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若様のがっこう【第三話】


#創作大賞2024 #ミステリー小説部門

 学寮での僕ら生徒達の一日の行動は特別な行事がない限りはだいたいいつも同じだよ。
 午後の授業や稽古が終わると食事や湯浴みの時間があり、その後は就寝まで自由時間だ。だから鶴寮の僕らは授業以外では一人で好きに過ごしていることが多い。
 忠郷は親戚や顔見知りが学寮に沢山出仕していることもあってこうした時間は部屋にいない事が多いけれど、今日は自分の文机の前でうんうん唸っていた。朝届けられた文を読んでいるらしい。
 総次郎はだいたい部屋で一人煙草を吹かしている。あとは文机に向かって何かを書いていたりね。煙草については見つかったら絶対怒られるとは思うんだけど本人が気にする気配はまったくない。
 僕もこうした自由時間は読書か書き物をして過ごすことが多かった。特に夜は今日一日起こったことなんかを書いて纏めることにしているから、今日もしばらく一人文机に向かっていたよ。読んだ本の感想とか今日見聞きしたことなんかを記録に残しておけば後で見返した時にもう一度楽しめるしね。

 今日はまだ外廊下の雨戸が開いている。北の御殿の寮は庭に面した外廊下で全ての部屋が繋がっている。庭からは初夏の風が吹いて気持ちがいい。
 周囲には僕ら以外人目も気配もない。忠郷も総次郎も僕のことなどお構いなしの様子だからちょうどよかった。
 
 僕は外廊下に腰を下ろして声を掛けた。
「……ねえ、火車? 火車ってば。今日面白いことがあったんだよ」

 僕が外廊下を叩くと刹那、頭の上でふわふわとした毛並みが揺れて声がしたよ。
 それは人のものではない声だった。

「面白いことって? 人でも死んだの?」

 僕の頭の上には金色の目を爛々と輝かせたけだものが鎮座していた。長い毛は虎のような縞縞模様で、耳はピンと尖り、ふさふさとした太い尾が二本も生えている。
 こいつは僕の相棒のけだものだよ。僕が赤ん坊の頃から傍にいて、呼ぶと現れて一緒にお喋りしたりする。
 父がこれを《火車》と呼んでいたから僕もそう呼ぶことにした。

 火車は不思議な化け物だった。
 人間とお喋り出来る上に突然現れたり消えたり、宙に浮いたり駆けたりすることが出来る。見た目は太った狸や猫のようだけど実は地獄の鬼らしい。

「死んでないよ。今日さ、長員が客間に来たんだ」
「ああ、お前が面会してたあいつ?」
「なんだ、知ってたの」
「そりゃあね。おいら死んだ室町からお前のこと頼まれてんだからさ、いちおういつだってお前の様子くらいはちゃんと伺ってるんだよ。誰なんだい、あいつ」
「えー、前にも会ったでしょ? 長員は僕の従兄弟だよ。学寮の中で流行ってる噂を調べて欲しいんだって」
「噂?」
「そ。幽霊が出るとかそういうやつ」

 くだらない――化け物は長い尾を揺らして僕の膝に下りた。

 火車は見た目だけは本当に狸みたいな猫なんだよ。誰に姿が見えたって鬼とは思われないと思うのに、火車は人嫌いと見えて普通の人間の目には見えない目眩ましの術を掛けているらしい。

「人間って噂好きだよなあ。成仏しそびれた魂の残滓なんてあっちこっちにあるじゃん。ここのお城は幽霊だらけ。ま、元来お城ってのはそういう場所だけどね。人も多いから必然的に寄ってくるし。お前だってわかるだろ? 見えるんだからさ」
「そりゃそうなんだけど、なんか長員が言うには生徒達の間でちょっとした騒ぎになってるらしいよ。それって何だかおかしいと思わない? どうして騒ぎになんてなってるんだろ」

 僕はそういうものが見える人間だから逆に不思議で仕方ない。
 江戸のお城に幽霊なんて――こう言っちゃなんだが火車が言うように割と沢山いるのだ。鶴の寮にだって時々女の子の霊が現れるのを僕は確認しているし、中奥の布団部屋や宝物庫からも良くないものの気配がする。

 幽霊なんてその辺にいっぱいいる。
 いちいち騒ぎになんてなるほどのことだろうか?

