎの男児が、ここへ来て三度顔の急所をぶん殴られたことをお忘れか! 可哀想な当家の跡取りは顔に青タン拵えて完治に十日もかかったと聞く。それもこれも寮監督がおらぬ管理不行き届きのせい……一体いつまで斯様な日々が続くというのです。これで大人しくなどしていられるはずがないではございませぬか!」 

 ぱあん、と兼続が持っていた扇子で膝を打つ音が辺りに響いた。陪臣の身の上で学寮長と老中とを任される彼を呼び捨てにするのは天下広しと言えど彼しかいない。

「相も変わらずゴチャゴチャとやかましい」

 鋭い隻眼で兼継を睨みつけたのは仙台藩主・伊達政宗だ。 
 出来のいい自慢の嫡男が他家の子息らと十把一絡げに扱われるのが相当気に食わないと見えて一年以上も学寮への出仕を渋っていた鶴寮生徒保護者の一人である。

「一体いつまでそんな昔の話をしておるのだ。それにそのケンカはうちの倅とて怪我をした。そもそもあれはお主の家の小倅がよからぬことを申したことに端を発していたと倅から聞いたぞ。それこそが全ての原因ではないのか」
「よからぬこと?」

 兼続は政宗を睨みつけて尋ねた。

「よからぬことというのは何です? 具体的に何をどう当家の若君が申し上げたというのか、きちんとお教えいただきたい。貴方がそこまで問題だと仰るからには、当然学寮側でも二人の会話というのは然るべき検分をされておるのでしょうな?」

 そう一息に喋り終えて利勝を睨みつける兼続に、政宗は呆れたように深い溜め息を付いた。おまけに彼が呼吸も済ませぬうちに再び言葉を続けたものだから、ますますいらいらと掌で膝を打つ。

「そもそも先に手を上げたのはそちらのご子息と当家は伺っております。総次郎殿は短気ですぐに自分にキレると、若君は今でもそのように某への文に不安を書き連ねており、文は証拠として当方の手元に全て残してある。あわよくば上杉領を掠め奪わんとするような男の息子などと一緒に寝起きをさせられて若君がどれほど心休まらぬ日々を過ごしておるか……その上更に斯様な仕打ちを受けてなお、よもやあの喧嘩騒ぎが当家の若君にこそ非の原因があると仰るなら、若君の養育を任されておる身として到底見過ごせるものではございませぬ」

(長い……話がくそ長えんだ、こいつは)
 勝丸は思わず胸が悪くなって唾を喉の奥へ送った。朝も早くからこんなろくでもない茶会の護衛役を任されるくらいなら、江戸で働き口など探すんじゃなかった。

「……ええい、ごちゃごちゃと喧しい! 偽善者面して、お前達とて似たようなことをしておったではないか! 最上領を掠め奪わんと兵を出したのはどこのどいつだ! ええ!?」

 政宗の非難にも上杉家の執政は涼しい顔だ。じっと彼を睨みつけるその様はとても陪臣のものとは思えないが、彼はとにかく上背があるのでただそこに在るというだけで人を見下すように見えてしまうのかもしれない。

「うちの倅は斯様な場所で学ぶことなど何もないわい! これ以上同寮の親がこんな調子で年柄年中グダグダと喧しいことを抜かすようであれば、即刻連れて帰る!」
「そうですな。当家としてもそれが最も望ましい」
「親に似て頭もよく武芸にも優れた素晴らしい息子だ。貧乏大名の小倅なんぞと顔を突き合わせていたらますます鬱々として暗くなるわい」
「お言葉ですが、およそそうした子供の問題というものは親に原因の一端があるのです」
「なんだと!?」

