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父になることについての詩的散文


俺は俺のままでは浅すぎた
こんな俺では20代の頃の残滓を啜って生きてるだけじゃないか
考えるということを放棄してたんだ
10年近くも
考えようとしてた
考えようとしてただけだった

思考の前でクラウチングスタートの姿勢のまま10年経過していた
体そのものがカサブタのようになってしまっていた
俺は考えるということをしてみたかったんだ
思考を前に待つということ

世界が反復する音色に耳を澄ませる
風を吟味するには停止した頬を用意しないといけない
止まれば止まるほどに動く世界を認知することができる
けども田舎暮らし、肉体労働という虹の中の世界は忙しかった
洗濯機の中のようだった

一緒に流転する時、風はわからない
一緒に流れ去る時、自分の座標はわからなくなる
そんな意味で俺は俺を失っていたようだ
今からでも止まることはできるのだろうか
わがままになってみようと思う
俺は過ちを犯したと思われている
しかしわがままになれないことによる
結果だと自分では考えてる

今まで俺は自分のわがままを探して生きてきたような気がする
自分の本意はどこにある
誰かの足しになることしか考えてこなかった
俺の行動と呼べるものは
書くこと、詩を書くこと、叫ぶこと、戦うこと

ふむ、じゅうぶんじゃないか

俺が享楽するために世界は横たわっているのに
俺は人間のために働こうとする
人間が一体なんだというのだろう
ほんの少し世界に木を植えただけで
何かをやった気になっている

納得を求め説得しやがて這いつくばって懇願する
しかし世界は黙然としている
木立は風に揺れている
感情の起伏で糸杉は燃え上がるかも知れない
けれど糸杉は感情で燃え上がりはしない
風に揺れるだけだ
人々は人々に関心がない
それなのにみんながみんなに
納得を求め説得しやがて這いつくばって懇願する

何を?w

雨に濡れて、土が黒く濡れる
アスファルトからは匂いが立ち上る
確か二十代の頃はこの匂いの中に
ケツ置いて座ってた
地面が近かった
段ボール敷いてそれでも冷たい地面に頬擦りするように生きてた

摩擦があったんだ
あの時確か人間は黙然としていた
俺の世界に人間はほとんどいなかった
それこそ風に揺れる程度だった
今ではどうだ人間は糸杉のように燃え盛っている
五輪にどうだ、自民にどうだ、ハゲ散らかした
不具な老人がいまだに運転席にしがみついてら
しかしそんな奴らは風に揺れてるだけなのだ
あの時は確かに世界は摩擦でできてた
俺が動けば摩擦があった
この世界との摩擦だ
その摩擦が俺の輪郭を俺に教えてくれた
俺は俺の輪郭を知りたくて生きてた
今では俺はすでに俺が存在することを前提に
計画を進めている

なんの計画だ?w
なんの計画でもない

受験生が受験を受ける計画だ
入社面接を合格するための計画だ
新しいクソへの扉を開くための計画になんの意味がある
今日を生きるための自転車操業
そんなことを続けていると
自分の輪郭は社会へ雰囲気へ忖度へと溶解していく
俺たちは欠如の欲望を持っている
足りないものを持つという欲望に踊らされている
永遠の欠如

毎年の確定申告
税金を払うための所得
クソが
足りないが毎日だ
家族との時間
それを満たすためにまた出稼ぎに向かう
矛盾を成立させるためにまた矛盾に水をやる生活

あの頃には足りないものは自分以外なかった
自分を満たすために自分を探し
砂場に体当たりして砂場に残った自分像を拾い集めた
人間は実験道具でしかなかった
キレてみよう、こいつにこんなことを言ってみよう
すると人間は作動する
その作動のログを俺は詩にして書き溜めた
全く同じように
他者にするように自分への実験を繰り返した

歩かせてみた
アメリカに飛ばしてみた
地面に寝転がって寝てみた
物乞いしてみた
草はらでゴミのように転がってみた
野ざらしは素晴らしい
アスファルトに頬擦りしながら眺める街は新しい

渋谷でシカトされるネズミの行群
脱構造化される渋谷
ネズミにとっての渋谷
ゴミを生み出すネズミの食糧を生産する
ジャングルとしての渋谷
渋谷のネズミの環世界

そこには野ざらしの環世界があった
細胞が沸き立つ
夕日に興奮して追いかけ走った
明日また太陽が登ってきてくれるのかわからなくなった
どうして俺たちは当たり前のように
明日も太陽が登ってくると信じて疑わないんだ
太陽が明日も登ってくるか信じられない人は幸福だ
今を生きるから

当たり前というやつに認識を留保して生きるということは
他人任せな世界を生きるということだ
自分で生きることを放棄することだ
世界と自分という等式を放棄することだ
すると俺は成員になる
国民になり、社会人になり、市民になる
登記される、マイナンバーを付される

唾棄したいことを身にまとい生きることが
父になることなのだろうか
ならば俺は父に叛逆を企てよう
野原ひろしに共感して泣いた
まさかこんな俺になるなんてどの俺が考えただろう
父になりつつおっさんを回避すること
奴隷根性を捨て去り
己の意思で太陽を登らせること
全ての当たり前に疑問を付し
当たり前に向かって思考をインプラントし
そこからまた考えることによって
当たり前が不気味に変容してしまうように

世界はこのようではない
偶然の仮の姿だ
本来どうあってもよかったものが
こうあるにすぎない
堂々と父としてこう言いたい
父になることによって俺にはプライドが芽生えた
そしてこのままの自分ではいけないと思えた
扶養や義務なんかとは無関係に
俺は愛が故に子に幸せを教えれる人間になりたい
そのために俺がこの世界を享楽する様を見せたい
世界が俺を幸せにできるポテンシャルを持っていることを教えたい
大丈夫だ思い出せそうだ
俺ならやれるちゃんと父になれる
負債を抱えぬ純真な父に
奴隷ではない父に
人を飼うことも人に飼われることもない父に
社会ではなく
世界や精神においてサバイブできる能力を伝えれる父に

世界と俺という等式を子供に伝えれる父に
カロリーが俺たちを幸せにする
燃えるということがすでにハッピーなのだ
生きるということがすでに始まり続けるハッピーなのだ
父は父を破壊する、刷新するために
そして俺は新しい父になる

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