「そりゃまあ、今まで産まれてこの方一度も幽霊やら悪霊を見たことがないって人間が初めて頭の勝ち割れた幽霊見たらそりゃ騒ぎにでもなるだろ。つまりそういうことじゃない? 一時的にそういうもの見ちゃう人間もいるからさ」「そういうことなのかなあ。南の御殿の生徒の一人が実家にも頻繁に幽霊を見たって話を文に書いて送ってて、それで長員の元にまで噂の話が伝わったらしいんだけど……ね、なんだか気にならない? どう思う? 火車はこういうの専門家だから話を聞こうと思って」
「くうだらない。そんなの人間達にでも話聞かなけりゃわかんないよ」
「人間って? 生きてる人間?」
「そりゃそうさ。騒いでる人間がいるんだろ? とりあえずそいつらに話聞いてみなけりゃ何もわからないじゃないか」

 それはそうだ――失念していたよ。まずは情報を集めることからした方が良さそうだ。戦の勝ち負けも結局は情報が鍵を握るのだと父達もよく言っている。

「長員が言うにはさ、大きな事件が起きないようにするためにはこういう小さな噂とかも放置していたら駄目なんだって。だから、そういうのを明らかにしてほしいんだって僕に」
 すると僕の膝の上でゴロゴロしていた火車がこちらを見上げて尋ねてきた。
「お前に?」
「そう。ぼくに。学寮の中で起きてることを知るにはちょうどいいみたい」    
 火車は二本の尾を揺らして言った。
「ふうん……お前たち一族ってどうにもそういうのに弱いよなあ」
「そういうの、って?」
「景虎の奴も景勝の奴もさ、人に頼みごとされると断れない性分ってこと」
「僕はそんなことないよ。上杉に利益にならない頼み事なんてお断り。だけど長員はまあ……あれでも数少ない身内だからね。大事にしないとさ」

 僕は寮の外廊下から空を見上げた。北の御殿には僕らの寮「鶴」の他にも「笹」と「割菱」の寮があって、全ての部屋が外廊下で繋がっている。

 すっかり日が長くなった初夏の空はようやく夕暮れ時になろうかという刻限だよ。夕餉の時間まではまだ少しある。

「南の御殿の生徒たちも御殿の部屋にいるかなあ……」

 僕の呟きに火車は何も言わなかった。理由はわかっていたよ。背後に気配を感じる。
「南の御殿に何の用事よ? あんた、知り合いでもいるわけ?」 
 文はもう読み終えたのか、僕が振り返った先には忠郷が気だるそうに立っていた。
「ううん。ちょっと確かめたいことがあるんだよ。南の御殿の生徒に話を聞こうと思って」
「止めておいた方がいいわよ、千徳。今、南の御殿ってずいぶん揉めているから」
「揉めてるって……何で? どうかしたの?」
 忠郷は腕を組んでこちらをじっと睨み付けている。その気配は明らかに《警戒》の感情を僕に伝えていた。
「南の御殿に幽霊が出るって噂を聞いたんだよ。だから話を聞いてみたいなあって思ってさ」

「あんた、その噂どこで聞いたの?」
 低く刺々しい声色だ。僕に対する気配の警戒度合いも強まっている。
「んん~~~~~わかんない! 思い出そうと頑張ってるんだけど無理。夢で見たのかなあ……だから余計に気になっちゃって」
 僕はとりあえず長員のことは誤魔化しておくことにした。長員にも内密に動くようにと言われたしね。
「忠郷は噂のこと何か知ってる?」
「当然でしょ? あたしは北の御殿の《ぬし》なのよ。よその御殿とは定期的に評定を開いてちゃあんと情報交換をしているわ。御殿のぬしたちは全員あたしとは親戚筋だから、この御殿で知らない噂なんてないわね。南の御殿には義理の弟がいるの。状況も把握していてよ」

