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カスタマイズが過ぎて

自分好みに、自由自在

という、カスタマイズって外来語が
定着して久しい世の中。

サイズしか選べないなんて
いつの時代?ってくらい

ソイだの、ミルクだの、
オーツ?アーモンド???

みたいに
世の中複雑になってきたもんだ。

うちの冷蔵庫は
庫内の温度を各部門で細かく選べるし

車のシートだって
座面の高さ、リクライニングの角度

更には腰椎の角度?まで選べて
腰あたりの違和感をカスタマイズしてくれる。

だけどね。
ぶっちゃけ、カスタマイズが過ぎて、わや。

もう、よく、わからんねん。
ぶっちゃけ。

オーツか、アーモンドか。
急冷か、そうでないか。

腰あたりの違和感あるか、ないか。
もう、わからへんねん。

繊細でない
と言ってしまえば、お仕舞いだけど

選べ過ぎて、選び切れてるのん?
逆に。

その選択の幅を100%生かせる自信が
わたしには、ない。

自分好みに自由に選べる
の、その自由の無限大に広がる選択肢より

絞られた中からチョイスできる
無限より少ない選択肢の方が

選びやすく
意外に実感しやすかったりして。

自分ってものに
感度高く繊細に意識していない限り

自由自在に選べる選択は
もはや、自由ではないのかも?

と、結局デフォルトで
スタバも冷蔵庫もいっちゃうあたりを

人間味と申したいのであります、
はい。

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