 眉をひそめた政宗を一瞥し、兼続は涼しい顔で扇を開いた。

「ど、どうかお二人ともお心を鎮めてくだされ。お二人のご子息は学寮で万全の態勢の下にお預かりしておりますゆえ……」
 学寮長が慌てて二人に言った。
 しかし兼続は黙らない。それに政宗まで続いてしまうのだから、いよいよ茶会の空気は意図せぬ熱を帯びる。 
「万全!? 大事な一人息子がこのような親を持つ生徒と同じ寮では主人の気の休まる暇がないではありませぬか! 管理をする人間もおらぬというのに!」
「そもそも儂はこのような場所へ総次郎をやるのは反対だった! 幾度も断ってきたはずだ。おまけにこんっな腹立たしい陪臣が育てる上杉の家の人間が傍におるなど……こちらから御免こうむるわい!」

 茶席で客人を持て成す側の利勝のすぐ隣では豊前の領地を治める細川家の当主、細川三斎が茶を点てていた。当代随一の茶の湯の手前を持つ大名であり、息子の一人が学寮で働いている。
 あまりの光景を見かねて三斎が政宗の前に抹茶の碗を置いた。
 彼もようやくおとなしく頭を下げてそれを受け取る。いちおう茶席にいるのだという自覚はあったらしい。

「方々には大変申し上げ憎いことですが……寮の編成が覆ることはございませぬ。どうかご納得いただきたく思い、今日この場に茶席を設けた次第です」
「……そうだろうな。寮は大御所様や上様がお決めになったと聞いておる……当家としても天下のご意思に楯突くつもりなど毛頭ないのだ」
 飲み終えて開口一番そう言った政宗に、学寮長は何も言葉を返さなかった。ただじっと見つめて少し微笑んでいる。
「それについては当家とて同意。もとより上杉、天下のお沙汰に背いたことなどございませぬ」
 兼続も深く頭を下げた。さすがに陪臣である。いつもいつでも尊大というわけでもないらしい。 
 
 しかし、これだけでは終わらなかった。
 もう一人の保護者である。

「……駿府の父には抗議をしておる」

 それは強い口調である。
 政宗も兼続も声の方へじっと視線を向けた。

「こちらの二人のご子息らは当然として、一体どうしてうちの忠郷までこのようなところへおる必要があるのじゃ。わたくしという人間がありながら、兄上さまは蒲生の家にも人質を召し出せと仰せか?」
「いえいえ、振姫様。そうではありませぬ。忠郷殿を学寮に留まらせるのはそのような理由からではありませぬ」

 そう言うと学寮長は保護者達の背後、ずっと遠くの空を眺めていた。初夏の空を雲がいくつも流れていく。

「もとより、学寮に集め置かれるご子息らは人質ではございませぬ。学寮はこれからの治世を担うであろう将来の藩主を育てるための場所。学寮には大御所様のご子息らもおります」
「笑止! 育てるもなにも忠郷はすでに藩主じゃ。立派に勤めを果たしておる。弟らと引き比べることに意味などない」

 学寮長はほんの少しだけ顔を綻ばせて言った。

「なればこそ、忠郷殿に学寮へお留まりいただきたいと思うのです。藩主とは申せ彼はまだお若い。歳も近しい御曹司らとの交わりは必ずや彼と会津の将来に役立つこととなりましょう。まだまだ学ぶことも多くございます」

「……ほう? 学ぶこと……だと?」 
 震えるような彼女の声に、政宗と兼続は顔を見合わせた。
「……控えよ、利勝。これ以上忠郷を愚弄すると許さぬぞ。うちの子は既に立派に藩主の務めを果たしておる! 学ぶことがあるというのはつまり……忠郷になんぞ至らぬところがあると申すのか。会津の今の有り様は、うちの子のせいとでも言いたいか!!」

 振姫が甲高い声で続けて叫んだ。

「父上さまの手前、兄上さまの手前……わたくしも断腸の思いで我が子と引き離される悲しみを受け入れ、学寮へ忠郷をやっておるのじゃ。こやつらがくだらぬ駄々をこねて我が子を人質に出し渋る一年も早くから!」