 僕は驚いて火車と顔を見合わせた。

「やったあ、さすが忠郷。頼りになるう!」
「当然よ。あたしはもう藩主ですもの。自分の管轄で何が起きているのかくらい把握していて当然だわ」
 忠郷はおおげさな仕草で長い髪をゆらしながら言った。忠郷はすぐ調子にのる性格だから扱いやすい。こういう偉そうにしている人間は怒らせても面倒だからおだてるに限るのさ。

「うちの御殿の連中は噂なんて興味ないだろうから誰も知らないと思ってたけど……そうね、あんたってそういうのが見える人間だったわね」
「そうだよ。だから気になっちゃってさ。調べようと思ってるんだ」
「あんたが顔を出したあの日の評定でもその噂のことを話していたのよ。死んだ南の御殿の生徒が化けて出てるんですって」
 僕は驚いた。
「え……うちの生徒が化けて出る側なの?」
「そうよ。だからみんな騒いでるんじゃない。二度もお坊さまが来てお経を上げたらしいけど、未だに客間や寮の部屋に出るらしいの。見たって生徒がいるわ」
 僕と火車は再び顔を見合わせる。
 なるほどね。確かに自分と同じ生徒の幽霊というのは僕も見たことがない。騒ぎになるのも頷けた。
「忠郷も見たの?」
「あたしにそんなもの見えるわけないじゃない。でも、うちの義理の弟は見たらしいの。だからあたしも気になるわ。南の御殿の生徒なんてみんなすっかり怯えちゃって大変よ」

 忠郷の表情や気配からは事態の深刻さが充分伝わってくるけれども、僕は内心勝鬨の声を上げたい気持ちでいっぱいだった。
 忠郷って、実はかなり使える人間なんじゃないだろうか!
 僕は学寮には一人も親戚や身内なんていないし、まだ入って二月目だから北の御殿以外には誰も知り合いなんていない。
 そこへ行くと忠郷には人脈があるから、いろんな人に話を聞けるかもしれないよ! 上手くすれば情報収集が捗りそうだ。

 すると、今度は別の声がした。

「……くだらねえ。実家で自害した南御殿の生徒が怨霊になって学寮を彷徨ってる……って噂だろ?」
「怨霊⁉️」
 総次郎は煙管を手に忠郷の隣に立っていた。自由時間に僕らがこうして三人揃っている光景は珍しい。いつもは三人てんでばらばらに過ごしているんだからさ。
「なんだ、あんたも知ってたの? そりゃあそうよね。結構学寮では噂になっているもの」
「そうなの?」
「そうよ。だから箝口令まで敷かれたくらいだわ。ほら、あんたがあたしを迎えに来たこの間の御殿評定でね。うちの御殿の連中にはそんな必要もないと黙っていたけど」 
 僕は全然知らなかった。長員に噂を調べろなんて言われているのに、これはまずい。
「でも自害なんて話は盛りすぎよ。あたしは問題の生徒は病死と聞いたわ。急な病で実家へ宿下がりしたんですって」 
 そう忠郷が言うと、しかし総次郎も言い返す。
「自害したなんて表沙汰には出来ねえから、実家の連中が病で急死したことにしてんだ」
「はあ⁉️ そんなはずないじゃない。実家の人間に命じて調べさせた情報よ? 間違いないわ」
「どうだか。南の御殿の連中が揉めてる理由だってその死因のせいだろ?」「なんですって⁉️」
「ちょっと待ってよ二人とも。落ち着いて」
 僕ら三人が集まるとすぐこうなる。僕は二人の間に入って双方を宥めた。「理由はとにかく、南の御殿にいた生徒が死んじゃったって話は本当なの?」  
 忠郷も総次郎も僕を見つめて頷いた。
「あんたはここへ来てまだ日が浅いから知らないでしょ? 有馬っていう九州の大名家から出仕していた生徒だわ。学寮を急遽休学になって実家の江戸屋敷に帰ったけど、そのまま戻ってこなかったの」

一度学寮に出仕した生徒も、理由があれば実家の領国や江戸屋敷に一時的に帰郷を許されることがあると聞いている。鶴寮の隣――北の御殿にある笹の寮にもそうやって一時帰郷してしまった生徒達がいるらしい。そういう生徒たちは学寮を《休学》扱いになる。
 ちなみに、申請を出せば半日とか一日くらいの宿下がりなら比較的容易に出来る。もちろん申請が下りればの話だけどさ。
「死んだ生徒はあたしの義弟がいる寮の隣の寮の生徒らしいんだけど、死んだのは確か。だってあたし、義弟がその幽霊を見て憔悴しきっていたから実家の人間に命じて色々と調べさせたのよ。間違いないわ」
「そうなんだ。案外優しいんだね、忠郷」
「大体嘘くせえ話だ。幽霊なんかいるわけねえだろ」
 いるわけない、という割にはずいぶん総次郎も乗り気だ。
 基本的に総次郎は自分が興味ない話には一切絡んでこない。つまり、こんなことを言ったりするってことは、実はもんのすごく興味津々ってことなんだよ。
 学寮に入ってひと月が過ぎて、ようやく同じ寮の二人のこともだんだん分かってきた気がする!
 忠郷も総次郎も僕と同じく外廊下に腰を下ろした。こんな風に自由時間に時を一緒に過ごすのはここへ出仕して以来初めてのことだった。

「俺は幽霊なんざ信じねえ。誰になんと言われようとな」
 僕を強く睨み付けて総次郎が言った。
「別に無理に信じてもらおうとは思わないよ。でもさあ、怨霊なんて放っておいたら本当にめちゃくちゃ危険だと思うよ。その死んじゃった生徒の幽霊、怨霊なんでしょ?」
 僕にそう尋ねられると総次郎は押し黙ってしまった。
「ちょっと! なんとか言いなさいよ! あたしは怨霊だなんて初めて聞いたわ」
「……知るか。客間係がそう言ってたんだよ。怨霊が出る客間があるから、坊様に読経を上げてもらったって」
「う~~~~ん……怨霊かあ。僕も今日客間には行ったけど、そこまで危なそうなものは特に感じなかったけど……」
 僕は確認の意を込めて火車の耳を引っ張った。僕の膝の上で丸くなっていた火車が気付いて起き上がる。
「怨霊ね~……ふうん……どうせ人間が適当なこと言ってんだろ」
「千徳? あんたこの間中奥の布団部屋にあたしを迎えに来た時、あそこは危険だって言ったじゃない。あそこにいたのも怨霊なの?」
 忠郷が僕に身を乗り出して尋ねた。何とも難しい質問だと思う。
「見えないみんなには説明するのが難しいけどさ、怨霊ってあんまりその辺にはいないと思うよ。僕も一回しか見たことないもん」
「え? じゃあこの間あそこにいたのは?」
「人に悪い影響を与える霊のことは邪霊って言うよ。父上やみんながそう教えてくれたんだ」
 僕はそうっと火車の頭を撫でた。火車はうんうんと頷いているよ。僕の霊や化け物の知識は大体この二人から教えて貰ったものだ。
「幽霊ってのはさ、死んだ人間の魂の残り滓なんだって。死んだ人間の魂はあの世に行くらしいけど、稀に現世に残ることがあるの。これが幽霊。人の姿をしてないと霊。で、いろんな理由で霊が人に悪い影響を与えるものに変じることがあって……これが邪霊ね。悪いものは全部そう呼んでるよ。怨霊は邪霊の一種でものすごく危険なやつ。ちょっとやそっとじゃどうにかなんて出来ない。菅公とか平将門殿みたいなああいうのが怨霊だもの」
 具体例を出すとさすがに霊が見えない二人も理解出来たのか、いよいよ表情が強張った。
「す、菅原道真と平将門……さすがにヤバいわね」
「坊様の読経くらいでどうにか出来るとは思えねえな」
「でもあんたってそんなものが見えて危なくないの? 祟られたり襲われたりしたらどうするのよ? 退治とかは出来るわけ?」
「怖い思いをしたことはあるよ。祟られたことはさすがにないけどね。だから僕だって危ない場所にはなるべく近寄らないようにしてるんだよ。僕は修行してるわけでもないから見えるだけで退治なんてさすがに出来ないし。まあ、切り札はあるけどね」
 僕は生まれつきそういうものが見えるから割と幽霊やちょっとした物の怪なんて見慣れているし、傍には火車もいるから今では邪霊に襲われない方法も教えてもらっている。
 おかげで今日まで大きな怪我をしたり命に関わるような災難に巻き込まれることなく生きてきた。もちろん、いつも一緒の火車が護衛役としてそれなりには色々と護ってくれたおかげだけれども。
「父上が言うには、現世に心残りがあると魂が成仏出来ないことがあるらしいよ。身体は死んじゃったのに魂が現世に留まっちゃうんだって。魂の一部だったり全部だったり。その学寮に現れる生徒はさすがに怨霊や邪霊じゃないと信じたいけどなあ。いたとしてもたぶん普通の幽霊だと思うけど」