 髪を振り乱して三人目の保護者は立ち上がった。鬼のような形相で学寮長を指している。
 彼女は政宗と兼続を強く睨みつけた。

「それは外様大名の子息らなどと顔を突き合わせるためではないぞ! 斯様な連中の息子らなどとても信用などできぬ。伊達や上杉の子息らと同じ部屋で寝起きをさせるなど言語道断。日々どのような事をされておるかわかったものではない。現に忠郷の寮は毎日毎晩のように喧嘩が絶えぬと聞くではないか!」
「お言葉ではございますが、ひとまとめにされては困ります。当家とて伊達など信用出来ない。某も毎日毎晩常に不安です」
「なにを!? うちとて蒲生や上杉など信用出来ぬわい! 大御所様のお下知でなければこのようなことは断じて承服せぬのだ!」

 学寮長は三名の保護者の顔を交互に見て言った。

「さもありましょう……ですが、ご子息らは乱世も知らぬ新しい時代の若君。争うこともなく、きっと仲良くやれる……もう乱世の時代は終わったのです」

 こんなくだらない茶席が一体いつまで続くのだ――三斎は遠巻きにこちらを眺めている人影が視界に入って首を振った。こんな茶会の警護役というのも存外大変な勤めである。

「領国が隣り合う者達が争い、憎み合い、戦を繰り広げることはもうなくなります。なればこそ、共に武芸や学問に励むこうした日々の暮らしが後の世の彼らの治世に良い影響を与えると……我らはそう信じております。領国を接する彼らの絆を深めることが後の世に悪い影響を及ぼす事は断じてありますまい。これから後の世はそうした時代となる。生徒らが争わぬようにすることこそが、我らの勤め……その為に皆様のご子息をここでお預かりしておるのです」

 保護者達の表情は変わらなかった。
 互いを牽制するような眼差しは乱世以来の疑心以外の何物でもない。
 ここでは未だ領国が隣り合う者達は争い、憎み、戦いを繰り広げている。傍目からは酷くくだらない、どうでもいい戦いではあるが。

「それより……利勝。そなたからも兄上へお伝えするのじゃ。忠郷は身体も弱いのに上杉や伊達の血を引くような暴れん坊と一緒の寮に押し込められて、主人のように若死してしまったらそなたのせいぞ! 忠郷は弟の忠知と替えさせます。駿府の父にも幾度も文を出しておる」
「暴れん坊とは心外です。当家の若君は心優しく気性も穏やか。弱いものをいたぶるような趣味はございません。一緒にされては困ります」
「一緒!? うちの倅にもそんな趣味はないぞ!! 貴様らの小倅どもがやいのやいのと倅を焚きつけるのだろうが!」
「なんと……そなた、うちの忠郷に非があると申すのか!」

 母の怒りに満ちた咆哮を耳に入れながらちらりと横目で利勝の表情を窺い見た三斎は、しかしすぐに視線を遠くに反らした。彼が白い顔で天を仰いでいたからである。
 三斎が息子から聞いた話では、学寮の総責任者である土井利勝自らが鶴寮の監督官を引き受けるに至った経緯は、およそ彼ら――面倒な保護者達《モンスターペアレンツ》に原因がある。
 彼らを納得させる為には学寮長自らがその任を全うする他ないという決断に至ったらしい。
 腕の立つ護衛役の主務を見つけてきて、無理矢理「副監督官」などという取って付けたような役目を兼務させて。
 江戸暮らしが長い自分の息子が剣術や茶の湯の指南役補佐にと駆り出されるくらいである。
 果ては自分が時折《臨時講師》に駆り出される事もある。
 指南役の多くは将軍の傍にいる人間が暇を見て授業を受け持っているようであるから、大御所様の肝煎りで作られたとはいえ学寮という場所は相当な人手不足には違いない。

 三斎は人知れずため息をついた。
 茶の湯の腕前を買われて将軍直々に仰せつかった役目ともなれば断ることは出来なかった。

 ――早く切り上げよう。出来るだけ早く。

 三斎はそう思った。
 しかし、ぎゃんぎゃん騒ぎ立てる三名の保護者達の喧嘩はとてもそうすぐには終わりそうもない。


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