「なるほど、そうなのね……それじゃあ決まり!」

 忠郷は立ち上がると僕と総次郎を見て言った。嫌な予感がする。
「今日の夜、さっそく南の御殿へ行きましょ。義弟には話をしておくわ。ようやく義兄として力になってやれそうじゃない!」

「ええ? 話って……何の?」
 僕がそう尋ねると、忠郷は握り締めていた小さな文の成れの果ての塊を僕に投げつけた。
「馬鹿ねえ、千徳。幽霊を退治するんじゃない。怨霊なら大変なことになるんでしょ? あんたはそういうものが見えるんだから適任だわ」

 ほうら、来たよ――

 僕は彼の言葉がおよそ自分の想像通りだったので、なんだか肩の力が抜けてしまった。忠郷って基本的に人の話をぜんぜん聞いてないんだから。

 言っておくけど、僕は《見える》だけで、幽霊も怨霊も退治なんてしたことはないんですけど!
 さっきもちゃんとそう言いましたけど! 

 僕は再三意見をしたのだけれど聞く耳を持たない忠郷は夕餉前の僅かな時間を利用して早速南の御殿へ出かけていった。自分の妹の婿殿に幽霊の話をしに行くためにね。
 こんな感じで机の上にとっちらかってる文の山もさっさと確認しちゃえばいいのに。
「江戸のお城もそうだけどさ、だいたいこういう大きな建物……例えば神社とかお寺なんかは、結界を張ってそういう悪いものが集まらないような工夫がされてるものなんだよ。だから江戸のお城もそこまで強い悪霊とか怨霊なんかはいないと思うんだけど。めちゃくちゃ怖い奴らがいる気配はしないもん」
「布団部屋にも沢山いたんだろ」
「うん。沢山いるからちょっと危険かなあ。お城の敷地に結界が張られてるから、ああしてみんなで集まって固まるしかないんだと思うよ。たぶん一つ一つはそんなに強くない霊なんだ。ああいう人気のない薄暗いところが好きなんだと思う」
 霊はまず気配がして、目を凝らすとだんだん見えてくるようになる。霊は魂の残滓だから、現世に残る量が多ければ多いほどに生前の姿を保てるのだと火車が教えてくれたっけ。
 それらは黒く影法師のようにぼんやりしていたり、うっすらと透けて見える人の姿をしていたりと本当に様々だ。
 江戸のお城の中にも結構いるよ。中には怪我をしていたり、血を流したりしていて、僕もびっくりする時がある。ものすごく怖い形相で睨みつけてきたり、話しかけてきたりする奴もいるんだから。
 だけどそういう多くの《幽霊》たちは特に悪さをするということはない。魂の残滓は現世に一時的に残っているものなので現世に干渉する力が弱く、いずれ時が来れば自然に消えてしまうのだ。
 だから僕も普段はあんまり気にしないようにしている。
 その方がいいって火車や父にも言われてる。小さい頃から見えたり気配がしたりするもんだから、僕はもう慣れちゃってるしね。

「……お前、どうも時々誰かと喋っているような気がしたが……それはつまりそういうことか?」

 疑うような眼差しで僕を見つめていた総次郎が不意に尋ねた。
「ええっと……そういう、って?」
 けれど、総次郎は首を振ってそれ以上の説明はしなかった。代わりにまた別のことを尋ねてきたよ。
「お前は例の南の御殿の生徒の話はどこまで知ってるんだ」
「どこまでって? 今日二人から聞いた話しか知らないよ。だって生徒が死んじゃったのは僕がここへくる前のことでしょ? たぶん総次郎が知ってること以上の情報は持ってない」
 総次郎はじっと僕の顔を見つめていた。
 一体なんだろう? 彼が何か考えているような気がして、僕もじっと総次郎の顔を見つめ返した。瞳には人の感情が出るのだと、いつだったか父上が言っていたことを思い出す。
「忠郷はともかく、総次郎もこういう話が好きだとは思わなかったよね」
 すると、総次郎は僕を睨みつけて言った。
「俺じゃねえ! 親父殿が好きなんだよ。学寮の中でどんなことが起きているのか知りたがってる。手紙に書いて知らせろと言われてんだ」
 そのためにここへ来たんだからな、俺は――そうふてくされたように呟いた総次郎は、なんだかいつもとは少し様子が違って見えたよ。
「ははーん、なるほどな。息子使って情報収集してるんだ、政宗のやつ。 さすが天下を狙う奴はちがうよなあ」
 火車の言うことはもっともだ。
 学寮にいる生徒は大名家の若様ばかりだよ。だから、そこで起きた出来事を知ればなにか他所の大名家の秘密や弱みを知るきっかけになるのかもしれない。
(……なるほど、さすが総次郎のお父上はただ者じゃあない感じがするよ。気をつけなくっちゃね)
 僕は名案が浮かんで総次郎に尋ねた。
「じゃあさ、もちろん総次郎も幽霊を見に行くの参加するよね?」
「はあ? 俺が?」
「そう。だって知りたいでしょ? 学寮の噂話を調べてお父上に報告しないとマズくない? 南の御殿の噂話の真相、知りたいでしょ」
 僕がそう言うと、総次郎はしばらく無言で視線を彷徨わせていたよ。
 だけどようやく観念したように、
「……幽霊をなんとかするのはお前の役目だからな。俺やあいつは間違ったってそんなものは見えねえんだぞ。勝ち目はあるんだろうな?」
 と聞いて、僕をもう一度睨みつけてきた。
 よーし! これはつまり参加するってことだよね。
「やったあ! じゃあ決まりね。実は僕も学寮の噂を調べたり解決したりしないといけないんだよ! ちょっといろいろと事情があってさ」
「はあ?」
「だから、協力しよう? 一緒に学寮の噂話を調べるの。総次郎は色々と情報を知っていそうだし、僕ら協力すれば絶対上手くいくと思うもん。うちの父上と総次郎のお父上だって、利害が一致すれば手を組んで協力してたでしょ?」
 僕は総次郎に手を出した。総次郎はしばらく考え込んでいたけれど、
「……まあ、利害が一致するなら……仕方ねえ」
 と言って僕の手のひらをパシンと叩いた。
 やったあ! これは思わぬ味方を得たよ。僕は火車と顔を見合わせて頷き合った。
「それにしたって……お前、幽霊なんて本当に見えるのか? そういうのは修行を積んだ僧侶とか修験者とか……そういう連中にしかわからねえもんだと思ってた」
「ふふーん、見えない人はみんなそう言って疑うよね。ここへ来た時にも言ったけど、総次郎の傍にもいますから」
 僕は胸を張って言った。
「教えてあげようか? 総次郎の傍にいるのはね、きれいな着物をきた女の子の幽霊だよ」
「な、なに?」
「僕、何度も見てるもん。ああ、悪さする感じはしないから平気だよ。僕よりずっと年下の女の子の幽霊だから、きっと小さい頃に亡くなっちゃったんだ。総次郎のことが好きなんだよ、きっと」 
 総次郎は目を丸くしたまま固まっている。おおよそ幽霊初心者ってのは、自分にも幽霊が付いているなんて言うとおよそみんな揃ってこういう反応をする。
「総次郎ってさ、もしかしたら死んじゃったお姉さんとか妹がいたんじゃない? 総次郎の傍にいるってことは、総次郎のことを知ってるってことだと思うよ。だから傍にいるんだと思うけど……」
「姉も妹もいるけど死んでねえぞ。ぴんぴんしてる」
「いやあ……きょうだいにしてはあの子、顔はぜんぜん総次郎に似てないじゃないかあ?」
 火車がしっぽを振りながら言った。
「すっごくきれいな着物を来たお姫さまみたいな女の子だから、てっきり伊達家のお姫さまかなあって思ったんだけどなあ
「……つまり、その幽霊に俺は恨まれてるってことか? そいつも怨霊なのか?」
 てっきりまた疑ってくると思っていたので僕は驚いた。総次郎ってこんなに素直に僕の話を聞いたことなんかあったっけ?
「恨まれてなんかないよ。ねえ、火車?」
 僕は火車に尋ねた。もちろん、総次郎は不思議そうな顔をしてる。
 そりゃあそうだ。総次郎にも火車が見えないんだからね。
 火車は僕の返事には応えず、ぴょんと畳を蹴って僕の肩の上に乗った。
「ねえ、火車? これから僕ら幽霊を探しに行くんだよ? もうそろそろ鶴の寮の二人には姿が見えてもいいんじゃない?」
「えええ〜? 本当に? おいらなんだか心配だなあ……あいつの父親にさっそく報告されるに決まってるじゃん。面倒なことになるんじゃないか? おいら、景勝に怒られるのいやだよう……こわいもん」
 そう言うと火車はしっぽを丸めて小さくなってしまった。
 火車だけじゃないよ、僕の父上はけっこうおっかない人なので、上杉の人間はわりとみんなこういう反応だよ。皆怒られるのが死ぬほど怖いらしい。
「大丈夫だよ。お前をここへ連れて来る時にちゃんと父上とも話をしたもんね。火車のことが学寮にいる人間にばれたらどうするか、ってさ。父上は、それはお前に任せるって言ってたもん! だから僕だって色々と考えてるんだよ。お前の主人だからさ」
 そりゃあこんな化け物のことは大勢にバラさない方がいいに決まってるよ。だいたいの人間は化け物がどういうものであるかを問わず、化け物ってやつが嫌いなんだから。
 だから、僕は今まで火車のことは学寮の誰にも言わずに秘密にしていた。
「忠郷と総次郎は同じ鶴の寮の生徒なんだから特別だよ。だって二人とは学寮でいつもいっしょにいるんだもん。だから二人にだけはお前のことを教えてもいいかなあって思ってたんだ」
「ふーん……そんなもんかなあ。だって、蒲生や伊達なんてさ、ついちょっと前まではお前のお父上と戦をしていたような奴らなんだぞ?」
「今はもう大丈夫だよ。だって僕、忠郷や総次郎とは戦してるわけじゃないもん。とりあえず、今のところはね」
「まったく人間ってのはよくわからないよなあ」
 火車は僕の肩の上から飛び降りると、畳の上で大きく飛び跳ねて総次郎の頭の上に飛び乗った。細かな蝶の鱗粉のようなきらきらしたものが火車からこぼれ落ちて、総次郎に降りかかる。
「怨霊と幽霊ってのはぜーんぜん違うんだぞ。怨霊なんかに付きまとわれていたらお前、今頃とっくに頭がおかしくなって、どうにかなっちまってるよ」
 総次郎が勢い良く首を振ると、火車はちょこんと総次郎の膝の上にのった。
 総次郎は火車をじっと見つめていたよ。僕が学寮へ来てから、一番驚いた顔をしている。
 人の言葉を喋る火車の声が聞こえているのだ。
「……ね、猫か? たぬき? それにしちゃあ毛が長くて太って……」
「ぜんぜん太ってなんかないじゃん! 今は仕事をしてないからちょっと運動不足なだけだもん!」
 総次郎が恐る恐るそっと火車の頭を撫でる。
 化け物なんて単純だよ。
 さっきはあんなに総次郎のことをいぶかしんでいたくせに、火車は頭を撫でられてすっかり喉を鳴らしていたんだから。



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